「防災の日」

「J  REPORT 2022 9月第2週号」 
「リタイアメント・ノート 13年3ヶ月目」
「VOL.1280 SINCE AUG.12th、1983」
「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。

「防災の日が誕生日」
9月1日がやってきた。そんなことを思いながら「東京都慰霊堂」を訪れた。(写真:A28)
(写真:A27)
(写真:A25)
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、突然首都東京を巨大地震が襲った。「関東大震災」だった。
人々は逃げ惑い、ここ元被服廠跡に家財道具を抱えて逃げ込んだのでした。その数4万人以上。
当時の東京市は本所区や深川区など15区で出来ていた。人口は228万人。その後発生したのは火災だった。
山の手方面は火災被害は少なかったものの、下町地区はあちこちで火災が発生しその業火は被覆廠跡地にも襲い掛かり、火災旋風を起こし何と3万8千人以上の命が失われたという。
そして1945年(昭和20年)には米軍による空襲でまたまた多数の犠牲者が出たことから、ここ都立横網町公園内に「慰霊堂」が設けられ、十数万人の遺骨が埋葬されたという。
来年は関東大震災から丁度100年目だ。(写真:A24)
(写真:A23)
慰霊堂の隣には「東京都復旧記念館」がある。(写真:S22)
(写真:A21)
地震発生時で止まった時計。(写真:A19)
被覆廠跡に避難した人々。(写真:A17)
襲い掛かる火災。(写真:A18)
焼け跡。(写真:A14)
残された白骨の山。(写真:A13)
鈴なりに列車に乗り込む被災者たち。(写真:A9)
大正3美人と呼ばれた「九条武子」様が被災者を慰問。確かに美人だ。(写真:A6)
日本橋付近。(写真:A7)
復興した浅草仲通り。(写真:A5)
田村町から芝方面。(写真:A4)
歌舞伎座前。(写真:A1)
それでも東京は復活した。
9月1日は私の誕生日。74歳になりました。