「かつカレー」
暑い夏はやはりこれに限る。スタミナもこの暑さで落ち掛けていたので、普段は殆ど食べないカツレツにカレーをかけた「かつカレー」を食べた。この店「かつ万」は両国にある古そうな店で昼時は近くのサラリーマンで非常に混んでいる。店は勿論「かつ」のみだ。人気は店の名前を使った「かつ万」という定食のようだが、私はこの店ではいつもかつカレーを頼んでいる。蕎麦屋の「カレーうどん」や「カレー南蛮蕎麦」も好きだが、たまには変り種も楽しい。@850円のこのかつカレー、ご飯が別になっており、刻みキャベツはカレーに浸けて食べても言いし、特製メ[スで食べてもよい。カツレツをカレーに浸けて食べれば、食欲が薄れている暑い夏には格好の暑さ対策になる。ところで今年は「鰻」が高値に張り付いているようだ。スーパーでも1000円以下の鰻は全くと言っていいほどない。安値でも@1200円程度だから例年から見ると2割は高いのだろう。食欲不振に陥らずにこの夏を乗り切りたいものだ。
以上、梅雨明けまじかの東京から勢古口がお送りしました。
「函館編、追加の追加」
第四日目
札幌からの帰路、函館での乗り継ぎの時間帯で名物の「塩ラーメン」を食べに、「星龍軒」を訪れた。駅近く、朝市のすぐ傍に店はある。何回か行った事があるが、地元の塩ラーメンはあっさりと透明なスープが売り物だ。本当にシンプルな味だ。北海道のラーメンは三つに分類される。「札幌味噌ラーメン」、「旭川醤油ラーメン」そして「函館塩ラーメン」だ。それぞれに特徴があるが、一番マイナーなのが函館塩ラーメンだろう。それでも地元では人気の店は何軒かあるようだが、塩ラーメンは私は好きなラーメンだ。店には既に先客もおり、それなりに混んでいた。函館は小さな町だが、観光スポットも近いし、食も美味しいし、訪れる観光客には喜ばれる町だと思う。ラーメン一杯@650円は観光客価格か?ちょっと中身に比べて高いと感じたが、皆さん、一度は函館でラーメンを食べて下さい。
以上、松本日帰り、函館、札幌は宿泊の旅の途中の勢古口がお送りしました。まだまだ旅は続きます。
「またまた、北の国への鮨の旅2」
「札幌編」 第三日目
札幌には午後3時に到着。ホテルチェックイン後、「北大」に行き校内を散策し、更に「道庁」を訪れ、池の周囲を巡った。池の端には「鴨」が羽根を休めていたが、この鳥、やはり夏はシベリアで繁殖し、冬は日本の南に移り、今はシベリアに向う途中、北海道で英気を養っているとのこと。そしてこれまた年に2度は必ず訪れている「鮨処、ひょうたん」に行く。すすき野にあるのだが、この店、暖簾も何も出していないから、知る人ぞ、知る店なのだ。「ミシュランガイド一つ星」なのだが、札幌には何軒もの星獲得店があるが、「ひょうたん」には星獲得以前から元新日鉄支店長に紹介されて訪れていたので、もう7?8回程度にはなるのではないか?最初は「ジュンサイの芽と長芋おろしおドリンク」さっぱりとした口当たりだ。次が「山菜の煮物」。「塩水生うに」海水の温度が低く、そのため甘みが薄いというが、勿論美味い。「北海しまえび(厚岸産)」利尻産が出てくるまでの繋ぎで厚岸で獲れるという。「毛かにの身に蟹の内子をかけたもの」。「蟹味噌の豆腐和え、いくら添え」。蟹はロシア産が全く入ってこないので大変困っているという。外交問題が絡んでいるらしく、例の「宗男」氏が権力から去っている現在、ロシア産は期待で期待出来ないという。刺身盛り合わせは「大とろ、甘えび、煮柳たこ(これは岩塩で)、つぶ、平目」、そしてこれが凄かった。「時不知の子供の塩辛」だ。大体鮭の時不知自体が少ないのに、その腹に入っている子供は実に少ない貴重品なのだ。