「母の命日」

「江戸の秋は祭りの季節」
旧暦九月、「長月」の江戸は祭りの季節だったという。十三夜の「栗名月」が終わると晦日まで祭り祭りだ。既に十一日には始まっている「芝神明祭」を皮切りに、十四、十五日は「神田明神」の例祭、十七日は「浅草三社太々神楽」、十九日は「牛込赤城明神礼祭」に「羽田弁天祭り」。二十日は「待乳山聖天大祭」と「茅場町薬師ご開帳」、二十一日が「根津権現礼祭」、二十五日は「大久保西向天神祭礼」、二十八日が「目黒不動祭礼」といった具合。これを今年の新暦に変えてみると、旧暦9月11日は、新暦10月23日で、9月28日は11月9日となる。即ち、この季節に江戸の祭りは最高潮となったのだった。

「ハロウィーン」
なんだか知らない間に日本に根付いたのが「ハロウィーン」だろう。いつ頃から流行りだしたのか分からないが、今では「ヴァレンタイン・デー」よりも活発な商戦が行われ、「クリスマス」に並ぶというから凄いものだ。どこでも今はハロウィーンの飾り付けをやっているのに驚かされる。2008年10月にニューヨークを訪れた時も街の家々にハロウィーンの飾り物が派手に飾られていて驚いたが、日本もそういった状態になりつつあるとは。

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「母の命日」
10月22日は母の命日だ。2005年に亡くなったから、もう10年も経った。青山墓地に墓参りに行った。10年前のその日、私は北海道は知床半島にいた。バスに乗り知床の旅を楽しもうとしていたところ、携帯に甥から電話が入り、母が亡くなったというではないか。急遽帰りのバスに乗り換えて女満別空港から羽田に戻った。その1週間前に母を訪問した時には全く普通で変化なく、元気だったのが信じられない。母は眠ったまま彼方へと旅立ってしまった。まるで寝ているような顔だった。苦しまなかったことだけが救いだった。あれからもう10年か、早いなあ。(写真:青山墓地の我家の墓にて)
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青山墓地の入口、246から入ると消防署があり、管理事務所があるのだが、その前に「乃木将軍墓道」という石柱があった。知らなかったが、流石に参拝される方が多いのだろうか、目印が大きかった。先日岩田帯の儀式で乃木神社を訪れたばかりだったので思わず頭を下げ、将軍ご夫婦の冥福を祈った。(写真:乃木将軍墓道)
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「パパの会の墓参り」
同じ母の命日に大学のフットボール部の集まりがあった。これは昭和56年に亡くなったT氏を偲ぶ集いで「パパの会」と呼んでいる。T氏は我々の部の先輩でもあり、監督でもあった方で当時から親しみを込めて「パパ」と呼んでいた。なにせ私が一番年下だから3年前から幹事役を仰せ付かっているから大変だ。その日も等々力のお墓を参った後、奥さまを迎えに伺い、会場まで足を運んでもらった。(写真:T氏の墓参り)(写真:お寺の地蔵様)
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会員は100名近くいるのだが、当日の出席者は44名。皆元気な小父さん?お爺さん?なのだが大いに盛り上がった。最年長は74歳、まだまだ現役並だ。(写真:パパの会)
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