「江戸の長屋」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?75」
「江戸の長屋」
落語で「長屋」の住人「八さんや熊さん」が出てくるお話しも沢山ある。長屋に住む人を「店子」(たなこ)といい、「大家」と言えば親と子だなどと言う。大家は株を買ってなれるが、実は「家主」が本当の長屋の持ち主である。大家は店子の面倒を見たり、家賃を集金したりする。長屋にある便所の「汚わい」を売って得る代金は大家に入る。長屋にはそれぞれ名前があり、「なになに店(たな)」と呼んでいたらしい。どこそこ町のなになに店のだれそれと言えば、凡その住所が分かったという。そんな長屋だが、通常は「九尺二間」(くしゃくにけん)と呼ばれる大きさの一間だけのものだった。それが連なっているから長屋だ。長屋の入口には「木戸」があり、夜は閉められていた。奥の方に共有便所があり、多分真ん中には井戸もあったのだろう。水捌けのためにドブがあり、ドブ板が貼ってあっただろう。奥行きが九尺だから約2.7m、間口が二間だから約3.6mとなる。土間があり、竃(へっつい)があり、多分水桶もあっただろう。実に狭い部屋だが、ここで親子何人もで暮す人たちがいた。また江戸では火事が多いから道具は殆どがリースで借りたもので、布団などは日中は風呂敷に包んで天井に引き上げていたという。写真の部屋では独り者の職人が住んでいたのだろう。

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同じ長屋でも大名屋敷や旗本屋敷の「長屋」は所謂「長屋門」と呼ばれる門に併設されていたもので、塀を兼ねたもので塀に沿って部屋が作られていた。用途は家来たちの部屋となっていた。(写真:武家の長屋は塀を兼ねていた)
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庶民の安い長屋では例えば「十六軒長屋」のように両側に八軒が連なり向かい合っていたのが代表的な長屋だった。