「斉白石」展

J  REPORT2018年 11月第2週」
「リタイアメント・ノート 10年3ヶ月目」
「VOL.1080号 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールをください。
 sekoguti@aa.e-mansion.com  
「斉白石」
日中平和友好条約締結40周年記念特別企画展として上野の東京国立博物館・東洋館で開かれている「斉白石」展に行ってきた。写真は東洋館。(写真:S1)S1
(写真:S2)S2
(写真:S3)S3
19世紀終わりから、20世紀半ばに掛けて活躍した中国人画家で、中国で最も愛されている画家とのことだ。
兎に角、絵を観ていこう。(写真:S4)S4
(写真:S5)S5
(写真:S6)S6
(写真:S7)S7
(写真:S8)S8
(写真:S9)S9
(写真:S10)S10
(写真:S12)S12
山水画とも違う味わいのある絵画だ。人物の描写が面白い。如何にも中国人らしいと感じた絵でした。
(写真:S13)S13
これは晩年のご本人の写真でした。

「江戸城の天守」
ご存知だと思うが、江戸城には天守があった。初代家康が造ったもの、二代目秀忠が造ったもの、そして三代家光が造ったものが最後の「寛永の天守」だった。即ち江戸城には3つの天守が時代は 違うがあったということだ。最後の天守は明暦の大火、所謂振袖火事で焼失し、その後再建はされていない。
その幻の天守を再現する映像が公開されていた。くしくも東京国立博物館・東洋館のミュージアム・シアターで、だった。(写真:E1)E1
江戸城の天守の石垣は、伊豆石という伊豆半島で取られて石が運ばれてきた。大きなものでは10トンにも達するものがあった。天守の高さは45m、五層の建築物だ。石垣を含めると59mにもなり、姫路城の1.3倍もある。五層と申し上げたが、実は石垣内部、地下の部分にも一層あるので、実質的には6層の建物だ。
設計図が現存し、そこに記されていたものから復元を図ったという。図面には「大棟梁 甲良なにがし」と書かれていて、江戸城や日光東照宮、寛永寺等を造ったのがこの甲良氏たちのグループだったという。屋根は銅板が使われていて、合計で8万枚あったという。天守の壁の部分も下側が銅板、上が漆喰となっていて、白と黒のコントラストが美しい。
鯱(しゃちほこ)は高さ2.4mあり、金の板で覆われていた。鯱は顔は虎で下半身が魚だ。
今、あればこんな風に観えたと思われる。(写真:E2)E2
焼け落ちてしまったが、本来の天守というのは戦の際の最後の立て籠もり場所だったが、
江戸城のこの天守は戦争の道具は何も装備されていなかった。もう家光の時代には太平の世になっていたということだろう。