極楽鳥

「極楽鳥」
まるで鳥の顔のような花が「極楽鳥」と呼ばれているとは知らない私は「花音痴」だから仕方がないのだが、まあ花に興味がないのだから、お許しを願おう。それにしても不思議な花だ。鳥がくちばしを伸ばしたようなのが花だとは信じられない。

2013年の映画のお話し
映画「マラヴィータ」(TOHOシネマ有楽座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年196作目)
題名は主人公の家で飼われている犬の名だ。元マフィアの親分だった男がマフィアをFBIに売った。そしてマフィアに追い掛けられるということになるのだが、コメディーでした。

映画「悪の法則」(TOHOシネマ日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年197作目)
悪人達が麻薬の密輸を巡って争うが、兎に角残酷な映画でした。

映画「燦燦」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年198作目)
77歳の夫を既に失った女性が婚活をするというお話しだが、高齢化社会に進む日本では必見の映画だ。これはぜひ観てもらいたい。本当によい映画だった。

映画「ペコロスの母に会いに行く」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年199作目)
これも良かった。長崎に住む老女と息子と孫の3人の物語、老女は徐々に認知症が信仰して行くので施設に入れられた。老い、思い出、現在、未来、過去、薄れ行く記憶の中で一人の女性の人生が語られる。笑いあり泣きあり、今年の映画は傑作ぞろいだ。因みにペコロスとは「タマネギの頭」ということらしい。禿げの男性が沢山登場する。

映画「くじけないで」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年200作目)
92歳で詩を書き始めて98歳で自費出版した女性の半生を描く。大正、昭和、そして平成と生きた人生、両親、夫、息子、息子の妻、走馬灯のように目の前を走る。

映画「キャプテン・フィリップス」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年201作目)
ソマリア沖で起きた海賊事件とそれに対応した船長の物語。実話だという。

映画「遥かなる勝利へ」(シネスゥッチ銀座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年202作目)
第二次世界大戦、ソ連で革命の英雄だった男とその家族の物語。三部作の最終編、最後が素晴らしかった。

映画「おじいちゃんの里帰り」(テアトルシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年203作目)
1960年代、ドイツに労働者として移民したトルコ人家族が久し振りに里帰り。だが次々と問題が発生する。自分の帰属はトルコなのかドイツなのか、悩む家族たち。面白かった。

映画「ルパン三世と名探偵コナン」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年204作目)
ルパンとコナンの組み合わせはちょっとやり過ぎでは?いつもコナンは面白いのだが、今回は一番詰まらなかった。

日経新聞11月22日付け夕刊「シネマ万華鏡」の評価によれば、「かぐや姫の物語」が5つ星、「もらとりあむタマ子」が4つ星、「遥かなる勝利へ」が3つ星、「ウォールフラワー」が3つ星、「ふたりのアトリエ」が3つ星、「ジ・エクストリーム・スキヤキ」が3つ星、「ジンクス!!!」が2つ星でした。また11月29日付けは「キャプテン・フィリップス」が4つ星、「オーバードライブ」が3つ星、「ザ・コール」が3つ星、「REDリターンズ」が3つ星、「母の見終い」が2つ星、「おじいちゃんの里帰り」が3つ星、「あさ・ひる・ばん」が2つぼしでした。12月6日付けは「ブランカニエベス」が4つ星、「ブリングリング」が4つ星、「47RONIN」が2つ星、「利休にたずねよ」が3つ星、「セッションズ」が3つ星、「リヴ&イングマール」が3つ星、「名探偵ゴッド・アイ」が4つ星でした。

「私の去年2013年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、「舟を編む」「少年H」「タイピスト」「そして父になる」
今年の★★★★は、「シェフ」「アルバート氏の人生」「ライフ オブ パイ」「東京家族」「ムーンライズ・キングダム」「ジャンゴ」「愛、アムール」「ヒチコック」「天使の分け前」「藁の盾」「アイアンマン3」「ラストスタンド」「カルテット」「旅立ちの島唄」「奇跡のリンゴ」「アンコール」「真夏の方程式」「ワイルド・スピード ユーロミッション」「風立ちぬ」「クロワッサンで朝食を」「最愛の大地」「スマイル・アゲイン」「サイド・エフェクト」「凶悪」「グランド・イリュージョン」「危険なプロット」「49日のレシピ」「燦燦」「ペコロスの母に会いに行く」

