「十一月吉例顔見世大歌舞伎観劇記」

「十一月吉例顔見世大歌舞伎観劇記」
11月は歌舞伎にとっては正月のようなもの。これから1年間が座元との契約で歌舞伎を演じるというのが江戸時代からの風習だからだ。(写真:K1)
今年はそれに合わせて「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」に「八代目市川新之助初舞台」となり、大いに盛り上がった。(写真:K2)
約360年前初代團十郎は子供を授かる様に成田山新勝寺に願を掛けたところ長男が授かり、二代目團十郎になったことから、その後成田山を敬い屋号を「成田屋」にした。(写真:K5)
そして七代目團十郎が御家の芸として「歌舞伎十八番」を完成させ、今に至るという。(写真:K4)
昼の部は、
「祝成田櫓賑」として江戸の下町、深川の成田山新勝寺別院前での賑わいを踊りで表し、成田屋の襲名披露の幕開けを華々しく飾る常磐津です。

二幕目は「外郎売」だ。勿論歌舞伎十八番の一つだ。源頼朝が数十万の武士を集め富士の裾野で野戦訓練を兼ねた獣狩りを行うが、その時の纏め役が工藤裕経で、大磯で休憩していると小田原名物の外郎売がやって来る。この外郎は所謂万能薬だ。外郎売はその故事来歴を早口言葉で話す。今回は外郎売を市川新之助が演じている。実はこの外郎売は曽我五郎で仇の工藤を討とうとするというお話しだ。

三幕目はこれも歌舞伎十八番、ご存じの「勧進帳」だ。頼朝に謀反と疑われた義経主従は京から逃れ奥州平泉へ向かう途中、加賀の安宅の関で関守富樫左衛門に行く手を阻まれる。ここでの富樫と弁慶のやり取り、そして義経を打ち据える弁慶。それを観て義経主従だと知る富樫が武士の情けで主従らを見逃すというもの。余りにも有名なので余計な解説はしないが、弁慶を十三代目市川團十郎が演じている。

ところが意外にも空席もあったから何やら問題ありなのだろうか?やはり團十郎になった元海老蔵の実力不足なのか?人気が走り過ぎたのかも知れなかった。
(写真:K6)
(写真:K7)
緞帳には工夫があった。(写真:K11)
緞帳のはしの部分には色々なマークが織り込まれていた。髑髏もあった。(写真:K9)
名前が記されたシンプルな緞帳でした。(写真:K12)
私は「松竹歌舞伎会」に入っているのだが、これにも段階があり、一番上は一般販売日の3日前にチケットが買える。私はその次で2日前、更に会員は1日前で、その後に一般のお客さんが買えるようになる。それでも11月と12月は桟敷席は買えなかった。桟敷席はプラチナチケットでした。