「深川を歩く」

「雑談、第11話」
「深川を歩く」
久し振りに深川の街を歩く。まずは高橋(たかばし)の「深川高橋商店街」、通称「のらクロ通り」だ。(写真:のらクロ通り)

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でも何か活気がない。ちょっと南に向かう。そこは「小名木川」だ。そして架かる橋が「高橋」だ。(写真:小名木川と高橋)
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時代小説には必ず深川といえば出てくる川と橋だ。この川を徳川家康が掘らせ、中川と隅田川が繋がったので水運が発達したのだった。小名木川を東に向かい、中川とぶつかる所に「船番所」があった。江戸に東北や北関東の船がここを経由して江戸の隅々にまで物資が運ばれた。
「深川江戸資料館」に着いた。(写真:深川江戸資料館)
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おや、今まで見なかったものが出来ていました。なんとあの相撲の「大鵬関」が江東区の名誉市民だったとは! 従って大鵬関連の品が並んでいた。まずは等身大の「大鵬関」。(写真:大鵬関)
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相撲協会が出した横綱の推挙の賞状だ。(写真:推挙)
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若き日の写真もあった。(写真:若き日の大鵬関)
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この資料館には何度も着たが、入り口に深川に所縁の深い人たちの名前があった。(写真:所縁の人たち)
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まずは「山東京伝」、深川生まれの浮世絵絵師。寛政の改革で手鎖りの罪となる。
「伊能忠敬」。ご存知日本地図を完成させた人。後半生は50歳から深川黒江町に住み、その後、深川から地図作成の旅で出る。
「松平定信」。八代将軍吉宗の孫で、御三卿の田安家から陸奥白河藩に養子に出され、のち老中首座として寛政の改革を実行。隠居後は楽翁と称した。墓所が資料館隣の「霊巌寺」にある。
「伊東甲子太郎」。新撰組参謀。深川中川町の北辰一刀流剣術の伊東道場に入門、婿養子となる。
「市川団十郎」。有名な歌舞伎役者だが、この人と深川との関連は知らない。多分屋号が「成田屋」なので、門前仲町の「成田山新勝寺別院」との関連だろうか。
この資料館、江戸の町を模した町並み再現があるので、是非一度見ていただきたい。最寄り駅は都営大江戸線清澄白河駅です。