「旅暦回顧録 第3話 エジプト編」

「旅暦回顧録 第3話」「エジプト編」
2008年9月にエジプトに行った。アフリカは初めてだった。中東経由でエジプトでも南の方に航空機で乗り入れた。そこから色々な神殿を訪れたのだが、名前は忘れた。(写真:A1)

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余りにも神殿というか遺跡が多くてとても覚えられない。王家の谷だ。沢山の墓があった。(写真:A2)
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街中でもロバが活躍?していた。(写真:A3)
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アスワンハイダムの建設により、水没してしまう遺跡を移設したのがあった。(写真:A4)
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春分と秋分の日には太陽が遺跡内部に入り込む現象がみられることでも有名だ。
ギザのピラミッドとスフィンクスだ。(写真:A6)
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ナイル川を下る。(写真:A5)
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移動にバスを使うのだが、多数のバスがコンボイを組み、警察官が先導し、またバスの中にも武器を持った警察官が同乗し観光地に向かうというものものしさ。勿論テロ対策だ。
驚いたのは片側5車線位の幅の広い高速道路を走って横断する人がいることだ。勿論信号がないからだが、とてもではないが日本では考えられないことだ。当時のエジプトはアラブの春の前だし、貧富の差はかなりあるようだった。
首都のカイロではあの有名な博物館に行った。黄金のマスクがある博物館だが、撮影禁止だった。(写真:A7)
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それにしてもエジプトは街が汚い。後進国なのだろう。アラブ人は商売人なのだろうが、観光客には冷たいという印象だった。だって、砂漠で生涯に一度しか会わない人たちと駆け引きして生きてきた訳だし、観光客など正に一見さんなのだから。
最後の夜はカイロでナイル川クルーズでの夕食だったが、生ものは食べなかったにも関わらず、翌日から物凄い下痢になり、帰国便の機内ではトイレに何度行ったことやら。
遺跡の多さに驚かされたエジプトの旅でした。途中でリーマンショックが起き、株価暴落に慌てたものでした。