「宮古島の旅、三日目」

「宮古島の旅、三日目」
最終日となった。観光して帰京しよう。
未明から大きな音がするので暴走族でもいるのかと思ったら、それは激しい雷鳴だった。本当に凄い雷の連続落下でした。何度か停電もしたからびっくり。
さていつもは絶対に食べない朝食をこの日も食べた。(写真:C1)
昨日食べたステーハウスはホテルの目の前でした。(写真:C2)
本日訪れる島は西南方向にある「来間島(くりましま)」だ。島の民家の前に変わった貝があった。多分「月光貝」と言うらしいが記憶違いならばお許しを。(写真:C3)
やぎもいました。のどかだなあ。(写真:C4)
「月桃」という木らしい。(写真:C5)
「ハイビスカス」の一種。(写真:C6)
「ゆうな」かな?(写真:C7)
島に21か所ある「拝所」、神聖な場所なので立ち入り禁止だ。(写真:C8)
宮古島と来間島を結ぶ「来間島大橋」(写真:C9)
(写真:C10)
(写真:C11)
東急系のホテルがあるのが「与那覇前浜ビーチ」(写真:C12)
白い砂浜が約3km続くという。丁度冬季五輪のジャンプで金メダルを取った小林選手らが先月からこの地でキャンプを張りトレーニングしているという。
この砂、「イラブチャー」という歯の力の強い魚がサンゴに付着している昆布などをサンゴと一緒に口に入れ、のちにサンゴを吐き出すことにより細かい砂状になり、それが浜の砂を構成しているというから凄い。それも何と年間一匹で1トンもの砂を生産するという。
また昔から税金の代わりに生産していた布、「宮古上布(じょうふ)」はチョバという植物の細い繊維から糸を紡ぎ出来上がった超高級品で今だと1反150万円から300万円もするという。それだけ宮古島の祖先は苦労して薩摩に納税していたということなのだろう。
昼は「島の駅みやこ」というところで「宮古そば」を食べた。(写真:C13)
カツオの出汁だというが何かインパクトがなかった。
「城辺(ぐすくへ)」にある自衛隊のレーダー基地だ。(写真:C14)
地名は裏覚えだから間違っているかも?やはり南の重要な基地なのだろう。もうすぐむこうは中国だから。
「平安名崎」の灯台に続く岬だ。(写真:C15)
左手、東側は太平洋、右手、西側は東シナ海だ。
ここに「トライアスロン大会」の碑があった。(写真:C16)
ここ宮古島では毎年4月第3日曜日にトライアスロンレースが開かれているという。スイム3km、バイク157km、そして最後はランで42.195kmと実に過酷なレースだ。先ほど訪れた前浜がスイムのスタートでバイクは島中を巡り、この岬も通るという。島では約6000人のボランティアが活動し、他の島民は皆応援団となるという。レースは参加者1700名の大会だそうだ。
灯台は上まで登れるという。(写真:C17)
東側の海岸にまた例の岩が沢山あった。実はこれは宮古島の西の石垣島で1771年に発生した地震で起きた津波がこの地に達した時には38mの高さになっていて、海底の岩を巻き込み岬を襲ったという。岬の高さは20m、従って岩は岬を超えて東側の浜にまで達したというのだ。(写真:C18)
おや、不思議な雲だ。まるで盲腸のようだ。(写真:C19)
北の空には黒雲が。(写真:C20)
雨が降り出した。まあ今日も殆ど晴れていたが、我々は幸運に見舞われたようだ。地元ではこんなに晴れの日が続くことは本当に珍しいという。雨もスコールのように直ぐに去っていった。
「アムジャー・マリン・ガーデン」(写真:C21)
もう観る所もないから帰ろうか。宮古空港へ。不思議なシーサーがあった。(写真:C22)
(写真:C23)
宮古島から那覇へ35分の空の旅を経て、いよいよ東京行きを待つ。(写真:C24)
お疲れ様でした。