「想い出話しの続き」

「七月の満月」
写真は七月の満月ではない。半夏生の月だ。(写真:M満月)
月齢14.9だからほぼ満月と言ってもよいだろう。
その後の満月や十六夜の月は残念ながら雲で見えなかった。

「七夕」
七夕があったなんて意識したこともこの最近はなかったが、マンションの入り口に七夕飾りがあり、認識した。(写真:A1)
(写真:A2)

「想い出話しの続き」
普通の会社になったD社は徐々に業績を回復させていった。元々香港の子会社の倒産という予想外のことが引き金となって連鎖倒産したD社だったが、力はあったから業績は堅調に推移した。そこに目を付けたのが、大阪の同業者G社で、名古屋の同業者と、D社の3社を経営統合して東京市場に再上場を図るというものだった。狙い目はD社の工場群だったのだろう。D社は伝統ある東証一部上場会社だったから、製造設備は立派なものをもっていた。それやこれやあって結果として、私も同意させられ3社は統合し、「ジャパン・パイル」となった。この時の株式交換比率の結果、D社株一株は18円でジャパン・パイル株一株50円となった。それが上場されて一時は1200円まで上がったから大変だった。勿論私は売ることは出来ない。インサイダーになってしまうからだ。そして59歳の6月末にジャパン・パイルを退社し、自由な身となったのだった。そこからは海外旅行ばかりの生活になった。
2008年6月の退社後からコロナになるまでの約14年間に72回の海外旅行に行った。まだ行ってない先も沢山あるが、コロナ禍には旅にも行けず、今になって思えば72回も旅を出来たことに感謝すべきだろう。身体も駄目だから、これから旅行だと思ってももう行くことは出来ない。