「八幡様と相撲」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?77」
「八幡様」
八幡様は「武神」である。その昔、源義家公は「石清水八幡宮」で元服したため、「八幡太郎」と名乗った。即ち義家公を祀った社が八幡様だというのは誤りで、のちに源頼朝公が鎌倉に幕府を開くに当たり、父祖の崇敬した石清水八幡を鎌倉に勧請して「鶴岡八幡宮」としたところから、源氏の氏神として定まった。「征夷大将軍」は源氏の棟梁である。従って徳川家の氏神も八幡様となるので、武家の支配に掛かる諸国には必ず八幡様が造営された。

「江戸勧進相撲」
「神輿深川」、「山車神田」、「だだっぴろいが山王様」と称される「江戸三大祭り」の一つが「深川八幡宮」だが、この神社は、源頼朝が勧進した鶴岡八幡宮の分社である。寛永年間に徳川家が敬っていた八幡宮の分霊を行って普請の完成祈願をしたのがその起こりであるという。(写真:富岡八幡)

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またここ「富岡八幡」は「江戸勧進相撲」発祥の地であり、貞享元年(1684)から春と秋の二回、晴天の八日間に勧進相撲が取り組まれたという。観る事は勿論土俵に上るなど女性には全く認められていなかった。八代将軍吉宗は庶民の娯楽として芝居や相撲を許し、特に相撲は寺社奉行差配によって、浅草大護院や芝神明などでも勧進元による興業をさせていたという。(写真:力士像)
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元々、昔は神仏混合であり、「富岡八幡」の別当寺は「永代寺」である。永代寺の境内に富岡八幡はあった。その門前町が発達して今の門前仲町がある。(写真:今の永代寺)
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富岡八幡の境内には有名な「神輿」がある。昔は紀伊国屋文左衛門が寄贈したものがあったが関東大震災で焼けた。戦後寄進された超大型の神輿が今は飾られている。(写真:富岡八幡も神輿)
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相撲だが、今場所の福岡での場所の人出はどうも少し低調なようだ。連続大入り記録も途絶えたようだ。さて、富岡八幡には意外なものがある。それが「伊能忠敬」の像だ。彼は深川の人だったらしく、その偉業を称えて、個の地に像があるようだ。(写真;伊能忠敬像)
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