「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「私の2019年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
「COLD WAR あの歌、2つの心」(HTC有楽町にて)私的批評眼★★★★(今年103作品目)映画コールドウォー
1949年から1964年の物語。今時珍しい白黒映画だ。共産圏の国ポーランドの舞踊団の若く美しい女性団員と中年の演奏家との愛の物語だが、燃え上がるものの引き裂く色々な変遷が最後を予感させない。時代と冷戦に翻弄された男女の愛は悲しいが、確かに美しい映画でした。

「今日も嫌がらせ弁当」(TC日比谷にて)私的批評眼★★★★(今年104作品目)映画今日も嫌がらせ弁当
東京都の八丈島、反抗期の女子高生とシングルマザーとの家庭内の戦いなのだが、母が選んだ作戦は毎日の娘の弁当をキャラ弁にして、驚かせ意思疎通を図ろうとするものだった。実は私は中学3年の時、一年間母にサンドウィッチ弁当を毎日作ってもらっていたので、この話しで本当に親の愛を思い出し涙が出た。

7月5日の日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「田園の守り人たち」が4つ星、「スパイダーマン ファーフロムホーム」が3つ星、「ワイルドライフ」が3つ星、「サマーフィーリング」が3つ星、「GIRL」が3つ星、「無双の鉄拳」が3つ星、「ホットギミック ガールミーツボーイ」が3つ星でした。
6月28日の日経新聞「シネマ万華鏡」の評価は、「COLD WAR」が4つ星、「凪待ち」が3つ星、「ニューヨーク最高の訳あり物件」が3つ星、「ペトラは静かに対峙する」が3つ星、「ハッピー・デス・デイ」が4つ星、「ピアッシング」が3つ星、「新聞記者」が2つ星でした。

「2019年の映画、私的評価表」
★★★★★=「ボヘミアン・ラプソディ」「グリーンブック」「運び屋」「こどもしょくどう」「さよなら くちびる」
★★★★=「蜘蛛の巣を払う女」「バハールの涙」「メリーポピンズ リターンズ」「女王陛下のお気に入り」「ちいさな独裁者」「ヴィクトリア女王」「半世界」「ねことじいちゃん」「翔んで、埼玉」「あの日のオルガン」「天国でまた会おう」「マイ・ブック・ショプ」「Bの戦場」「ブラック・クランズマン」「ROMA」「ザ・プレイス」「バイス」「ハンターキラー」「パリの家族たち」「誰もがそれを知っている」「小さな恋のメロディ」「アラジン」「アマンダと僕」「COLD WAR あの歌、2つの心」「今日も嫌がらせ弁当」

「2018年の映画はこんなでした」
★★★★★=「はじめてのおもてなし」「スリー・ビルボード」「リメンバー・ミー」「レディー プレイヤーワン」「万引き家族」「空飛ぶタイヤ」「輝ける人生」「判決 ふたつの希望」「日日是好日」

「2019 観劇シリーズ」 2018年の歌舞伎観劇は3度でした。
一月大歌舞伎=歌舞伎座にて 
二月競春名作喜劇公演観劇=新橋演舞場にて
團菊祭五月大歌舞伎=歌舞伎座にて
七月大歌舞伎観劇の予定。

「2019 旅暦」
国内旅行は、1月は北海道2回と佐賀武雄温泉。6月末からは神奈川会の仲間と三陸に、7月に4S会で壱岐の島から長崎へと、7月後半は妻と娘、孫娘たちと一緒に再び壱岐に、そして9月はG46の仲間と北海道へ競争馬を観に行く予定。
海外旅行は、2月と5月のハワイ、8月もハワイの予定。
これまで行った国々の合計数は、71か国(直近18年5月のモンゴル)

「2018 読書記録」 2018年の読書数は、252冊でした。
「春淡し」(佐伯 泰英 著)光文社文庫 私的批評眼★★★★(今年132冊目)「吉原裏同心抄」シリーズ第6弾完結編本春淡し

