「十八世中村勘三郎十三回忌・追善二月大歌舞伎観劇記」

「十八世中村勘三郎十三回忌追善・猿若祭二月大歌舞伎」観劇記(写真:K6)
早いものだ。十八世勘三郎が亡くなってもう12年も経ったのだ。(写真:K2)
その息子たち「勘九郎」「七之助」の活躍振りに期待する。
歌舞伎が江戸で始まってから400年を経て、その歴史も伝統も受け継がれながら更に進化していくのだろう。100年後もこれらの芸能が日本で楽しめることを祈る。
このちょっと色の変わった定式幕が追善の意味があるという。(写真:K2)

「新版歌祭文 野崎村」
所謂お染久松の心中物のそれ以前を描いたもので、野崎村の百姓久作の元へと義理の息子である「久松(七之助)」が急に帰って来る。喜んだ久作は娘のお光(鶴松)との祝言を揚げようとする。だが実は久松は奉公先の油屋の娘お染(児太郎)と熱愛し合っていた。それを知らず喜びに沸く久松とお光。だがお光は二人が結ばれなければ心中するとまで覚悟していたことを知る。お光は自ら髪を下ろし尼になり二人の行く末を祈るという人情物だ。

「釣女」
室町時代、土地の大名(地方豪族のこと=萬太郎)が縁結びの神と名高い西宮戎神社へ妻と得たいと願う。同行するのは太郎冠者(大名の部下=獅童)。神社でお祈りをすると夢に神様が現れ釣竿を与える。それを使って大名は妙齢の美しい上臈(新吾)を得て祝言を揚げる。
一方、太郎冠者もその釣竿で女性を吊り上げるのだが???
良く演じられるものだが、思い出せば勘三郎の名演技が蘇る。

「籠釣瓶花街酔醒」(写真:K3)
下野国佐野の絹商人「次郎左衛門(勘九郎)」は初めて訪れた吉原(新吉原の事で明暦の大火後浅草の田圃に移された)で花魁道中を観て、絶世の美女「八ツ橋(七之助)」に一目惚れする。それから足繁く通い馴染みになった次郎左衛門は遂に見受けの話しも始めるようになった。一方八ツ橋には情夫「繁山栄之丞」がおり、八ツ橋の義理の父が次郎左衛門への恨み妬みから栄之丞に八ツ橋に次郎左衛門を振る様に仕向け、挙句満座の中で次郎左衛門は大恥を掻かされる。それを恨みに思う次郎左衛門は名刀妖刀「村正」を持参して八ツ橋を殺すというストーリーだ。これは実際に起きた事件を物語にしたものだという。村正は名刀であり切れ味が凄いが、徳川家にとっては不吉な刀とされていた歴史がある。中々の名演技でした。
(写真:K5)
心中物は大いに流行ったが、逆に本当の心中も増えたので幕府は歌舞伎等での公演を禁じた時期もあるのだから不思議だ。