「三月大歌舞伎」

「三月大歌舞伎」第2部(写真:K1)

「河内山」天衣紛上野初花 質見世より玄関先まで 河竹黙阿弥作(写真:K2)
河内山宗俊は江戸城の御数寄屋坊主(当初は片岡仁左衛門が演じる予定が休演のため、代役で中村歌六)。質屋の娘が松江出羽守の上屋敷に行儀見習いで腰元として入っていたが、松江公が妾にしたいと言い出し、断ったところが
監禁されてしまい、死ぬと言っているとのことを知った宗俊は質屋に乗り込み「自分が救出するから200両出せ」と言う。この時代の200両は今の価値で1800万円から2000万円程度か。それを親類の和泉屋が了解したので、宗俊は上野寛永寺貫頭の宮様の代理の僧として乗り込む。脅し透かして松江公を漸く納得させるのだが、玄関先で一騒ぎ起こるというもの。御数寄屋坊主とは江戸城内のお茶の係だ。
(写真:K3)

「芝浜革財布」
大正11年に六世菊五郎が演じたもので100年が経過している。今回は七世「尾上菊五郎」が演じる。落語では三遊亭円朝が生んだと言われている人気噺だ。
魚屋の松五郎は朝七つ(午前4時頃)に起こされて家を出たものの夜明け前で魚市場は当然開かれていな。偶然芝浜(今の浜松町辺り)の浜辺で革の財布を拾う。そこには大金が入っていた。一度家に戻った政五郎は財布を女房に預け風呂屋に行き、仲間を家に集めてどんちゃん騒ぎを起こし寝てしまう。財布の中身に気付いた女房「おつた」は大家経由で役所に届ける。そして目覚めた政五郎には「あなたは夢を見て、財布を拾ったと思っているのでしょう」と嘘を言い、政五郎の奮起を期待する。3年後、まじめに働いた政五郎夫婦は立派な角見世の魚屋に出世していた。そこで遂におつたがは政五郎に白状するのだが、政五郎は逆におつたに感謝するのだった。(写真:K4)
(写真:K5)
この歌舞伎の中で納豆売りがやってくる場面がある。おつたが納豆を買うのだが、その金額が13文だった。これは当時の蕎麦が16文だから、高いか安いか。現在の価格で言うと約300円強だからどうだろうか?今の我々が安過ぎる納豆を食べているのかも知れない。