「戯け者」(藤井 邦夫 著)双葉文庫 私的批評眼★★★(今年133冊目)「新・知らぬが半兵衛手控帖」シリーズ第8弾

「宵待草」(辻堂 魁 著)ハルキ文庫 私的批評眼★★★★★(今年134冊目)「天神小五郎 人情剣」シリーズ第1弾本宵待草

「再燃」(小杉 健治 著)双葉文庫 私的批評眼★★★★(今年135冊目)「蘭方医・宇津木新吾」シリーズ第9弾本再燃

「迷い熊阻む」(芝村 涼也 著)双葉文庫 私的批評眼★★★★(今年136冊目)「長屋道場騒動記」シリーズ第3弾本迷い熊阻む

「迷い熊猛る」(芝村 涼也 著)双葉文庫 私的批評眼★★★★(今年137冊目)「長屋道場騒動記」シリーズ第4弾本迷い熊猛る

「加賀藩江戸上屋敷跡の発掘」

「さいたま歴史研究会―30」
「加賀藩江戸上屋敷跡の発掘」(写真:加賀藩邸の絵)加賀藩邸
加賀藩は藩祖前田利家が築いたものだが、当初は124万石あったという。それが分家を幕府が認めたので、「富山藩」と「大聖寺藩」に分かれ、本体は102万石とそれでも外様最大の藩となった。その上屋敷が本郷の東大校舎のところにあったことはご存知だろう。敷地の広さは10万4千坪。そんな加賀藩邸の発掘調査は何度も分けられ、部分、部分で行われた。すると沢山の物が出てきた。面白いのを紹介しよう。
「梅の御殿」というのがある。今はサッカー場になっているところだ。これは亡くなった藩主の未亡人の住まいで、便所が3か所見つかった。そこで便器の底を削って調べた結果、2か所では高濃度の鉛が検出された。この便所を使用していたのは女性たちだったという。鉛は化粧に使う白粉(おしろい)に含まれていたものだ。一方鉛が検出されなかった便所は人足たちが使っていたものだという。更に面白いのはそこから見つかった落とし物だ。銭、帯止め、簪、笄、温石等女性たちが使ったと思われるものだった。
藩邸の北に御先手組の組頭の屋敷があった。その屋敷は本郷通りに面していて、向かい側に高崎屋という酒屋があった。この店は今もある。藩邸と本郷通りの間に細長く御先手組の組屋敷があった。御先手組は将軍の警護役だ。組頭の屋敷跡の発掘からは多数の徳利と杯が見つかった。余程沢山の仲間内の宴会を行ったのだろう。酒飲み集団だったのではないだろうか。
藩邸は赤門で有名なのは本当の門ではなく、その南側に大きな門があり、その門の東側に表御殿、奥御殿等の藩邸の主な役所があった。
藩邸を大まかに分類すると、西の本郷通り側中央の門から入ると、藩邸はほぼ三等分で北、中央、南と区分される。その中央部分が主な建物で、今は三四郎池と呼ばれる池を中心とした庭園もあった。
そして北側が下級武士の住まいが、南側に中級武士の住まいがあった。その数は総数3000名、内武士階級が2500名程度、武士以外の男性、所謂中間や加賀鳶、人足等が約300名、女中らが200名程度いたと思われる。因みに赤門は文政8年(1825)に第11代将軍家斉の娘が嫁いできた時に造られたものだ。
屋敷内には大きなごみ穴が掘られ、いらなくなった物をそこに捨てていて、一杯になると次の穴を掘ったという。だからその穴を発掘すると生活の内容が分かるというのだ。皿、椀、水差し等の陶器磁器、或いは海外より輸入されたものも多数見つかっている。遊び道具も見つかっている。
藩士たちは江戸在住の者、参勤交代で一時的に江戸に来た者、これもすぐに帰国するものと、一年後に藩主と共に帰国する者に分けられた。
では江戸滞在中に武士たちは何をしていたのだろうか。紀州藩士の記録がある。そこでは、江戸ではまず観光として神社仏閣を巡る。吉原に花魁道中を観に行く。愛宕山に登り江戸市中を観る。切絵図を土産に買う。因みに切絵図は江戸市中の地図だが、大名旗本御家人の名や寺社名が書かれている。武鑑を買う。これも土産にした。武鑑とは大名旗本の履歴や官名、役職、石高等詳細が書かれていた。浅草奥山や両国広小路等で買い物や興行見物。名物を食べる。大手門前で大名の登城行列の見物。等々、彼らは本当に暇だったようだ。
それぞれの大名屋敷は、上、中、下と分かれていた。上屋敷は江戸藩庁、藩主の妻子(人質)、江戸詰藩士が暮らした。中屋敷は、世子、隠居が暮らした。ほぼ半数の大名家で中屋敷はあった。下屋敷は庭園、田畑、竹林、食料や物資の供給、小藩は藩士の住宅地。伊達家仙台藩は下屋敷で仙台味噌を造っていた。
これら3つの屋敷は幕府からの借り物だった。加賀藩の場合、下屋敷は板橋にあり20万坪もあった。基本的に幕府からの拝領地であるから、政権交代した維新の際には明治新政府に召し上げられてしまった。
銀座4丁目の和光です。(写真:和光)和光
江戸時代の切絵図によると、日本橋から京橋、新橋までの所謂銀座通りは全て町屋だった。武家屋敷はなかった。因みに京橋とは日本橋から京都へ向かう最初の橋のことで、大坂にも日本橋(にっぽんばし)も京橋もある。
四丁目から西に向かえば、数寄屋橋御門で南町奉行所があったし、東へ向かえば、木挽町になり歌舞伎の小屋があった。
以上、雨が降り続く東京から勢古口がお送りしました。来週は4S会のメンバーで壱岐、長崎、有田、博多を回る旅に出掛けますので、次号の配信は日曜日になります。