それを「食べてみて」といって出してもらった。「珍味中の珍味」だといえよう。まったりした食感で実に味合い深いものだった。更に「松前漬け」、「小樽産蝦蛄(しゃこ)」を食べた。このシャコ、春シャコと呼ばれ、シーズン終わりのものだそうだ。シャコは基本的に冬の食材だという。そして「握り」に入る。「ホタテ」、「うに」、「さば」、「いくら」、「いか」、「山山葵入りのキュウリ巻き」、最後に「鮭の切り身入り味噌汁」で終わりでした。いやあ、これまた至福の味でした。「納得、満足、大満足の鮨の旅」でした。
「またまた、北の国への鮨の旅」
「函館編、追加」 第三日目
午前中はこれもお目当ての店「うにのむらかみ」に行く。前回1月は店のオープンが11時からと遅かったので入れなかったが、夏季期間は7時30分から開いているので、朝から「ウニ、いくら、ホタテの三色丼」Sサイズ@1680円を頼む。昨晩沢山食べたのでサイズを小さくして食べたが、新鮮な具材に感動感激だ。この店もミシュランガイドで紹介されていたが、「ウニ」専門店で自社工場で製造しているという。そこで3S会の残りのお二人には「利尻産生うに」の箱詰め80gをお送りすることにした。「函館朝市」にも観光客が朝早くから訪れていて、歩くだけでも売り込みの人たちの声が大きく掛かる。更に港方面へ向かい、「青函連絡船の摩周丸」が係留されていたので、ちょっと概観だけ見学して、「赤レンガ倉庫」群を経由して、函館山中腹にある「キリスト教教会」群を訪れた。中々由緒ある建物ばかりで異国情緒を味合うことが出来た。勿論有名な人気の「八幡坂」も下った。市電で駅まで戻ると、丁度札幌行きの特急列車の自由席が乗車可狽ノなったところだった。危うく遅れるところだったが、何とか席を確保出来た。すると反対側ホームに青森からの特急列車が入ってきて沢山の人たちが乗り換えてきた。あっという間に満席状態となり、立ち席の人が続出し始めた。危なかった。札幌まで3時間以上立ち席では叶わない。やはり「大人の休日倶楽部パス」の人が圧倒的に多い。指定席は満席、自由席も満席にプラス立ち席状態だ。2時間以上経過して室蘭、苫小牧あたりで漸く立ち席が解消されたが、大変な混雑でした。
「またまた、北の国への鮨の旅」
「函館編」 第二日目
東京発新青森行きの新幹線は満席との車内放送があった。新青森まで約3時間の最短便に乗り込む。途中駅は「大宮、仙台、盛岡」だけだ。そして「青函トンネル」経由の「海峡線」で目的地の「函館」に入った。ちょっと時間があったので、市電を使って「五稜郭」に向う。「五稜郭タワー」の約100mの展望台からの景色は圧巻だ。眼下に「五稜郭」の城郭があり、その先には「大沼公園」、本来は見えるはずの「駒ケ岳」は雲の中。南に目を転じると市街地の先に「函館山」と「函館港」が見える。素晴らしい景色だ。夕方にはお目当ての「鮨処、美な味(みなみ)」へ行く。今回で3回目の訪問だ。函館で唯一「ミシュランガイド1つ星」獲得の店だ。店はカウンター8席にテーブル席2つ。ご主人と女性の手元の二人だけだから、沢山お客を取るのは無理だろう。冷酒を飲みながら、「お任せ」が出てくるのを待つ。電話で入店の依頼があったようだが、最近は混んでいるので前日や当日の蘭?ヘ全て断っているとのこと。私は一ヶ月前に蘭?オたから大丈夫。さて突き出しは「長芋の干天の上に、北海しまえび乗せ」、次が「とらふぐの刺身、酢とオリーブオイルかけ」、この河豚は地元「南芽部」産、天然物はこの時期しか獲れないのだという。この季節に北海道では河豚が食べられるのだ。これまた驚き。「煮蛸(戸井産)と、鮎(愛媛産)の山椒炊き」、「真烏賊(通称するめいか、松前産=生きていたものを目の前で捌く)の刺身」、「烏賊の塩辛」、「焼き穴子」と出た。