「七月大歌舞伎観戦記」

「七月大歌舞伎観戦記」(写真:K1)
その日も暑かった歌舞伎座。(写真:K4)
猿之助の事件があって配役が替わってしまったが、本当に将来は彼の演技が見られないのか?その才能を惜しむ声も高いと聞く。代役の「中車」は猿之助の従弟。歌舞伎界に入って10年目だという。役者としての経歴は長いのでそれなりに代役をこなしているのだろう。
本日の演目は「四世 鶴屋南北作 通し狂言 菊宴月白浪 忠臣蔵後日譚」だ。副題として「市川中車 両宙乗り相勤め申し候」、「序幕 甘縄禅覚寺の場より、大詰 東蔵寺大屋根の場まで」。
この狂言、初演は江戸時代の1821年旧暦九月九日に演じられ、後に三代目猿之助(現・猿翁)四十八撰の一つとなる演目だ。それを昭和59年163年振りに復活させたものである。時代は忠臣蔵で大石ら四十七士が切腹してから1年後。塩谷家(えんや=浅野家を示す。赤穂の塩をイメージした名前)と高野家(こうの=吉良家を示す)は泉岳寺での墓前で、共に御家断絶となっていたが、御家再興を幕府に願っており、幕府の使者からは家宝を出せば許すとの内諾を得た。
この両家の家宝を巡り、奪い奪われ、はたまた敵討ちまで行われ実に派手な舞台となる。
幕間の食事風景。(写真:K3)
客席の7割位が席で食事をしているようだ。私は一日一食なので何も昼は食べない。
見慣れない緞帳だ。(写真:K2)
主人公の高野家の元家老の息子「斧定九郎(中車)」は実は忠義の心を持つ男で忍術を獲得し、名前を暁星五郎と名乗り、これまた御家再興をなそうとしていた。話しは変わるが、実は大石らはち密な作戦を立てていて、四十七士とは別動隊を組織していて、仮に討ち入りに失敗した場合には別動隊が動くということが企てられていたらしい。その別動隊は実際には討ち入りしていないので不義の武士と蔑まれたというのだ。
その暁星五郎は大凧に乗り宙を舞うというスペクタクルな展開の後に寺の大屋根で仇と闘うその場面が凄い迫力だった。仮名手本忠臣蔵では敵役の斧定五郎がこの演目では主人公の忠義役として描かれている。
いやあ暑い日でした。(写真:K5)