「コウノトリ」

「コウノトリ」
ブルガリアのエタルという町で「コウノトリ」が巣を作っているのを観た。民家の煙突の上に巣を作り、そこで子育てをしているとのことだが、コウノトリを観たのは初めてだった。それにしてもブルガリアは暑かったが、数百キロしか離れていないルーマニアが涼しかったのには驚かされた。それとブルガリアの首都ソフィアから約150km離れた第二の都市「プロヴディフ」の近郊で相撲の琴欧洲関が育ったという話しを聞いた。ブルガリア語で「おはよう」は「ドブロ ウートロ」というらしい。ルーマニア語では「ブナ ディミニァーチャ」という。ツアコンの寺ちゃんが語学口座を開いて教えてくれた。現地の人との発音の差はあったが、それでも朝、現地語で挨拶するのは非常によいことだと思う。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?74」
久し振りの江戸時代の話しをしよう。
「札差」
幕府の直参の侍たち、所謂「蔵米取」たちは幕府から支給された米を自家用を別にして、残りを「札差」に売り渡す。この換金作業をする札差は手数料を取った。米から現金に換金された金子で直参は暮らしのやり繰りをした。但し、幕府の米は一括して蔵前の御蔵役所に集められ、札差は得意先の禄米分から手数料を引いた現金と自家用の米を直参の家に運んだ。この札差の得意先の直参を「札旦那」と呼んだという。また逆に札旦那は札差のことを「蔵宿」といった。

「棄損令」(きえんれい)
度々発せられた棄捐令とは? 「諸向御救いのため」として「旗本 御家人の新たな借入は、向こう20年間無利子、割賦とする」「旗本 御家人尾五年以下の借金は是も、無きものとする」「札差 両替商への返済には町会所への積立金を充てる」ことで、寛政元年(1789年)松平定信が出したもの。その後天保14年(1843年)には「無利子年賦返済令」が出され、これはこれまでの借金を全て無利子とし、元金の返済は20年とするというもの。これで旗本・御家人は喜んだものの、札差たちは怒り、それ以降武士に金を貸さなくなった。逆に武士は更に困窮したという。謂わば借金棒引きなのだから怒るのが当たり前だ。この措置で倒産した札差もいたらしい。

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