「旅暦回顧録 第2話」「スペイン・フランス編」
2008年8月に次男がいるスペインのマラガを娘と二人で訪れたのが、8月8日だった。パリ経由でバルセロナに着いたが、ロスバゲで荷物が着かない。未だパリにあるという。仕方なくホテル名を伝えて明日運んでもらうことにし、漸く次男に合流した。ホテルにチェックインして海側のレストランに行き、地元でも有名だというパエリアを頼んだ。(写真:A1)
スペインにいる間に色々な店のパエリアや海産物を食べたが、日本人には馴染み易い味だった。(写真:A2)
地下鉄に乗って「サグラダファミリア」に行く。(写真:A3)
(写真:A8)
長女と次男。(写真:A4)
「グエル公園」。(写真:A5)
見るもの見るもの物珍しい。「カーサ・ミラ」だ。(写真:A6)
今も人が住んでいる建物だ。石造りだから100年以上経っても問題なく人は暮らす。
登山電車に乗って山の上の「モンセラートの大聖堂」に行く。土曜日だったので結婚式をやっていた。綺麗な花嫁さんだった。ここで有名な「黒のマリア像」を観る。(写真:A7)
グラナダに移動して「アルハンブル宮殿」だ。グラナダに着いたのは午前0時頃だったが、市内の中華料理屋がやっていたので焼飯を頼んで食べた。
ここはスペインがイスラムに征服された時にイスラム化された建物だが、タイル張りの美しい内装で有名だ。ライオンの像がある場所だが修理中でなかった。
フラメンコダンス。(写真:A10)
マラガに戻ったら偶然に闘牛学校の卒業記念が行われるということで闘牛場が無料開放されていた。マタドールは卒業生が演じる。(写真:A11)
(写真:A12)
そして最後は牛を殺す。(写真:A13)
馬に引かれて牛は去る。(写真:A14)
これは非難を浴びるだろう。残虐だ。動物虐待だと。
マラガの裏街で食べた地中海料理だ。美味しいし、安い。(写真:A15)
ロンダに移る。ここは闘牛発祥の地ということで「闘牛博物館」があった。(写真:A16)
闘牛場の目の前のレストランでステーキを頼んだが、これが大正解で大変美味しかった。満足した。(写真:A17)
ここには古い石の橋がある。「ヌエボ橋」だ。(写真:A18)
マラガに戻る。最後の日に丁度地元の祭りに遭遇した。パレードだ。(写真:A19)
皆さん、路上でワインのボトルを開けて飲んでいた。
こうしてスペインでの1週間を終えて、3人でパリへ移動する。次男はマラガで語学学校に通っているので当面帰国しないのだが、パリには付き合せた。
娘には大変悪いことをした。会社勤めなのに無理やり2週間も休みを取らせてしまった。多分こうして三人で旅行することはないと思い、強行したのだった。
しかし、デジカメの電力がぎりぎりかすかすになってしまい、パリでは写真が殆ど取れなかった。電源コードを忘れて来てしまったからだった。まだ旅行初心者の時代の失敗談でした。
パリ上空では真下にヴェルサイユ宮殿の庭が見えた。しかし写真はない。
ルーブルでは勿論「モナリザ」を観る。(写真:B1)
「モンサンミシェル」にも行った。鉄道とバスを乗り継いでだ。(写真:B2)
「ヴェルサイユ」も中々楽しかった。(写真:B3)
長女と次男。(写真:B4)
エッフェル塔。(写真:B5)
凱旋門。(写真:B6)
「エスカルゴ」も食べました。(写真:B7)
「ノートルダム寺院」です。(写真:B8)
真夏のパリは寒かった。ダウンコートを着ている人もいて娘もZARAで長袖の服を買い求めたほどだった。
色々なところにも行った1週間だったのだが、如何せん写真がないのでご勘弁を。
あっという間のパリでした。
その後、スペインには2012年12月に巡礼の地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に行った。フランスから続く巡礼の道の途中に「歓喜の丘」がある。向こうにゴールが見える。(写真:A20)
いよいよゴールの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」だ。巡礼の道標のホタテ貝。(写真:A21)
道の途中に必ず道標があった。そしてゴールだ。お疲れ様でした。(写真:A22)
更に4S会のスーさんと一緒に2016年4月にも訪れた。
「ドン・キホーテ」の町だ。(写真:A23)
(写真:A24)
マドリッドのプラド美術館だ。(写真:A25)
有名なゴヤの裸婦像。(写真:A26)
ピカソの関連美術館にも立ち寄った。
またフランスには2013年9月にボルドー周辺の田舎の美しい村々を訪れた。(写真:B10)
(写真:B11)
(写真:B12)
人口2000人以下の小さな町から厳選されたものだった。
「ラスコー」の洞窟で古代人が描いた絵の複製を観た。(写真:B9)
楽しくまた美味しい旅でした。もう当分出来ないね。