「シノプスシ243」
「野分荒ぶ」(芝村 涼也 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年312冊目)「返り忠兵衛江戸見聞」シリーズ第11弾

「凱、上」(矢月 秀作 著)中公文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年313冊目)「もぐら」シリーズ第7弾

「凱、下」(矢月 秀作 著)中公文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年314冊目)「もぐら」シリーズ第8弾
意外な結末だった。

「剛剣馬庭」(鳥羽 亮 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年315冊目)「隠目付江戸日記」シリーズ第6弾

「うぶすな参り」(佐伯 泰英 著)カドカワ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年316冊目)「鎌倉河岸捕物控」シリーズ第23弾

「戸惑い」(小杉 健治 著)カドカワ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年317冊目)「独り身同心」シリーズ第5弾

「判じ物の主」(鈴木 英治 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年318冊目)「口入屋用心棒」シリーズ第27弾

「波乱」(上田 秀人 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年319冊目)「百万石の留守居役」シリーズ第1弾

「日輪にあらず」(上田 秀人 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年320冊目)「軍師、黒田官兵衛」

「火龍の剣」(鳥羽 亮 著)カドカワ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年321冊目)「八丁堀剣客同心」シリーズ第14弾

「闇の剣」(佐々木 裕一人 著)コミック出版文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年322冊目)「浪人若さま、新見左近」シリーズ第1弾

「雷神斬り」(佐々木 裕一人 著)コミック出版文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年323冊目)「浪人若さま、新見左近」シリーズ第2弾

「おてんば姫の恋」(佐々木 裕一人 著)コミック出版文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年324冊目)「浪人若さま、新見左近」シリーズ第3弾

「将軍の死」(佐々木 裕一人 著)コミック出版文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年325冊目)「浪人若さま、新見左近」シリーズ第4弾

「陽炎の宿」(佐々木 裕一人 著)コミック出版文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年326冊目)「浪人若さま、新見左近」シリーズ第5弾

「天主信長 表」(上田 秀人 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年327冊目)

「天主信長 裏」(上田 秀人 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年328冊目)

「カウントダウン」(佐々木 譲 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年329冊目)

「きつね日和」(倉坂 鬼一郎 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年330冊目)

「誘惑」(北原 亜以子 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年331冊目)

「たまゆら」(あさの あつこ 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年332冊目)

「待っている」(あさの あつこ 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年333冊目)

「ふるさと銀河線」(高田 郁 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年333冊目)

南アフリカの旅、後記

「J  REPORT 2013 12月第2週号」
「リタイアメント・ノート 5年6ヶ月目」、
「VOL。824 SINCE AUG.12th、1983」

「南アフリカの旅、後記」
「国家、キング・プロテア」
香港とヨハネスブルグ間往復にビジネスクラスを使った。これまで海外旅行には時差対策もあり、機内では寝ないで過ごし、現地時間に早く合わせようとしてきた。だから20時間以上寝ないこともあった。だが、今回は片道約13時間強をビジネスクラスの完全にフラットになる座席で6?7時間は眠った。これはやはり楽だった。もう歳だと思ったが、65歳を超え、元気なつもりでもやはり長旅は身体に堪えるということがよく分かった。これからは無理せず眠れるような旅にしようと思う。
ケープタウンの植物園で見た「キング・プロテア」の豪華な花は正に「国花」に相応しい花だった。それと感動したことの一つに「テーブルマウンテン」を下り降りる「雲」がある。次々とゲーブルマウンテンの後ろ側から湧き出す雲が次々と山を越えて、こちら側へと流れてくる。この迫力は見たものでないと分からないだろう。一度見たいと「摩周湖」で話しを聞いて思っていたが、摩周湖では年に1回か2回しか見ることが出来ないという。それがどうやらケープタウンではしょっちゅう見られるらしい。ケープタウンも治安が悪いのが玉に傷か。それがなければ本当に住み易そうな街だった。