この穴子(北斗産)が実は物凄く大きくて鱧(はも)かと思っていた。骨きりをした大穴子(開いた状態で幅10cm、長さ30cmほど)を焼き、レモンと岩塩で食べるのだが、兎に角美味いし、珍味、珍味で大感激。「なめこ汁」の後に、いよいよ「握り」をお願いした。「マツカワカレイ(森産)」、「平目の昆布〆」、「青柳」、「鮪(青森産)」、「ウニ(函館産)」、「小肌(佐賀産)」、「煮蛤(千葉産)」と豪勢に食べた。もうお腹一杯、至福の一ときを楽しんだ。本当に美味しかったなあ。またまた日本に生まれたことに感謝、感謝でした。食べ終えて、「函館山」に登ろうとロープウェイまで歩き出したが、直ぐ近くにバス停があり、今正にバスが到着したところ。行き先を見ると函館山となっているので満員のバスに飛び乗る。5分ほどで山頂へ。ところが凄い人の数。丁度日没後の一番よい時間帯だったようで大混乱の展望台から下を眺めると、くびれた函館市内に明かりが灯り、「百万ドルの夜景」が眺められた。多数の観光客だったが、特に「台湾」からの人たちが多かったようだ。北海道は台湾人に人気なのかなあ?
至福の食の旅に、1
「J REPORT 2013 7月第2週号」
「リタイアメント・ノート 5年1ヶ月目」、
「VOL。801 SINCE AUG.12th、1983」
「至福の食の旅に !」
また「JR東日本」の「大人の休日倶楽部パス」の季節がやって来た。@25000円5日間東日本・北海道乗り放題の切符で旅に出た。
「松本、蕎麦の旅」 第一日目
新宿発「あずさ7号」は満席状態だった。この日から乗り放題パスが利用可狽セからか、「大人の休日倶楽部」人気は凄いものがある。私は今年で3年目だが、毎回列車の旅を楽しみにしている。まずは松本の「そば処、浅田」へ。松本駅前から大通りを歩くこと約10分、NHK松本局の先を右手に曲がる。住宅街の中にその店はある。駐車場には県外ナンバーの車もある。5台分しかない駐車場だから既に満杯だ。店の中もほぼ一杯だが、偶然先客が出てきたので空き席に座れた。頼んだのは「+割蕎麦」と「蕎麦」、共に冷たい蕎麦だ。+割を「じゅうわり」と呼ぶのか「とーわり」と呼ぶのか、意見は分かれると思うが、私は「とーわり」が正しいのではないかと思っている。「どちらから先に出しましょうか?」と言われたので、「+割蕎麦を先に」と頼む。出て来た蕎麦はちょっと固目に茹でられていて、これをかなり濃いの強い醤油ダレで味合う。この店の「大根おろし」が一番高いそうで、地元産の大根は1kg@1800円というものらしい。店の説明によれば「まず大根おろし半分ほどを出汁に入れて、これで蕎麦を味わって欲しい」とのこと。この大根、高いだけでなくい「辛い」そうだ。薬味にはほかに「刻み葱」と「おろし山葵」だ。蕎麦は咽喉越し良くつるつると胃袋に入って行く。あっという間に一枚目を食べ終えた。食感、咽喉越し共に最高だ。次に普通の蕎麦。これは先ほどの「+割蕎麦」よりは若干柔らかな食感だ。それでも咽喉越しは素晴らしい。辛目の出汁にちょっと浸し、つるつると食べるが、「日本人に生まれてよかった」と感じる「至福の時」だ。二枚の蕎麦を食べて満足感一杯で店を出る。「+割蕎麦」@1000円、「蕎麦」@800円、合計1800円だが、決して高いとは思わない。店の中では順番待ちの列も出来ていた。さて、松本から小淵沢経由「小海線」で「JR一番高い場所」を通過し、佐久平から新幹線に乗り、大宮下車。そして埼玉の安行で例の3S会メンバーで「蛍狩り」を行った。実に充実した旅でした。
「招き猫」
