「紙と戦争」

「さいたま歴史研究会11」
「紙と戦争」
「さいたま歴史研究会」の今月の題材は、「風船爆弾」。太平洋戦争当時、日本から偏西風に乗せてアメリカ本土に爆発物を載せた風船を放ったというのだ。今の明治大学生田校舎は元々「陸軍登戸研究所」のあった場所で、そこで風船爆弾の研究開発が行われた。昭和15年から研究されて完成は昭和19年11月。この作戦名は「ふ号作戦」風船の「ふ」だ。直径10mの風船は「手漉き和紙」67cmx61cm、4000枚を紙を5層に貼り合せて800枚にして風船を作った。気球の重さは53kg、高度維持装置25kg、砂を入れた重り30個x2.4kg、爆弾35kgの合計187kgに水素ガスを入れて上げる。高度1万mで偏西風に乗せてアメリカ大陸に到達させるというものだった。19年11月から20年3月までに合計約1万個打ち上げたという。その内、アメリカ本土で確認されたものだけで361個あったという。オレゴン州ではピクニックに来ていた牧師の妻と少年ら5人が爆発で死亡した。当時アメリカは国民に不安を与えないため報道管制したため広く知られることはなかったという。少ないがアメリカ東部まで届いていたものもあったという。詳しくは明治大学平和教育登戸研究所が発行している小冊子に示されている。(写真:小冊子、紙と戦争)

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風船爆弾には日本独特の手漉き和紙が使われ、それを女子挺身隊の女学生が貼り合せていたという。回収された現物の風船爆弾は今もワシントンDCのスミソニアン博物館に保存されている。多分不発弾だったのだろう。またこの陸軍の研究所では「贋札造り」も行われており、蒋介石軍の中国元の五円、十円札を偽造し大陸に送り経済を崩壊させようとしたのだが、その後の急激なインフレのため米英が支援で新しい札を印刷し、千円、一万円、十万円札が発行されたので全く経済効果はなかったという。しかし、贋札造りの関係者は戦後10年契約で再度米軍に高給で雇用され、ロシアルーブルの偽札造りに従事したというから面白い。