「出雲と大和」

「孫娘と愛犬」
孫娘が風邪をひいたということで一時留守番を頼まれたので出掛けた。すると微熱はあるものの意外に元気でインフルエンザではなさそうなので安心した。(写真:孫と犬)孫と犬
布団に寝ころびながら、iPadを観ている孫娘の隣で寝ているのは愛犬だ。風邪には注意しよう。

「出雲と大和」(日本書紀成立1300年特別展)
東京国立博物館平成館で開催中の「出雲と大和」特別展に行ってきました。(写真:C1)C1
日本書紀が出来て、今年で丁度1300年という節目の時に日本という国が成立する二つのバックボーンである「出雲」と「大和」からの約170件もの国宝重要文化財が出展されています。(写真:C2)C2
兎に角国宝のオンパレード。日本書紀は我が国最古の正史であり、編纂された養老4年(720)、その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽(ゆう)」、即ち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされている。一方で天皇は大和の地において「顕(けん)、即ち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされている。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのだ。
それでは写真撮影可の場所とパンフレットから観ていこう。
加茂岩倉遺跡(島根)出土の銅鐸。(写真:C3)C3
同じ場所のイメージ図。(写真:C4)C4
法隆寺金堂壁画 複製陶板。(写真:C5)C5
出雲大社の宇豆柱(うずばしら)。(写真:C6)C6
巨大な木材を3本合わせて一つの柱にしているもの。これらの柱が都合9本建てられていた。復元すると48mもの巨大な社になることがわかったという。また社の上まで登る長い階段はなんと約130mもあったと考えられるというのだ。
足利義政が出雲大社に献じたとされる大鎧。(写真:C7)C7
中世の戦いは騎馬武者による所謂個人戦だった。それが歩兵による集団戦に変わり、鎧の役目も変わった。従って写真のような見事な飾りを付けた鎧は形骸化し神社に捧げられたようだ。
国宝「秋野鹿蒔絵手箱」鎌倉時代のもの。(写真:C8)C8
出雲市荒神谷遺跡出土の青銅器で銅剣、銅鐸、銅矛で国宝である。(写真:C9)C9
一カ所からこれほど大量の剣や鐸が出たのは驚きだ。前2世紀から前1世紀のもので、如何に当時の出雲が大陸と関りが多く、また権力が集中していたかが分かる。
島根県松江市平所遺跡出土の埴輪「見返りの美鹿」(写真:C10)C10
古墳時代の5-7世紀のもの。人間が現れたのを見返って姿が美しいの埴輪だ。歯には今まさに草を食んでいたという瞬間だ。
奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳からの出土。6世紀。国宝「金銅装鞍金具」後輪(しずわ)。(写真:C11)C11
東アジア随一の煌びやかな馬具だ。勿論前輪もあった。
左の仏像は唐招提寺の四天王像の内の国宝「広目天立像」6世紀。(写真:C12)C12
鑑真和上がもたらした中国風の仏像だ。
写真はないが、奈良の當麻寺所蔵の7世紀の「持国天立像」、製法が凄い。まず泥で立像の形を造り、その上から麻布を置き更に漆で塗り固めた後、内部の泥を出した上で細部を加工するという特殊技術でこれは勿論中国よりもたらされたものだという。
右は国宝「七支刀」で、奈良の石上神宮所蔵品だ。古墳時代の4世紀に大陸からもたらされたもので非常に貴重なものだという。日本書紀にもこの刀が伝わった経緯が載っている。
奈良県の石位寺所蔵の「浮彫伝薬師三尊像」飛鳥から奈良時代の7-8世紀のもの。最古級の石仏だ。(写真:C13)C13
奈良県天理市、黒塚古墳出土、古墳時代の3世紀のもの。「画文帯神獣鏡・三画縁神獣鏡」(写真:C14)C14
一度のこれだけ大量に出土したということは同じ型から作られたもので、大和朝廷の権威の象徴であり、王権の鏡として全国に配られた。三角縁とは鏡のはじの部分が三角形になっていることから付けられた。
今説明したものは、国宝以外は全て重要文化財である。
本当に凄い展覧会でした。