「独立広場にて」

3月3日(火)
日本では「桃の節句」の日だ。雛祭りのお人形さんたちが並んでいるのだろう。首都タシケントに着いた我々は、その足で「独立広場」に向かう。1991年ソ連崩壊・分離独立を記念している広場だが、元々は帝政ロシアから共産党政府が革命に勝利したことで造られた広場で、それまであった「レーニン像」を取り壊したという。広場の一角に「永遠の炎」が灯されている第二次世界大戦の慰霊碑があった。州ごとに戦没者の名簿があったが、それらは大半が20代の若者たちで彼らの名前が刻まれていた。そこを祖父と孫が歩んでいた。祖国のために命を捨てた若者たちは何を望んでいたのだろうか? 今、生きていれば、80歳代後半から90歳代の老齢者だが、拙く戦場の霧となってしまった若者たちは我々に何を残したかったのだろうか? 考えさせられる光景だった、思い返せばあっという間の1週間だった。若い国「ウズベキスタン」、まだまだ都市と農村部の格差はあるし、インフラの未整備は問題だ。だがこの国はきっとやり遂げるだろう。何といっても人間性がいい。全ての観光を終えて夕食も終えてホテルに戻る。バスの車内で現地ガイドが会社からのお土産ですと言って、男性にはスルタンの帽子、女性にはお妃の冠を記念にといって配ったが、意外に似合っていて皆で大騒ぎになった。旅の恥はかき捨てはないが、まあ楽しい旅だった。だが残念なことに携帯用ウオッシュレットを壊してしまい後半は使えなかった。あれがないと困るのだ。仕方がない、諦めて新しいのを買うとしよう。

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