「大江戸の華展」

「J  REPORT 2021 8月第5週号&9月第1週号」 
「リタイアメント・ノート 12年3ヶ月目」
「VOL.1227 SINCE AUG.12th、1983」
「大江戸の華」展
江戸東京博物館で開催中の「大江戸の華」展を訪れた。(写真:C1)
徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年から約260年の太平の世が続いた江戸時代。大都市「江戸」は武士や町人の文化が花咲いた。そんな文化の一端を垣間見てみよう。(写真:C2)
まず入り口に飾られていた武具は「色々威胴丸具足」でこれは2代将軍秀忠の時代(当時家康は駿府で大御所として院政を敷いていた)の1613年に英国王からの親書と土産物があり、それに対する返礼として英国王に贈られた具足で当時の最高の芸術品である。(写真:C3)
王立武具博物館よりの里帰り品でもある。
この「乗り物」は将軍家光から下賜されたもので将軍家か御三家しか乗れなかった。(写真:C4)
「白梅塗本小札青糸威童具足」(写真:C5)
「11代将軍家慶の七男の具足」(写真:C6)
「白紺糸威丸具足」徳川家のみ使用が許されたもの。(写真:C7)
「本小札紅糸威胴丸」(写真:C8)
「切付盛上札啄木紺糸威二枚胴具足」(写真:C9)
「太刀 銘 景光」(写真:C10)
「刀 朱銘 三原」(写真:C11)
将軍から大名に贈られたもの。
「刀 無銘 伝 来国行」(写真:C12)
「梨子地星梅鉢紋散木目文刀筒」(写真:C13)
刀筒は大名行列の際に刀を入れて運ぶもの。実に派手なものだ。
「日吉山王社参詣図屏風」家光嫡男竹千代(後の将軍家綱)の参詣風景。(写真:C14)
「将軍黒印状」(写真:C15)
大名が代替わりする際に将軍から下されるもので基本は領土を安堵するということが書かれた短いものだが、これがなくては安心できない重要なものだ。
「絹本著色 徳川秀忠」(写真:C16)
富永稲荷への1848年の「四神旗奉納額」(写真:C17)
富永稲荷への1823年の「石灯籠」(写真:C18)
これらは大店「鹿嶋屋東店」からの奉納品である。「鹿嶋屋東店」は豪商で、その後発展し、西店や出店が次々と出来て行った。鹿嶋屋東店に伝わる富永稲荷の「社殿」(写真:C19)
同様「賽銭箱」(写真:C20)
同様「古今雛」(写真:C21)
同様「獅子頭」(写真:C22)
「邸内邸外外遊楽図屏風」(写真:C23)
(写真:C24)
多くの町民が春は花見に、秋は紅葉を楽しんでいる。
「黒紅練緯地宝尽模様腰巻」(写真:C25)
武家の婦女の夏の正装が腰巻だ。
「紫縮緬地御所解模様小袖」(写真:C26)
婚礼時の「香箱」(写真:C27)
武家の婦女子にとって一生に一番大切で且つ派手な儀式となるのが「婚姻」だった江戸時代。婚礼の時の品々は非常に重要だったと言えよう。
「黒塗梅唐草 丸に三階菱紋散蒔絵女乗物」(写真:C28)
{同 内部}(写真:C29)
これは13代将軍家定の生母「天寿院」のもので、内部には源氏物語が描かれている。非常に高貴な方の乗物だ。
「唐草蒔絵盥」と「輪台」(写真:C30)
「楽宮下向絵巻」(写真:C31)
(写真:C32)
(写真:C33)
(写真:C34)
12代将軍家慶に嫁ぐ「楽宮」の婚礼の行列だ。
「銀小札変り袖白糸威丸同具足」(写真:C35)
武家の婚姻は家同士で決められ本人同士は婚礼日まで会うこともなかったという。そして妻に求められるのは世継ぎの出産だ。男子を生むことを義務付けられていた。今からは考えられない時代だったと言えよう。
紀州家から分家した伊予国西条の松平家のもの。
「金小札変り袖白糸威丸胴具足:(写真:C36)
紀州家のもの。金と銀とあるので、多分兄弟のものであろう。
江戸の文化を少しは楽しめましたか?