「いよいよ手術」

5月1日に「聖路加国際病院」に入院した。午後から「検査」だ。造影剤を脊髄に入れて、具体的な手術箇所を確認するという。午後1時45分、検査室入室し、腹ばいになり局所麻酔を打たれ、いよいよ造影剤の注入となるのだが、なかなか骨と骨の間が抜けず、時間ばかり掛かる。およそ一時間ほどして漸く注入されたが、今度は一部の脊髄部分が狭くなっていて造影剤が下のほうに行かない。「脊柱管狭窄症」そのままの状況だ。一度起こされて屈伸や歩行をして漸く造影剤が下に流れた。あとで結果を見てみるとかなり細くなっている部分があり、2月の検査より更に大きくなっているという。写真を見ても本当に狭くなっているのがはっきり分かる。まるで「砂時計」のように造影剤が写っている。そのくびれの部分が悪い袋の部分なのだそうだ。結果としてくびれは二つの袋を写していたということになる。その後、CT撮影をして1時間半の検査が終わった。明日は朝8時に手術室に入るという。全身麻酔で「内視鏡」での手術だ。上手く行けば1時間ほどで、長ければ3時間だという。さあ、どうなるのやら。
5月2日
「手術当日」
朝6時までぐっすりと眠った。昨晩は「睡眠導入剤」を飲み、10時就寝したが、一度も目を覚まさなかった。心地よい目覚めだ。勿論水も食事も抜きで8時には手術室に入る。横たわり全身麻酔ですぐに意識がなくなる。目覚めたら午後1時30分だった。手術は無事終わったとのこと。なんと「水の入った袋」が2つあり、一つは前回より大きくなっていたという。両方ともに除去したそうだ。部屋に戻るが、身体には「尿のチューブ」「点滴両腕」「腰に血抜きのチューブ」が付いていた。気が付いたら「おでこ」にたんこぶが出来ていた。胸も圧迫されたのか痛い。3時間強もの間うつ伏せになって手術を受けていたのだから、当たり前といえば当たり前で身体の前の部分が圧迫されて痛くなっていた。さてベッドの角度は30度まで傾けることが出来るが、勿論歩行は不可。更に両足にはポンプで空気袋を膨らませ、足を圧迫させる機械が付けられた。理由は血栓を防ぐためだという。お蔭様で術後の痛みは殆どない。一応痛み止めを飲んだが、殆ど必要ないような状態だ。助かった。夕食はお粥中心で、30度の角度で寝たままで食べる。お腹はごろごろとなるが出るのは空気だけ。夜は9時に眠ったが、数時間おきに看護婦さんがチェックに来て、色々と調べるのでうつらうつらで目覚めたのが朝5時だった。痛みが殆どなかったことが救いだった。どうやら手術は成功したようだ。
5月3日
「尿のチューブ」「点滴一つ」「足のポンプ」が外された。看護婦さんに見られながらトイレまで歩き、排泄をする。気持ちよかった。残る背中のチューブは明日になれば外せるという。医師がやってきて、「今日はベッドで基本的にはいること。明日は100m位ならば歩いてもいいこと。300m歩ければ退院です」とのことで早ければ月曜日、遅くとも火曜日には退院出来そうだ。腰の手術した部分は若干痛いが、その他これまで痛かったところは大丈夫なので、早く回復することを祈ろう。やはり「内視鏡手術」は素晴らしい。身体への負担が少ない分、回復が早い。手術後、数時間での歩行が可狽セし、恐らく今後の手術の主体になっていくのだろうと思った。
5月4日
世の中は連休後半で観光地は大忙しだろうが、私はゆっくりした病院生活をしている。お腹が減るのが唯一困るが、これもダイエットと思って我慢している。今日から歩行開始だ。まずは院内を歩こう。約100m院内を医師と供に歩いた。すたすたと歩けたし、痛みはない。ただ、長い間ベッドに横になっていたので、尻から太ももの後ろが痛いが、これは腰の痛みから来るものではないのだろう。徐々に身体を慣らしていかないとならない。身体から全てのチューブが抜き去られ、背中の傷跡に張られたテープ以外は目立ったものはなくなった。これで普通になったといえよう。後は体力の回復を待つだけだ。明日は300歩こう。
5月5日
医師が傷口の消毒をした後、「手術のビデオ」を見せてくれた。内視鏡の先端に付けられたカメラによるもので、約1.6cmの穴を背中から空け、第4間接と第5間接の間に内視鏡が差し込まれ、一部の脊髄の骨を削り、そこから袋を取り除くものだった。神経の束に張り付いている袋は2cmほどの大きなのと1cmほどの小さなのとの二つ。除去にはかなり手間が掛かったようで神経を傷つけてはならないので、慎重に行われている様子が手に取るように分かる。看護婦さんたちも集まってきてビデオ見学となった。3時間掛かったようだが、どうにか問題の部分を除去し手術は終了した。約10分に纏められた内視鏡の映像でした。ビデオは本当に便利だ。これで全ての手術が分かるのだから、失敗も成功も分かってしまう。驚きだった。その後、200mほど歩くが久々の歩行なので疲れてベッドに横になる。明日は300m、そして連休明けの火曜日には退院という運びとなった。

「手術翌日の私」

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