銀座を歩いていたら、ウィンドーのガラス越しに沢山の招き猫が手を振っているのに遭遇した。それで思い出したが、大阪にも招き猫専門店があった。大阪は「本町(ほんまち)通り」を東に大阪城方面に行くとその店はあった。ご存知の通り、大阪は南北の道が「筋」、東西の道を「通り」と称する。だから非常に分かりやすいといえば分かりやすい。大阪勤務時代に偶然にその店を発見して「流石、商人の町」だと思った。そしたらやはり東京にもそれに近い店があったのに驚かされた。嘗て大阪、敢えて大坂と古い名前で呼ぼう。江戸時代から戦前までは「商都・大坂」は経済の中心地だった。なにせ「大阪市の人口」が一番多かったのは戦前の昭和10年代の280万人だというのだから恐ろしい。確かに周辺都市の人口は着実に増えている。しかし経済は?と言えば、今では東京を中心とした経済体制に変わってしまった。凋落激しい大阪なのだ。だが今、正に大阪復活の機運が出ているようだ。一度「JR大阪駅」周辺に行ったみたいものだ。「大丸」「阪急」「阪神」「三越伊勢丹」と大手百貨店が大激戦を繰り広げているようだ。「商都・大阪」復活の狼煙を上げてもらいたいものだ。果たして「招き猫」効果を獲得するのは誰なのか?橋下大阪府知事が「副首都」と言う国zを打ち上げているが、「関西復建権」期待しています。
「二八蕎麦」
美味い蕎麦に「二八蕎麦」というのがある。これは江戸時代から言われているそうで、二と八の意味は?と言うと二つ説があるようで、一つは「小麦粉2:蕎麦粉8」と配合比率だというのと、もう一つは「2掛ける8で16文」という「かけ蕎麦の値段」だったというものなのだ。江戸時代、比較的蕎麦の値段は安定していて大体「12文」から「16文」だったらしい。今の立ち食い蕎麦の値段等を勘案すると、1文は凡そ20円程度か?16文ならば320円、まあまあこんなものだろう。4000文が一両だから、一両は約8万円か?すると千両役者などと言われていた歌舞伎役者などは8千万円、これならば納得出来る。
「ナスカの地上絵、木」
腰の痛みを耐えながら「南米」に旅行したのは今年の3月だった。最後の目玉は「ナスカの地上絵」。どうしてこんなものをこんなところに造ったのだろうか?疑問が疑問を呼ぶ。そして感じたことはやはり「貧困」ということだった。「ペルー」は元大統領のフジモリ氏でも分かるように日本人移民も多いところだ。だが、行ってみて実態は貧富の差が大きな低開発国だったということだった。「銅」などの天然資源はあるものの、主だった輸出物は少なく、頼るは「観光」なのだろう。世界一行きたいという観光地「マチュピチュ」を抱えるペルーだが、貧困との戦いはまだまだ続くのだろう。
「江戸の庶民の生活は楽だったか?21」
「町木戸」
江戸の町には「木戸」があった。町と町との境にあり、これは大きな門と扉がセットになったもので、そこには「木戸番」が常時いて、出入する人々を監視していたという。木戸は「夜四つ」(午後10時頃)から「明け六つ」(午前6時頃)までは基本的に締められていた。ということになっていたが、そんなことでは不便でしょうがない。夜遊びも出来ない。と言った具合で「建前は建前」として実際には木戸は閉められていなかったというのが真実らしい。落語の「時そば」では、蕎麦を食べ終えた男が夜鳴き蕎麦屋の親父に16文の代金を払うのに銭を出して「ひ、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、今なんどきだい」「へい、ここのつでぃ」「とー、ひー、ふー、みー、、、」と数え、九文目を出さず、一文分得をするというお話しがある。この時の九つとは午後12時、真夜中だ。真夜中に屋台の蕎麦を食べる客がいるのに木戸が締まっていては話しにならない。