「和製漢字」

「和製漢字」
日本人は外から来たものを自分自身に実にうまく取り込むことが出来る民族なのだと思う。
大和言葉には文字がなかった。そこに中国から漢字が伝わった。当時は呉の発音(呉音)で伝わったという。それを大和言葉に置き換えて「ひらがな」と「カタカナ」を造った。正に消化して発展させたことになる。更に漢字の中には、日本人が独自で作った漢字があるのだ。それが「和製漢字」だ。
例えば「峠」「笹」「畑」「辻」「榊」「凧」などがある。これらは中国語にはない和製漢字だ。
一方、外来語が入ってきて、それを訳すために日本で作られた和製漢字があり、それを毛沢東が使った例が次の文字である。これらは中国語にはなかった。
「共産」「主義」「資本」「階級」「思想」「政治」「経済」「文明」「文化」などだ。これがないと「中華人民共和国」という国名もなかった。日本人が作った和製漢字で国名を作るとは思わなかっただろう。
更に、その後も中国語に入っていった例の一部を示す。「哲学」「宗教」「法律」「歴史」「地理」「産業」「医学」「軍事」「芸術」「文学」「独占」「投票」「作戦」「投資」「個人」「恋愛」「警察」、まだまだ色々とあり過ぎるが、中国人はこれらの漢字が日本製であることを知らない。殆どの人が中国語の漢字だと思っているというのだ
調べてみると如何に和製漢字が多いかが分かる。他の文化を吸収する能力の高さが日本人の本質に根付いているのだろう。例えば16世紀半ばの1543年に種子島に鉄砲が伝わったが、それらを量産するようになり、信長のようにそれを使いこなす武将まで現れたのだ。当時世界中で一番鉄砲を持っていたのが日本だったというから驚きだ。
「長篠の戦い」で武田氏の騎馬部隊を破ったのは、1575年で鉄砲伝来からたったの32年なのだ。資料に依れば、3000丁の鉄砲で武田軍を三段構えで連続射撃を行ったという。信長軍が強かった訳に兵士の専従化があるという。それまでの軍隊は一部の武士階級に、大半は半農半兵士で農繁期には農業に従事し、戦争の時のみ従軍するという兼業兵士だった。しかし信長軍は殆ど全てが専従の兵士で農耕を行っていなかった。それだけ信長の経済力が強く高かったということか。
話しはそれたが、いずれにしても日本人の外来文化の吸収力の凄さが、我々の文化を築き上げた原動力であったことは否めないだろう。