「高輪、泉岳寺、品川」

江戸時代の古地図で高輪や泉岳寺を観ながら歩く。日本橋を出た「東海道」は、今の「泉岳寺駅」のところからは街道の横はもう直ぐに江戸湾の海になっている。そしてこの先品川を過ぎて八つ山までの陸側は「お寺」と「大名旗本屋敷」なのだが、それらと街道の間が「宿場町」となっていたらしい。即ち、江戸湾の波打ち際に「東海道の街道」があり、「宿屋」が道に沿って立ち並び、その後に「寺や武家屋敷」が立ち並んでいるという具合だ。赤穂浪士で有名な「泉岳寺」もそうだが、品川の先「御殿山」は有名な「桜も名所」で観光名所になっていたという。江戸前の魚を食べさせる店もあっただろうし、春の桜の盛りにはきっと江戸から多くの人が訪れ、海を楽しみ、食を楽しみ、桜を愛でたことだろう。今は全て海側は埋め立てられており、そんな面影を見ることは出来ないが、今から150年も前はそこは海だった訳だから。国道一号線の海側というのは、今はJRと京急の線路と駅舎だが、かつてはあそこが浜辺で沖合いまで海が続いていたということなのだ。仄聞するところによると、江戸時代はこの品川の浜で潮干狩りが出来、大層な人で賑わっていたという。なんとものんびりした光景だったろうか。

「亀島川の河口」
隅田川に流れ込む「亀島川」の一番隅田川側にあるのが「南高橋」「日本橋川」から小網町のところから分岐して南側に流れている。こうして出来た島が「新川」だ。新川は北側に日本橋川、東側に隅田川、西と南側に亀島川に囲まれている。写真は南高橋から亀島川を上流のほうに観たものだ。こんなところに沢山の船が係留されていることにびっくりさせられた。正に江戸は「水都」でもあった訳だ。恐らく昔はこの辺りは「船宿」等が沢山あり、船を使って水遊びやはたまた水運に利用されてきたのだろう。

「オムロンは偉い」
健康関連商品の製造販売の「オムロン」の体脂肪も図れる体重計をもう5年ほど前に購入して家に置いてあったのだが、液晶侮ヲ板の一部が欠けて侮ヲしなくなっていたので、オムロンに電話してみた。するとクロネコヤマトで引き取り修理してくれるという。「修理に料金が掛かるようだったら電話する」ということだった。翌日早速クロネコさんがやってきて体重計を渡した。それから1週間。電話がなかったから「ただで修理してくれたのかなあ?」と思っていたら、届きました。液晶画面は修理されており、尚且つ電池も取り替えてくれていた。綺麗に掃除までしてあり、新品同様になって返って来た。ありがとうございました。感謝します。「オムロンは偉い」

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