「正倉院の至宝」

「J  REPORT2018年 10月第3週」
「リタイアメント・ノート 10年4ヶ月目」
「VOL.1077号 SINCE AUG.12th、1983」
「正倉院の至宝」
第70回目の正倉院展(10月27日から11月12日、奈良国立博物館)が開かれるのに合わせて「正倉院の至宝」についてのお話しを聞くチャンスがあり、4S会のスーさんと一緒に虎ノ門の会場を訪れた。奈良大学の関根教授の講演だった。
正倉院は聖武天皇と光明皇后が日常的に使用していたもの(北倉)と東大寺のもの(中倉、南蔵)に大別され保管されている東大寺の倉庫だという。天平勝宝8年(756)5月2日の聖武天皇の命日から49日目に合わせて天皇遺愛の品と薬物をリストを付けて納めた場所だ。そのリストは現存する。
奈良時代から平安時代には度々倉は開けられたが、天皇により扉が封印されていたため、鎌倉時代以降は殆んど開けられていなかった。江戸時代には4度だけ開けられたが、明治時代になり、廃仏毀釈から寺の御物(ぎょもく)が、海外に流出しだしたため、宝物保護のために「古器旧物保存方」という太政官布告(1871)がなされた。
翌明治5年(1872)に正倉院宝物の調査が行われた。その当時国際的にも「万国博覧会」が盛んで、日本でも京都に続いて明治8年に奈良で万博が行われ、東大寺の大仏前と回廊に正倉院の宝物が並べられ、非常な反響を呼んだ。この頃欧州では「ジャポニズム」という日本ブームが訪れていた。その後1892年から東京の赤坂離宮で宝物の修理修復を行うようになった。同時に模倣品の制作も行われるようになった。
終戦までは国内外の重要人物にしか宝物は見せていなかった。しかし戦後1946年から「正倉院展」を行い、一般に開放し今年で70回目になるという。
正倉院は東大寺大仏殿の裏側にある木造建築物だ。横幅33m、高さ14m(内、床までの高さ2.7m)、奥行き9.4mで3つの部屋に分かれている。我々は「校倉造り」は湿気を防ぐと習ったが、あれは全くの噓だそうだ。では1250年もの長きに亘り宝物が保存されてきたのは何故か?それは2重の箱に入れられていたためだという。最初は木製の小さな箱。(写真:S3)S3
それを長持ちのような大きな箱に入れていたので、湿度の変化を殆ど感じずに保管保存してこられたという。この箱は家康も多数寄贈している。校倉造りは湿度が高いと木が膨張し室内を閉じ、逆に乾燥すると木が縮み風通しが良くなると確かに習った。これが嘘だったとは知らなかった。
東大寺大仏堂は2度の戦争(源平合戦、三次氏の南都焼き打ち)の火災で焼け落ちたが、偶然にも正倉院は助かった。しかし4度の盗難にはあっている。これは内部を公開した時に盗まれており、犯人は東大寺の坊主だったという。
「平螺鈿背八角鏡」(北倉)は、一度盗まれたが実は鏡が銀だと思った犯人が割ったところ、銀では無かったので、バラバラな状態で元に戻したという。それが明治以降修復されたという。この犯人も勿論坊主だった。(写真:S6)S6
使われている「琥珀」はミャンマー産。「ラピスラズリ」はアフガニスタン産、「夜光貝」は奄美諸島より南の海域、「トルコ石」はイラク産で、造られたのは「唐」だ。たぶん遣唐使が持ち帰ったのだろう。
私が興味を持った宝物の中で「黄熟香」(こうじゅくこう)というのがある。(写真:S2)S2
有名な香木だ。これを切り取った人に家康と信長に足利将軍らがいる。史実だ。切り取った部分に紙が貼ってあり、その名がある。
今回の正倉院展のパンフレットから、「螺鈿八角箱」(中倉)(写真:S4)S4
実に見事なものだが、これも明治以降の修復品で夜光貝の色が濃いのが古い時代のもので、光っていて白いのは修復後のものだという。
次の写真では、7つの品がある。(写真:S5)S5
右上が「沈香木画箱」。香木を入れてある。
右下が布に書かれた絵だ。何に使われたかは分からない。
その隣の棒は「犀角如意」で犀の角や水晶で作られた所謂「孫の手」だ。
左上は、「磁鼓」、磁器製の鼓だ。
左下は、「白銅剪み」、蝋燭の芯切り剪みだ。
中の上は布製の「靴」、室内履きで中国製で光明皇后が使用されていたようだ。当時は床は板敷だった。天皇と皇后のベッドも保存されていた。
下は「新羅琴」だ。勿論朝鮮半島から来たものだ。
実に面白いセミナーでした。奈良にも行ってみたいですね。S1

「東京のタクシー」
東京には5万台のタクシーがあるという。法人が3万台で個人が2万台だそうだ。法人のほうは交代で乗るから土日祝日も動くが、個人は自己都合で動かせるから土日祝日は休みが多いということだ。利用したいと思うとタクシーがいないという事態が土日祝日には多い。(写真:タクシー)タクシーと中国人
体育の日を含む3連休の銀座は中国人ばかりだった。国慶節の連休なのだろうが、完全に銀座は中国人に占拠されていた。