南アの旅から戻って翌々日には、早速JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」で北海道に向かった。流石に旅行の疲れが溜まっているのか、東北新幹線の社内では寝てばかりいた。新青森から見る八甲田の山々は既に雪景色だった。青函トンネルを渡り北海道へ。函館山も白く雪化粧していた。流石に寒さがちょっとばかり気になる。今日は函館本線で札幌に向かう。JR北海道は不祥事続きで特急の最高速度が130kmから120kmに落とされ、
では多分台湾からの観光客と見られる数人の若者が乗ってきたが、台湾でも日本の特に北海道は人気で温泉巡りが流行っていると聞いていたが、どうやら本当のようだ。いつも行く札幌の「すし処 ひょうたん」に行った。満席で私の席だけがカウンターのはじに空いていた。いつもの大将の前の席ではなく、若い板さんの前に座る。まずは「烏賊刺しとカニ子」「白子の酢の物」「いばら蟹の白子と内子」「煮たスルメ、タコ、アワビ」「ヒラメ、つぶ貝、甘海老の刺身」「青海苔の佃煮」「きびなごの干し炙り」、そして握りは「ホッキ貝」「ヒラメ」「中トロ」「ボタン海老」「オオスケ(天然の鮭)」「スルメ烏賊」「サバ」「ウニ」「イクラ」最後はお吸い物で「三平汁」で完了。本当に美味しかったし、安かった。至福の一刻でした。やあ、北海道は美味しいね。札幌には来年2月にまた来ます。明日は帯広と函館です。

「手前勝手世界食物語、第319、後半」

第六日目
朝食はいつものバイキング、昼食は機内食のサンドウィッチ。夕食はホテルのこれもバイキングといつもと同じでした。

第七日目
朝食はホテルのバイキング。昼食はチョベ川畔のレストランで「ラム肉の煮込みとライス」を食べた。美味くない。夕食は地元名物料理のバイキングだったが、まずは「ワニ肉のャeー」、これは新宿でも食べたが、ワニは鶏肉のような感じであっさりしたさっぱり味の肉だ。一緒に「トーモロコシのビール」があったが、ひどい味だった。とても飲めない。次に「牛サーロイン・ステーキ」「ポークのそーセージ」「いぼイノシシのステーキ」、それに野菜を食べた。勿論ハイライトは、ゲテモノの「芋虫」を食べることだ。暗いからよく中身が分からなかったが、壺に入った、長さ5?6cm、太さ1cmほどの黒い塊が芋虫で、それを焼いてある上にそースを掛けてある。食べました。証明書も貰いました。味は?まあ、なんだかよく分からなかったというのが真実かな?かりかりなので生々しさは全くないし、ちょっと気持ちは悪いが、現地での重要なタンパク源だと思えば、食べ易いというもの。贅沢言わないで食べなさい。芋虫の甲羅の部分が歯に挟まって困りました。帰って歯磨きしました。

第八日目
朝食はホテルのバイキングで定番です。
その他も一緒でバイキングでした。
以上、南アフリカより帰国した勢古口がお送りしました。

第八日目(11月28日、木曜日)

