手術後記

「J  REPORT 2013 5月第3週号」
「リタイアメント・ノート 4年11ヶ月目」、
「VOL。793 SINCE AUG.12th、1983」
「手術後記」
ここで先日の手術の状況を振り返ってみよう。まず5月2日の朝7時40分に歩いて5階の病室から、4階の手術してまで看護士の付き添いの元、歩いて向う。そしてベッドに横になり、口を鼻を覆う透明なプラスティックのマスクをさせられ、当初嵐閧フ8時より少し早めに麻酔をかがされる。看護士の女性が綺麗だったので「綺麗で助かった」と冗談を飛ばしたところで意識がなくなった。そして気が付いて時間を尋ねたら「午後1時15分」だった。だから約3時間の手術だったようだ。後日見せてもらったビデオと医師の話しを総合して、手術中の経過を考えてみた。後で気が付いたのだが、身体の前面、胸から下腹部までぴったりとした透明なシートが唐轤黷トいた。理由は患者によっては水泡が出来るためだそうだ。というのも私はその後、仰向けにされて特殊な手術台に乗せられた。腰の部分が一番高くなるような台に仰向けで数時間いるのだから、おでこには「たんこぶ」が出来ていたし、胸の大半に圧迫によると思われる痛みがあった。そして背骨のちょっと右側から直径1.6cmの管を入れる。これが「内視鏡」だ。この管を通じて数種類の細い器具を入れて手術するのだ。ビデオでまず移ったのが、背骨を削るシーン。「回転する器具」が骨を削っていた。恐ろしい。脊髄と脊髄の間に管を挿入するには骨が邪魔をするらしく、管が入るスペースを造るために削っていたようだ。そして「先に丸い玉が付いた器具」これは引っ掛けるためのもの、「挟み状のもの」「鳥のくちばしのようなもの」等々を入れて、体液が入っている袋二つを取り除くのだが、すぐ後には真珠色をした「神経の束が入っている筒状のもの」(これが一番大切なのだが)、これを傷付けないようにしながら、患部を取り除くのだ。真っ赤な袋が切り刻まれ、鳥のくちばしで外に出されるシーンが続く。さて、入院後の検査の写真がある。左側は「造影剤」の流れを追っているものだ。本来真っ直ぐに進まなければならない造影剤が途中で「砂時計」のようにくびれてしまっている。この部分に「袋」が二つ出来ており、脊髄の中を走っている神経の束を圧迫しているのがよく分かる。右の写真はレントゲン写真だが、これもくっきりと二つの袋が見えている。こうして約3時間に亘る手術が10分程度に纏められていたビデオを医師の説明の元に観る事が出来た。手術後、ベッドに戻ると、酸素マスクと、両手には点滴の針が刺さり、点滴は一箇所、尿の管が出ていて、腰の患部からは血を抜く管も出ていたが、不思議と痛みは殆ど感じなかったのは幸いだったと言えよう。痛み止めの薬は最初の晩は飲んだが、それ以降は全く飲まなかった。そして1週間後退院することとなった。医師の説明によれば、再発生の確率は他病院で5%程度なので、勿論当病院ではこれまでにないが、ほぼ完治するとのこと。実際には1週間経って、右の尻と右太もも外側が動くと痛む。これが脊髄からきているものなのか?それとも長期間にベッドに横たわっていたためなのか?まだ分からないが、必至にリハビリでウォーキングして身体を治すことに専念している。

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