「花咲蟹」「帯広豚丼」

「花咲蟹」
夜明けの空は美しい。(写真:C1)
三日目は根室に向かう。釧路から各駅停車で約2時間半の旅だ。
太平洋が光っている。(写真:C2)
「東根室駅」は日本最東端の駅だ。(写真:C3)
今月は最南端と最東端を制覇したことになる。
花咲線を走りながら外を観ると、まずは「オジロワシ」が木の上にいるとの、列車と平行に飛ぶのと二羽観ることが出来た。黄色い口ばしが印象的だ。それに「キタキツネ」もいた。
根室からタクシーで中学同級生A君お勧めの「大八食堂」へと向かう。ところが店が閉まっていた。休日だろうか?仕方なく駅に戻る。ふと見ると蟹を売っている店があった。
駅前の「かにの庄屋」と言う店だ。(写真:C7)
そこで花咲蟹を食べさせてもらった。(写真:C5)
御主人がハサミでカットしてくれたのを食べる。完食しました。(写真:C6)
蟹が食べられただけでも幸せか?
駅の隣に蕎麦屋があった。幻の摩周そば粉を使用した蕎麦だという。「北然仁」という。(写真:C8)
狸の置物があった。(写真:C9)
摩周そば粉は希少価値のあるそば粉で中々に入手出来ないそば粉だという。摩周湖周辺で採れるという。(写真:C10)
もりそばを頼んだのだが、写真を撮る前に食べてしまった。(写真:C11)
仕方なく新聞の写真を。(写真:C12)
すっきりした二八蕎麦でした。根室で蕎麦とは予想もしなかった。
帰りの列車内には時々ピーっという警笛がなる。これは前方に動物がいるための警報音だ。すると鹿が逃げているのが分かる。白いお尻が見える。(写真:C13)
(写真:C14)
何千、何万頭もの鹿がこの地方だけでいるのだろう。その被害も大変だろうに。
こんな田舎にも外国人の観光客がいるから凄い。
さて、ホテルに戻り夕食はホテル内で済ますことにした。17階のレストランから見た釧路の繁華街だ。(写真:C15)
(写真:C16)
頼んだのは「阿寒モルト牛」のステーキだ。
スープ。(写真:C17)
サラダ。(写真:C18)
180gのステーキ、ミディアムレア。(写真:C19)
これで港町クーポン3000円分を消化しました。回転寿司の3000円も使用済。二日間のJRフリーチケットも残りは一日分のみになり、サービスチケットは完了です。あとは自腹ですね。

「帯広豚丼」
釧路との繋がりについて説明しよう。今から30年も前に釧路出身の2年年下の丸紅の仲間がいた。彼から釧路の美味しいものとして知らされたのが「竹老園東家総本家」という蕎麦屋だった。明治7年創業という老舗だった。
2017年冬にA君らと共に釧路に訪れた折に連れていかれた寿司屋「八千代本店」には今も通っている。そしてその後夏の涼しさに合わせて長期滞在型の避暑地としての釧路を利用するようになったのだった。冬は丹頂がいるし、夏場は涼しい土地柄。当然ながら北の美味しいものの宝庫でもある釧路。今年だけで2月3月8月に続いて4度目となったのも当然と言えよう。
さて4日目は帯広に向かった。特急大空号だ。(写真:D1)
帯広駅前だ。蝦夷鹿のモニュメントがあった。(写真:D2)
豚丼の老舗「飯亭(ぱんちゅう)」だ。(写真:D3)
店名の曰くは次の通りだ。(写真:D4)
(写真:D5)
私は一番少ない豚肉の枚数でご飯半量の松とえのき椀を頼んだ。(写真:D6)
豚肉を甘タレに付けた状態で焼いたものだ。噛み締めるとジワリとした感触で柔らかい肉質のようだった。2度目のこの店の豚丼だったが、前回とは違った味わいだった。
夕食は「八千代本店」で寿司を食べた。(写真:D7)
たらの白子(写真:D8)
北寄貝(写真:D9)
タンタカ(カレイの一種)(写真:D10)
シャコ(小樽産)(写真:D11)
ニシン(写真:D12)
鰯(写真:D13)
帆立(写真:D14)
たらの白子の天麩羅、抜群の美味さだ。(写真:D15)
これより握り、まずはハッカク(写真:D16)
タラバガニ(写真:D17)
焼きシシャモ(写真:D18)
きんき(写真:D19)
イクラ(写真:D20)
ししゃものコブ締め(写真:D21)
いやあ、満足、満杯です。また明後日来ますね。でも蟹の不漁は酷いようだ。美味しい蟹は当分食べられそうにないという。それでも美味しかったです。東京で食べる寿司の半値でしょうか。
釧路と帯広。かたや斜陽産業の釧路に対して、農業中心の帯広は今や十勝平野の中心として脚光を浴びている。駅前にはビルが立ち並び、鉄道も高架となり駅も立派だ。一方釧路は主力産業の漁業も振るわず、林業、紙パルプ、石炭業共に落ち目だ。人口も帯広に抜かれた。温暖化から嘗ては寒冷地帯だった北海道は今温帯地方になりつつあり、農業や酪農の躍進が目覚ましい。でも釧路には釧路の良さがある。しみじみとした何か懐かしいのが釧路の街だと思う。