「3月に氷?」

「3月に氷?」
3月11日がやってきた。2011年のあの日、どんなに驚いたことだったか。自然災害とはいえ、恐ろしい地震と津波に翻弄された日だった。さて4年後の今、昨日は寒波で都内でも雪が降ったが、11日の朝、愛犬と散歩中、豊洲公園の一角には時期外れの氷が張っていた。都心の気温は30数年振りに零度を下回ったというから、実に寒かった。放射冷却なのだろうが、三寒四温となってくれ。それでも春はもうすぐそこに来ている。

「さいたま歴史研究会2」
前回、庄内は鶴岡の大商人の奥さん「三井清野」さんが江戸へやってきて観光をしたというお話しをしたが、彼女実に健啖家であり酒豪であり、今で言うグルメなのだ。そこで今日は食のお話しをしよう。彼女が江戸に着いたのは文化14年(1817年)の4月7日、千住の宿場だった。ここで昼食は料理茶屋にて食したのだが、そのメニューはといえば、「鯵の吸い物、塩梅、子鰈(カレイ)の煮浸し、酒肴、海老、目抜け鯛、筍、茶漬け」と日記に書かれていた。数日後、浅草の有名な料理屋「田川」という店に入っての昼食では、一の皿「蒲鉾、鮑、花ゆの花」、二の皿「すきみ、砂糖煮、味噌もの、むさ牛蒡」、三の皿「鯛の皮、蒲鉾、椎茸、筍」、四の皿「いいの煮付け、ささげ、生生姜」、吸い物「鯛、青味、穴子、うす竹」、五の皿「刺身、茄子、大根おろし」、終わりに奈良茶飯、茶、菓子、羊羹、あるへ、となっていた。ちょっと意味の分からない食べ物もあるが、まあ大体想像出来よう。当時江戸で有名な料理屋といえば、番付も出ていたが、「山谷の八百善」「深川の平清」「浅草の田川」「向島の大七」と言われていたらしい。これだけ見ても当時の江戸の人たちの口が如何に肥えていて、美味しいものを食べていたことが想像出来よう。今の高級料亭と同じものを食べていたのだ。

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