「K先輩の訃報」

「K先輩の訃報」
それは突然の連絡だった。K先輩は私が学生時代のアメリカン・フットボール部の監督だった。私と6歳違いのまだまだ若手の監督だった。彼は都立戸山高校時代からフットボールのQBで活躍し、我が母校に入っても勿論フットボールをやった。私は高校時代に彼の現役時代の試合を見たことがある。そしてK先輩はM電機に就職後も母校のヘッドコーチを経て監督にもなった。
最も思い出すことは4年の時の明治大戦だ。下馬評は圧倒的に明治有利とのこと。だが私には実は開き直りの気持ちがあった。それは自分のやりたいゲームを自分で組み立ててみようということだった。試合前、痛めた右肩に駒沢の病院で痛み止めの注射を打って試合に挑んだ。最初から捨て身の我がチームはゲインにゲインを掲げ最初のタッチダウンを奪う。その後も展開は思い通りに進む。何度かベンチサイドから次のプレーの指示が入ったが、全て無視し自分でゲームを組み立てたが、それが見事に相手の裏を掻き遂にゲームセット。勝利した。その時K監督から初めて「ナイス・クォーターバッキング」と褒められた。私のような下手なQBが監督の指示を無視していても試合で使ってくれたK監督に改めて感謝申し上げる。御免なさい。でも試合は勝てました。
そんなK先輩とは2019年夏の部の不祥事による関東リーグTOP8からの下落という不名誉の後始末で何度も上京して頂き話し合った。また逐一状況を報告するためにFAXや手紙を送たり、指示も受けていた。実は先月2月13日にもメールでやり取りをしていた。
そんなK先輩の突然の訃報には驚くしかなかった。
家族葬のその日は晴れ渡っていた。遠く浅間山が見える西軽井沢の式場だった。(写真:S1)
家族葬とは名ばかりの本格的な葬儀だった。(写真:S2)
(写真:S3)
本当にダンディーなK先輩。皆が惜しむ中、奥様が仔細を話された。昨年5月に血液の病気だと判明し、治療は輸血ということで度々輸血してきたが、痛みもなく睡眠もしっかり取れていたという。また厳重なかん口令が敷かれ他言無用ということで進んだ。ところが2月22日に状況が悪化し緊急入院となり、最後は肺炎になり死亡したというのだ。参列者も皆その直後訃報を連絡されたという訳だ。実に安らかな死に顔だった。でもいい葬儀だった。
出棺後、我々フットボール仲間は追悼のために旧軽井沢の蕎麦屋に行った。軽井沢でも人気の蕎麦点だという。
そこで私が食べたのは「鴨せいろ」だ。(写真:S4)
少し硬めの蕎麦だった。田舎風だな。鴨汁は出汁も効いていて美味しかった。でも高かった。観光地価格だ。
蕎麦屋の前で東京から行ったフットボール仲間の3人だ。(写真:S5)
本当に人生は無常だ。これからも一日一日を大切に生きよう。K先輩ご冥福をお祈りいたします。
PS:葬儀会場で葬儀社の人が、この地方の風習は「棺に花は顔の周りだけに入れる」、「葬儀は火葬後に行う」ということでこれまたびっくりしたのでした。勿論我々は棺に花を満杯に入れた。