「パリ五輪前半を観て=勝敗とは?」
暑い最中の五輪は開会式から違和感を覚えた私。4時間にも亘る式典は一体何だったのだろうか?
アスリート・ファーストという言葉は何処に行ったのか?長ったらしい船の行進と次々と映し出されるフランスの歴史だろうが、これが五輪と何の関係があるのか?音楽やダンスのショーを観に来たのだろうか?疑問符が飛び交う開会式だった。
五輪は平和の世の中に戻し、一時的にせよ戦争をも中断させ各自の能力を発揮させ競いあう平和の祭典ではなかったのか?
そして残念ながら誰とは言わないが、敗れた者の情けない泣いた姿など観たくもなかった。敗者には「グッドルーザー」という言葉がある。それは勝者を敬うことで、勝負事には必ず勝者と敗者が出る。そこに勝っても敗者を労わり、敗者は勝者を称える姿があるべきだ。それが出来ないのならば五輪に出て来るべきではないというのが私の感想だ。礼に始まり礼に終わる柔道精神はもう生きていないのだろうか?
選手村の食事が問題となっているが、これなど根本的に「おもてなし」の精神がないからだ。予算通りに出せば後は知らないという無責任個人主義が無関心な料理を提供するだけで相手を慮るという気持ちが全く感じられないのはこのニュースを聞いた私だけなのだろうか?
前半戦は体格的に小さく弱い日本人にも向いている体重別だったり、軽量級でも戦える新しい種目に注目が集まった。これも日本人の真面目で新しい物を受け入れるという精神構造の現れだろう。徐々に体格が物を言う競技に入れば結果はおのずと知れよう。
私の持論「投資は自己責任」
政府の「貯蓄から投資」政策により新NISAも始まり、これまで投資したことのない人たちがのめり込んでいるようだ。私は新NISAが始まる時に思ったのは、必ず素人は失敗するだろうということだった。政府の狙いは、日本独特のタンス預金や預貯金に貯められた長期資金を資本市場に提供してもらい市場の活性化を狙うと共に個人の資産形成を高めるのだろうが、これを政府推薦の投資と誤解していて必ず儲かると思っている人がいると思う。そんなことはない。投資にはリスクがありリスクは個人が負うべきもので政府が何ら対策を立てカバーなどしてくれる訳がない。
次の例として偽有名人による投資詐欺が広がっているという。これもそうなのだが、投資にはリスクがあり、そのリスクは本人の自己責任だということだ。だから有名人に教えて貰えるなんて安易な投資方法などあるはずがない。こういう詐欺に引っかかる人は欲張りで自分の能力を超えても儲けたいという人なのだ。身の丈を考えよ。世の中はそんなに甘くはないのだから。
何故日本人は責任を他に添加しようとするのだろうか?これも農耕民族の習性なのだろうか?皆で渡れば怖くない。投資は儲かることも損をすることもある。必ず儲かるなどということがあるはずがない。だから目先の儲けを追うと必ず失敗する。投資には長期的にそして自己資産の範囲内でリスクを自らが追うということが必要だ。
新NISAでアメリカ株に投資した人はこれから為替と言う厄介なものにぶつかる。為替は誰にも読めない。160円で買ったものが、今は150円、これが更に140円となっていくとしたら、どうしますか?