「人生は旅の如くー2008年編・後半」

「J  REPORT 2024 4月第1週号」
「リタイアメント・ノート 14年10ヶ月目」
「VOL.1361 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。㔟古口
追加して「癌になるな」もね。

「人生は旅の如く1-2008年編・後半」
~人の一生は自分探しの長い旅なのかも知れない~(作家:岩室忍)
食の話しをしよう。
7月のカナディアンロッキーではビーフとキングサーモンのステーキを食べ捲った。それと美味しかったのは海のミルクと言われる生牡蛎だった。バンクーバーでは生牡蠣を2ダースも食べた。ハンバーガーも食べたが、余りに大きかったのとフレンチフライが多過ぎて食べ残した。兎に角日本人には量が多過ぎた。
8月、長女次男との家族旅行の初日はバルセロナの港で名物のパエリアを食べたが、これは魚介類の旨味が溢れ出し実に美味しかった。確かコルドバだったと思うが闘牛場近くのレストランでステーキを食べた。スペインのステーキなんて美味くないだろうと思ったら意外や意外、大変柔らかな肉で美味しかったので驚いた。世界をまだ十分に知らない私でした。アルハンブラ宮殿のあるグラナダに着いたのはもう深夜だった。ホテルに入る前に食事をしようと市内をさまよっていたら中華料理店のみが開いていた。世界中に中華料理はある。中華系の人がいたのでチャーハンを頼んで食べたが、腹が減っていたので地獄に仏の思いだった。息子の住む地中海沿岸のマラガはピカソの生まれた街だ。所謂バルにて立ち食い立ち飲みで魚介類を食べたが、これは最高のおつまみだった。日本人ならば誰でも好きになる料理だった。オリーブオイルと塩味と胡椒のみの魚は抜群だ。この街で初めて闘牛を観た。闘牛士の学校の卒業式での催しで入場無料だったが、余りにも簡単に牛を殺すのをみてぞっとした経験がある。意外だったのがフランスで殆ど食に関しては思い出がない。1週間もいたのに記憶がないとは!フランスの旅ではベルサイユ宮殿やルーブルやオルセイユらの美術館や市内観光は勿論モンサンミッシェルにも行ったのに、食に関しての記憶がないとは何だったんだろう?
9月のエジプトには下痢止め薬を用意していき準備万端だったが、帰国直前にナイル川クルーズで腹を壊し帰りの機内ではトイレとの往復だった。苦しかった。
同じく9月のオーストラリアはやはりステーキ中心の食事だったが、余り印象にない。後に旅した東のシドニーや西のパースでは食を楽しむ余裕も出て来ていたが、この当時はまだまだ観光一筋だった気がする。
1984年の最初のニューヨークでは風邪を引き殆どホテルで寝ていた。唯一エンパイアステートビルの屋上に登っただけだった。10月2度目のNYKには1週間滞在した。マディソンスクエアガーデン前の巨大なホテルで2000室以上あった。セントラルステーションの地下で食べたのと、ボストン港でのクラムチャウダーに無茶苦茶感動した。また日本人の経営する寿司屋に三晩も通い大西洋の魚を堪能した。勿論ステーキも食べたが余り記憶がない。アムトラックを利用して行ったワシントンDCでは南部名物のナマズ料理を食べたかったのだが時間がなく実現したのは2015年になってからだった。旅と食事はやはりセットで楽しむことが肝要だ。
次回は2009年5月のイギリスの旅から話しを始める。