「富士見山」

「J  REPORT 2022 6月第5週号&7月第1週号」 
「リタイアメント・ノート 13年1ヶ月目」
「VOL.1270 SINCE AUG.12th、1983」
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「富士見山」
江戸時代、富士山信仰の一環として富士山登山が盛んに行われていたが、女人禁制だったりとかで一般庶民には中々手が届かなかったのが富士登山だった。そこで各地に「富士山」を模した「富士見山」が設けられ老若男女が富士登山気分で登ったのだった。そんな富士山の一つに登った。(写真:A11)
私はと言えば膝を悪くしてからもう富士登山は諦めていたのだが、これで漸く念願が叶うとの気持ち一杯で登山した。高さ10m程度のものだが頂上は平だった。(写真:A12)
そして周囲を見回すとそこは都会のど真ん中だった。(写真:A13)
(写真:A14)
(写真:A15)
頂上には数名の人たちがいた。(写真:A16)
北斎の浮世絵にもあるように江戸の中心部からは江戸城の向こうに藤が見える構図がある。
ここは「浜離宮」。第11代将軍家斉が主に修復した庭園で、有名なのは第15代将軍慶喜が鳥羽伏見の戦いで敗れた後咸臨丸で江戸に逃げ帰った時に上陸したのが、この地だった。
当然のことながら、ここからも富士山がよく見えたのだろう。残念ながら今はビル群が周囲を囲み、富士山は見えない。
花は少し時季外れか。(写真:A1)
紫陽花はまだ咲いていた。(写真:A2)
(写真:A3)
「お伝え橋」で池の中を進む。(写真:A4)
(写真:A5)
(写真:A6)
お茶屋で抹茶と和菓子を頼む。(写真:A7)
「中島のお茶屋」(写真:A8)
お伝え橋と富士見山。(写真:A9)
池には鴨もいます。(写真:A10)
浜離宮には何度も来たが、今回初めて富士見山に登ったのでした。