「信州・山形・蕎麦の旅」

「J  REPORT 2023 9月第3号」
「リタイアメント・ノート 14年3ヶ月目」
「VOL.1333 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。㔟古口

「旅暦第127話」「信州・山形・蕎麦の旅」
毎年の如く「大人の休日倶楽部パス」を利用しての蕎麦の旅だが、体調を崩して中々実行出来なかった。実は7月の退院後直ぐに予約をしていたのが今回の旅だった。
初日は「小諸」、二日目は「山形」、そして三日目は「米沢」とした。本当はもう一日松本を入れていたのだが、抗癌剤の点滴の日程が急に決まったので、そこはパスすることにした。残念だが次回の休日倶楽部パスの時にトライすることにした。と言うことで、初日は

「蕎麦の旅、小諸・草笛」
台風崩れの熱帯低気圧の影響で小雨交じりの天気となった信州は佐久平。北陸新幹線の停車駅だ。ここからJR小海線に乗り換えて「小諸」に向かう。(写真:A2)
生憎の天候で浅間山も見えない。
小諸城跡にその店はあった。まずは第二次小諸合戦の場で、徳川秀忠が本陣を築いたのがここ小諸城なのだ。「三の門」前だ。(写真:A3)
「秀忠公の本陣跡」(写真:A4)
ではこの戦いは何故起きたのか?
有名な天下分け目の「関ケ原」の合戦に家康の東軍は豊臣恩顧の大名たちを家康自ら率いて東海道を西に登り、息子の秀忠を東軍別動隊として3万人を与えて中山道に向かわせた。一方上田城に立て籠る真田軍がその進路を防ぐかの如く上田城に籠城した。ここで徳川対真田の戦いとなる。この戦いは真田有利で手こずり長引いたために秀忠は関ケ原には間に合わず遅れるという大失態を演じてしまう。秀忠が関ケ原に着いた時には既に戦いは東軍の勝利で終わっていたが、数の上では西軍有利だっただけに、ひょっとしたら負け戦になっていたかも知れない事態に激怒した家康。秀忠には会おうともしなかったという。それほどの失態だった。
三の門だ。(写真:A5)
門の中に入る。(写真:A6)
そこに蕎麦屋「草笛」がある。(写真:A7)
頼んだのは「くるみそば」。くるみをペースト状にしたものを蕎麦のうゆ出汁つゆで溶きながら蕎麦を手繰る。(写真:A8)
蕎麦は量が物凄くあった。(写真:A9)
今までに食べたことのない食感の蕎麦とつゆ。ちょっと甘めのくるみが不思議な味を出す。
その他「かきあげ」も注文した。結構大きい。(写真:A10)
観光客が次々と入店してくる人気店だった。窓越しに外を見る。(写真:A11)
近くの「懐古園」という庭園にあった人形たち。可愛いね。(写真:A12)
小諸駅だ。小さな駅だ。レトロですね。(写真:A13)
天気が良ければなあと思った次第でした。

「孫娘」
今月9月に9歳の誕生日を迎える孫娘の一人「凛」ちゃんだ。(写真:A1)
夏休みのひと時を日光で過ごしたという時の写真だ。元気で育ってね。孫を観ると感慨深い。

「杖なし歩行」
先週のハワイ行きから杖の使用を止めた。多少身体がぶれることはあるものの、意外にしっかりと歩けるようになってきた。いつまでも杖に依存していると困ることになりそうな気がして杖とおさらばした。