「マルタ島の旅、後記」

「J  REPORT 2017 1月第5週号&2月第1週号」
「リタイアメント・ノート 8年8ヶ月目」
「VOL。987号 SINCE AUG.12th、1983」
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「マルタ島の旅、後記」
昔から地中海の十字路に当たるのがマルタ島だ。歴史的にはフェニキア人が通商で、その後ギリシャ人が、そしてローマ帝国が、また西隣のアフリカ大陸からはカルタゴがやってきた。更にはイスラムのオスマントルコに襲われる。都度、彼らの支配下に入ったのがマルタ島だろう。十字軍はヨーロッパ各地からやって来た騎士たちの集まりだ。キプロスで負け、ロードス島で負け、落ち延びたのがここマルタ島だったという。彼らが命からがら運んできたキリスト像がヴァレッタにある。(写真:十字架)

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イスラム教徒に奪われないようにして決死で運んできたという。そこでいつも思うことは何故宗教は対立を生むのか?ということだ。一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった宗教間の戦い、そして各宗派間の争いも忘れてはならない。プロテスタントとカソリック、シーア派とスンニ派に原理主義者等々、古くからの問題で且つ未だにまたこれからも続く宗教戦争。いつまで果てるとも知れない戦い。いい加減にしてもらいたいと思うのは私だけなのだろうか。人間の愚かさから人類には争いは果てがないのか。AIの時代になっても続くのだろうか。
マルタ島からゴゾ島に行った時、島が真近になった。美しい島だった。(写真:ゴゾ島上陸)
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ここにある大聖堂にはローマ法王「パウロ九世」の像があった。(写真:ローマ法王)
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ここに立ち寄られた記念だという。そんな平和なイメージがこの島の人たちの敬虔さを感じさせられた。
帰路、ドバイの空港でのことだった。ボーイング777-300は747ジャンボ機以外ではボーイング社最大の大きさの航空機だが、一番前にファーストクラスが横4席、3列、次がビジネスクラスで横6席、10列あったと思う。空港に着陸して迎えに来たのは「ファーストクラス専用」のバス。豪華な革張りの椅子が備えられえていた。アラブのVIPが乗り込んでいった。次がビジネスクラス専用車だから、私はそれに乗った。エコノミーの人たちは更にその後なのだろう。エコノミーの客は荷物なのだ。
さて、話しをマルタ島へ戻そう。ここは第二次世界大戦時はイギリス領だったから、ここから米英軍は北アフリカのドイツ軍機甲師団を率いる「砂漠の狐」ロンメル将軍に対する攻撃の拠点としていたらしい。また当然ながらイタリア侵攻作戦にも関わったことだろう。そして有名な「マルタ会談」だ。1989年12月にここマルタ島でおこなわれた歴史的な会談で、アメリカのブッシュ大統領(父)とソ連のブレジネフ首相とが会い、40年以上も続いた冷戦が終了したのだった。そういう新旧の長い歴史を抱えたマルタ島でした。また行きたい島だ。今度こそあのレストランに行こう。