「愛宕神社」

「J  REPORT 2020 6月第2週号」
「リタイアメント・ノート 11年12ヶ月目」
「VOL.1162 SINCE AUG.12th、1983」
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「愛宕神社」
東京駅から東急バスで愛宕山下で下車。(写真:東京駅B1)
今まで話しには聞いていたが、訪れたことがなかった「愛宕神社」に向かう。(写真:B2)
鳥居。(写真:B3)
ここは徳川家康が戦勝を記念して1603年に勧進した神社だ。そして江戸市中で自然の山としては一番の標高(確か25.7mだったか)を誇る。その山の頂上にこの神社はあり、南には増上寺の大伽藍が、その先には高輪の大木戸や品川宿、西には富士山が、東には浜離宮を望み江戸湾が、北には江戸城や上野からさらに遠くは筑波山が見える眺望良好の地だった。
歴史的に有名になったのは、三代家光公が増上寺参拝後の帰路、神社に源平の梅が咲いていたことから、「誰か馬でこの石段を登って梅の花を取ってこい」と命ぜられた。だが誰も頭をあげなかったところ、丸亀藩士「真垣平九郎」が馬で一気に駆け上がり、梅の花を手向けまた石段を駆け下りて来て家光公に差し出したことから、家光公より日本一の騎馬武者と褒められたという故事がある。その後昭和までに4度成功した人たちがいるというが、さてその石段は。「出世の石段」と名付けられている。(写真:B4)
ただ不思議なのは将軍御成りに何故丸亀藩士がいたかということだ。幕臣でもないのに。それでも人馬一体の姿は実に勇敢に誰の目にも映ったのだろう。
石段の下に立つと正に壁が聳えている。垂直の壁みたいに感じる。これでは誰でも躊躇するだろう。一旦馬が泊れば転げ落ちるしか手はない。大怪我かさもなければ死だ。この石段は愛宕山の傾斜をそのまま利用しているので、厳しい登りになっている85段だ。男坂ともいう。私は横の女坂の石段を登ったが、辛かった。
角度を見てみよう。(写真:B5)
やはり40度近いだろう。
漸く頂上へ到達すると池には鯉が泳いでいた。(写真:B6)
境内には猫がいた。(写真:B7)
上から石段を見下ろす。目が回りそうだ。(写真:B8)
境内。(写真:B9)
「招き石」があり、これを撫でると運が向くらしい。(写真:B10)
本堂の中に真垣の絵があった。(写真:B11)
これは松下幸之助が寄進したものだという。
幕末、勝海舟と西郷隆盛が江戸城無血開城の話し合いをする前に二人でこの神社を訪れたという。(写真:B12)
真垣の絵だ。(写真:B13)
徳川家の家紋「三つ葉葵」が提灯に描かれていた。(写真:B14)