「江戸の庶民の生活は楽だったか?85」
「江戸の自治組織」
江戸の町には自治組織として「町年寄」「町名主」「五人組」「月行事」「家主」という制度があった。「町年寄」は町人の総支配役で最高の格で「奈良屋、樽屋、喜多村」の三家が世襲していた。「町名主」は一町ないし二、三町ごとに一人いて、江戸市中に264人、新吉原に4人いた。町名主は公事訴訟の判断もしていた。町名主も基本的に世襲だった。更に区分すると「草分け名主」が29名、「古町(こちょう)名主」が79人、「平名主」、「門前名主」となるのだが、草分けと古町は別格で名字帯刀を許されていた。こうした自治組織で江戸の町は運営されていた。元々「町年寄」の3家は家康の家来で武士だった。それを町場に住まわせ自治組織のトップを担わせたのだった。江戸という都市は基本的に城郭で、その中に町人が武士と一緒に暮らしているという形だ。だが武士は武士階級のみを,町人は町人階級を自治管理するという考え方だった。では町奉行所はどうしていたかといえば、勿論治安維持の警察権も、今で言う裁判権も、行政権も持っていた。だが町中で起こった事件は町中で解決するというのが原則だったようだ。殺人事件のような重大な犯罪は当然町奉行所が対応した。江戸時代、各藩はそれぞれ自治を任せられていたので、今よりも寧ろ地方の自由度は高かったのかも知れない。但し封建制度の中での話しだが。
「銀座4丁目」
元の日産ショールームに新しい「プラザ・ギンザ」が出来た。三越銀座店の向かい側の5丁目のところだ。9月オープンだそうだから、あと約1ヶ月か?ユニークな建物が出来ている。トウモロコシのような白い球体がたくさんある不思議なビルだ。(写真:新しいビル)
銀座もとみに変貌を遂げている。今日も暑さの中、沢山の外国人観光客が汗を流しながら歩いていた。