「中学同級生たちの集まり、後記」

先日の中学のクラス会での写真で右から「K君、O君、そして私」だ。昭和23年生まれか24年早生まれの団塊の世代たちだ。その中の誰かが世界55カ国に旅したと話していたので、これまで余り計算してこなかったが、私は果たして何カ国なのか、勘定してみることにした。アジアは「中国、韓国、台湾、香港、マカオ、ベトナム、カンボジア、マレーシア、タイ、シンガポール、インドネシア、スリランカ」で13カ国、オセアニアは「オーストラリア、ニュージーランド」で2カ国、北米は「アメリカ、カナダ」で2カ国、中南米は「チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル」で4カ国、中東アフリカは「アラブ首長国連邦、カタール、バーレーン、エジプト、チュニジア」で5カ国、ヨーロッパは「フィンランド、スウェーデン、ノールウェイ、ロシア、オランダ、ベルギー、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、ギリシャ、スイス、スペイン、オーストリア、チェコ、スロベニア、ハンガリー、クロチア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア、イギリス、トルコ」で23カ国。合計は「49カ国」でした。今年はこれに「ポルトガル」が加わる嵐閧セ。まだまだ行っていない国が沢山あるなあ。これからは年2回程度に減らして海外旅行に行くつもりだ。ANAのマイルも7万マイル以上貯まっているから、ヨーロッパでもアメリカでもただで行けるから、それも考えて嵐閧??gむつもりだ。
私が中学に入学したのは昭和36年だ。学校は横浜市港北区日吉に今もある。東横線の日吉駅から歩いて10分ほどだった。だが、当然のことながら日吉駅から電車で渋谷方面に帰る同級生は多いが、横浜方面に帰るのは数人だった。だから少数派はだいたい一緒に帰ったものだった。他のクラスも同様で横浜方面に帰るのはやはり少数派。だからそれなりに仲良くなった。多数派の渋谷方面組は多過ぎて分からないが、中学時代の生活は本当に楽しかった。いじめなど全くなかったし、毎朝、バスケットか野球をやりに始業時間の1時間も前に登校していた。本当に楽しい中学時代だった。中学入学時のクラスはそのまま卒業時まで同じなので3年間親しんだ仲間達との再会は本当に楽しかった。今はどうか知らないが、当時は一クラス50名で5クラス、合計250名、内小学校からの進学組が100名で外部から受験してくるのが150名だった。「ベビーブーマー」と呼ばれた世代だった。

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