いよいよ「ヴィクトリアの滝」だ。水量は10月が最低でこれから増えてくるという。さて、朝4時にまた空を見に行く。晴れてはいるが、外灯の光で地上近くの星は見えない。ホテルの従業員が出てきて、「南+字星はこっちだが、夏は見えない」と言っていたが、全く違った西のほうを指差していた。違うだろう、こっちだよ。見えない訳ないだろうに、本当に分かっていない奴だ。確かに南アフリカよりは赤道が近いから、低い位置でしか見えないのは事実だ。午前5時35分、「日の出」、地平線から真っ赤な朝日が昇ってきた。しかし、方向が「東南東」からなのだ。それでいいのかな?夏の時期だからいいのか?!!日本に戻ったら調べてみます。先ほど、漸く「ぱそこん」のメールが繋がった。何と252通ものmailを受信した。相変わらず携帯のメールは送れない。まあ、インターネット経由のメールが受信できただけでもめっけものか?助かりました。「ヴィクトリア・フォールズ」の「ザンビア」側に行く。ジンバブエのイミグレーションではNOチェックで出国し、ザンビア入国時には20ドル払いビザを得た。滝は残念ながら雨季に入ったばかりで水量が少なく、その姿の一部しか見せていなかった。本来ならば1.7kmに亘る幅で、93mの高さから落ちる滝を観るはずだったが、極々一部を水が流れ落ちていた。それでも虹が随所に見え、心を楽しませてくれた。これで「世界三大瀑布」を征服した。水量が少ないザンビア側を出て、ザンビア出国。ところがジンバブエ側では手数料の一人当たり30ドルだけ取られたが、イミグレーションでは入国手続きなしだった。あのお金はどこに行くのだろう?係官たちの臨時ボーナスになったのだろうか?余計な心配かな?ジンバブエ側には「悪魔の滝」というのと、「メーン・フォールズ」という有名な滝があり、それらは水量不足ながらそれなりの量の水が流れていた。午後からはヘリコプターによる10分ほどの飛行で滝を観た。本来ならば水が溢れんばかりに流れているはずだったが、残念だ。2月から6月が水量が多いとのこと。だがその時は逆に問題がある。というのは滝と見物客との距離、即ち滝壺と対岸の距離が非常に近いので、イグアスやナイアガラと違って船で滝壺近くに行かなくても、水飛沫を浴びてしまうのだ。水量の少ない今でもそれなりに風向きによっては、飛沫が飛んでくる。だから本格的なシーズンでは雨合羽、サンダル、カメラ保護用のビニール等は必需品だという。それでもずぶ濡れになるという。まあ今回は気持ち良い小雨が降っていたという感じだった。「イグアスが男性的な迫力ある滝」だとすると、「ナイアガラは美しい女神」のような佇まいだった。そして「ヴィクトリア・フォールズからは、目覚め前の魔女」を思い起こさせられた。上空からは滝から流れた水が極端なヘアピンカーブを何度も描きながら流れていて、不思議な地形を形どっていた。周囲を見回すと延々とサバンナが続き、地平線まで何もなかった。これがアフリカの大地だと実感させられた。貧しいアフリカに本当の幸せが来るのはいつなのだろうか?

第八日目(11月28日、木曜日)

いよいよ「ヴィクトリアの滝」だ。水量は10月が最低でこれから増えてくるという。さて、朝4時にまた空を見に行く。晴れてはいるが、外灯の光で地上近くの星は見えない。ホテルの従業員が出てきて、「南+字星はこっちだが、夏は見えない」と言っていたが、全く違った西のほうを指差していた。違うだろう、こっちだよ。見えない訳ないだろうに、本当に分かっていない奴だ。確かに南アフリカよりは赤道が近いから、低い位置でしか見えないのは事実だ。午前5時35分、「日の出」、地平線から真っ赤な朝日が昇ってきた。しかし、方向が「東南東」からなのだ。それでいいのかな?夏の時期だからいいのか?!!日本に戻ったら調べてみます。先ほど、漸く「ぱそこん」のメールが繋がった。何と252通ものmailを受信した。相変わらず携帯のメールは送れない。まあ、インターネット経由のメールが受信できただけでもめっけものか?助かりました。「ヴィクトリア・フォールズ」の「ザンビア」側に行く。ジンバブエのイミグレーションではNOチェックで出国し、ザンビア入国時には20ドル払いビザを得た。滝は残念ながら雨季に入ったばかりで水量が少なく、その姿の一部しか見せていなかった。本来ならば1.7kmに亘る幅で、93mの高さから落ちる滝を観るはずだったが、極々一部を水が流れ落ちていた。それでも虹が随所に見え、心を楽しませてくれた。これで「世界三大瀑布」を征服した。水量が少ないザンビア側を出て、ザンビア出国。ところがジンバブエ側では手数料の一人当たり30ドルだけ取られたが、イミグレーションでは入国手続きなしだった。あのお金はどこに行くのだろう?係官たちの臨時ボーナスになったのだろうか?余計な心配かな?ジンバブエ側には「悪魔の滝」というのと、「メーン・フォールズ」という有名な滝があり、それらは水量不足ながらそれなりの量の水が流れていた。午後からはヘリコプターによる10分ほどの飛行で滝を観た。本来ならば水が溢れんばかりに流れているはずだったが、残念だ。2月から6月が水量が多いとのこと。だがその時は逆に問題がある。というのは滝と見物客との距離、即ち滝壺と対岸の距離が非常に近いので、イグアスやナイアガラと違って船で滝壺近くに行かなくても、水飛沫を浴びてしまうのだ。水量の少ない今でもそれなりに風向きによっては、飛沫が飛んでくる。だから本格的なシーズンでは雨合羽、サンダル、カメラ保護用のビニール等は必需品だという。それでもずぶ濡れになるという。まあ今回は気持ち良い小雨が降っていたという感じだった。「イグアスが男性的な迫力ある滝」だとすると、「ナイアガラは美しい女神」のような佇まいだった。そして「ヴィクトリア・フォールズからは、目覚め前の魔女」を思い起こさせられた。上空からは滝から流れた水が極端なヘアピンカーブを何度も描きながら流れていて、不思議な地形を形どっていた。周囲を見回すと延々とサバンナが続き、地平線まで何もなかった。これがアフリカの大地だと実感させられた。貧しいアフリカに本当の幸せが来るのはいつなのだろうか?

