「吉原遊郭を歩く」

「吉原遊郭を歩く」
浅草からバスで日本堤を進む。昔はこの先に「吉原遊郭」があった。江戸時代の人たちは船で隅田川を山谷堀に入って、この近くで船を降りて吉原に向かうか、浅草から田圃道を歩いて向かったという。今はバスで行ける時代だ。
さて、「吉原大門」というバス停で降りる。(写真:A1)
ここに「見返り柳」という柳の木がある。吉原を出た客が帰り道に遊女を思い出して振り返った場所ということで有名な柳だ。
目の前には有名な天麩羅屋、名物は天丼の店「いせや本店」だ。(写真:A2)
常に行列が出来る。理由はその天麩羅の大きさ。穴子が一匹ドーンと入っていて、あとは海老天と野菜天がてんこ盛りだ。穴子の長さは30cm以上もあり丼から大きくはみ出している。だからまず丼の蓋を取り外し、その蓋の上に天丼の具材を一度移してから、再度一つ一つ具材を飯の上に乗せ直して食べるのだ。実に美味い。
隣が「桜肉鍋」の店「中江」だ。(写真:A3)
ここは馬肉専門店。馬肉の握りから鍋まで実に美味しい。
ここからS字になった「五十間坂」を下る。(写真:A4)
約五十間(約90m)の長さの坂で形だけは江戸時代と一緒だ。(写真:A5)
「仲之町通り」ここが昔の吉原のメインストリートだ。(写真:A6)
今の「大門」はこちら、「おおもん」と読む。鉄の柱になっていた。(写真:A7)
現代の店はこんな感じかな。(写真:A8)
横道にも店がある。(写真:A9)
何の店か?お分かりだろう。(写真:A10)
価格表があった。(写真:A11)
(写真:A12)
(写真:A13)
(写真:A14)
高い店から安い店まで色々とあるようだ。店の前には黒服をいた男性がいて、客引きをしていたが、写真は撮らなかった。
またまた「仲之町通り」に戻る。(写真:A15)
神社があった。吉原神社だ。(写真:A16)
由来が書かれていた。(写真:A17)
旧遊郭時代は「弁天池」があった跡地だ。大火事の際に逃げ場を失った遊女たちが飛び込んだとされる池の名残りだ。
弁天様だ。(写真:A18)
(写真:A19)
その先は浅草の奥山(江戸時代最大の繁華街、今の浅草寺の北側)に通じている。この辺りはもう旧遊郭ではない。不思議な建物があった。(写真:A20)
今時珍しい長屋風の建物だ。
空を見上げると夕方の空に月齢10.5日の月が光っていた。江戸時代の人もこんな月を眺めて、遊郭での喜びと悲しみを感じていたのだろう。江戸は男女比が極端な都市で、圧倒的に男が多かった。勿論各藩の江戸勤番は単身赴任だったし、地方から出てきた職人らも多くは単身だった。そんな欲求を満たしたのが遊郭だ。戦後の赤線廃止までここも多いに賑わっていたに違いない。

「月齢16.5日の月」
漸く晴れた空に大きな月が見えた。月齢16.5日、ほぼ十六夜(いざよい)の月だ。夜空に光っていた。(写真:月1)
その翌朝、青空に薄れつつある月が見えた。(写真:月2)
ぐるぐると廻り続ける月。美しい自然ですね。