こんなことからも実質的に木戸は開いていたことが分かると言うものだ。更にもう一つ「お江戸、日本橋、七つ立ち、初のぼり」という歌があるが、これは旅人が朝の「七つ」即ち午前4時頃に日本橋を旅立つというものだ。これでは木戸が閉まっていては通れない。従って、木戸は開けられていたということが分かろうというものだ。幕末に来日した外国人が江戸の火事の跡を撮影した写真が残っているが、道路に日本の大きな柱が二本づつ、あちこちに立っているのが写っていた。それが「木戸」の残骸だったらしく、あちこちに木戸の柱部分だけが焼け残っていて、その他、家は全焼して見渡す限り焼け野原になっていたから驚きだった。木戸の数の多さには本当にびっくりさせられる。
「長屋」
以前にも書いたが「九尺二間」というのが普通の縦割り長屋だ。間口九尺(約2.7m)で奥行き二間(約3.6m)という広さだ。だから、土間を含めても6畳間の広さと言うことになる。狭い長屋で大半の庶民は暮らしていたのだ。「大家と店子は親子」という言葉が落語などで語られるが、「大家」は所謂現代の「管理人」で、「店子」は勿論「借家人」。「地主」が別にいて、これは土地建物の所有者で大家に管理を任せているのだ。大家は店子の面倒も見るが、「家賃」を取り立て、「どぶ板」を直し、「井戸浚い」をさせ、「雨漏り」を修理させる。一方で共同便所から出る「汚わい」を肥やしとして農民に売る代金は大家のものになるらしい。
「手前勝手世界食物語、第305」
「海員閣」
日曜日に中華街を訪れたので、いつも行く「香港路」の小さな名店「海員閣」に行った。ところが「午後5時まで休憩中」となっていた。これまでは土日休日は午後の休みはなく営業していたが、どうしたのだろうか?コックさんの高年齢化か?客足が減ってきたのか?まあ両方が考えられる。特に店の経営者でレジを預かる小母さんは、本当に歳を取った。髪が白くなり、背中が曲がり、本当に老婆になったなあと思う。私自身は40年も通っているから余計そう思うのかなあ。食べたのはダイエット中ということもあり、「シュウマイ」と「車海老の殻煮」、そして「牛バラ煮込み」を注文。これまでだと更に「アワビと野菜のうま煮」を食べたのだが、それだと腹12分目となってしまうので、止めた。何を食べてもこの店の料理は美味いし、ボリュームもある。だが、他の客は殆どが「麺類」を頼む。何でこの店でそれも並んでまでして麺なのか?実にもったいない。一番のお薦めはやはり値段は高いが(@3000円以上)車海老の殻煮に限る。これを手を使ってむしゃむしゃと食べるが、本当に究極の味を楽しめる。殻付きの車海老を醤油ベースでたっぷりのニンニク、生姜と合わせて炒めてあるが、このニンニクがまた美味しく、思わず食べてしまうのだ。ちょっと並んだら、ぜひ召し上がってください。「シュウマイ」も美味いよ。一番先に出てくるから、他の料理が出てくるまでの繋ぎには絶対にシュウマイです。
以上、800回目を迎えた「J REPORT」を勢古口が東京からお送りしました。これからも宜しくお付き合い下さい。
「点字ブロック」
今ではどこにでもある「点字ブロック」だが、これが日本発、それも「岡山発」だということを知っている人は少ないだろう。私もついこの間知ったのだった。「視覚障害者」が道を歩く時にその道筋を示すこのブロック。実は色々な事故があり、その結果出来たものだそうだが、岡山発とは思わなかった。既に海外でも使用されているこの点字ブロック。だが、心無い人たちがブロック上に物を置いたりして、視覚障害者の痛ましい事故が起こっていることもまた事実だそうだ。ハンディーのある人に優しい社会を作らなくてはならない。