第七日目(11月27日、水曜日)

午前3時半起床。早速星を観に出掛ける。満天の空には星と三日月が煌々と光っている。ありましたよ「南+字星」と「偽南+字星」が。「オリオン座」もよく観える。素晴らしい星空だ。早起きした甲斐がありました。昨日はクルーズでワインをかなり飲んだのに、食事の時に更にボトル一本飲んだので、ちょっと二日酔い気味だ。このホテル、冷蔵庫もバスタブも冷房もついていて立派なホテルだ。今も冷房がギンギンに効いている。昨日の気温は30度を超えていたらしいが、湿度がないから決して暑くはない。朝、ホテルの中を散歩すると、直ぐに子供をお腹の下に抱えた「ヒヒ」に出会う。つきまとうと母親が私を威嚇する。その他、鹿の一種の「インパラ」や「イノシシ」にも出会う。ヒヒは沢山いた。ボツワナに向かうが、途中で「キリン」と「シマウマ」に出会う。これも群れで暮らしていた。ジンバブエ出国、ボツワナ入国。ボツワナは一人当たりGDPがアフリカ第3位、年間約80万円強だという。南アフリカよりも若干上(南アは80万円)だそうだ。理由は英国より独立後、ダイヤモンドが発見され、その原石の輸出によって国家財政基盤が築かれたという。ダイヤ様様という訳だ。ボツワナの「チョベ国立公園」で4駆のトヨタ・ランドクルーザーに乗り換え、いよいよ動物たちとのご対面だ。いました、いました。早速「インパラ」「いぼイノシシ」がお出迎え。チョベ川沿いの草地に本当に多くの「アフリカ象」がいた。集団で水を飲んだり、草を食べたり、水辺で泥を掛けたり、或は水浴したりと思い思いの姿でリラックスしていた。聞くと4日前までは雨で象たちは60kmほど離れた山にいたが、雨が止んだのでここまで来たのだという。しかし一頭の象の死体があった。水まで後数メートルで力尽きて死んだという。まだ一日も経っていない死体だった。これも自然の摂理なのだ。死体は他の動物たちの餌になる訳だから。「カバ」も沢山いた。勿論水の中から顔を出していたり、陸で草を食んでいたりしていたが、これまた凄い数のカバだった。その他、「インパラ」「アンテロープ」「サバンナモンキー」、鳥では「エジプトガン」「アフリカカゲコウ」「ホロホロチョウ」「ウミワシ」等がいた。何しろ最初は象に驚いていたのだが、余りの数の多さに、最後には目もくれなくなったし、カバも多過ぎて飽きてしまった。今日一日で1000頭ほどの象を観たと思う。午後からはチョベ川の川下りとなったが、今度は同じ場所を川から見たのだが、象の大群は殆どいなくなっていた。丘のほうに行ってしまったらしい。象は妊娠期間22か月で120kgもの大きさの赤ちゃん象を生むが、シーズンが決まっている訳ではなく、年がら年中生むのだそうだ。象は一度に170?200Lの水を身体に蓄えることが出来るので、かなりの日数水なしでも生きられるという。だから60kmを3日間掛けて水場にやって来られるのだ。川の中州に体長3mほどの大型の「ワニ」がいて、我々の船が近くに寄り、皆で騒いでいたら、突然動き出し川にどぶーんと飛び込み潜って行ってしまった。昼寝の邪魔をしたらしい。さて、話しは変わるが、自動車だが、ジンバブエもボツワナも日本車が圧倒的だ。特にトヨタ車が完全に制覇していた。南アには工場があり、エンジン等の主要部品は日本?から持って来ているらしいが、大半は現地調達で組み立てているらしい。だから隣国のボツワナにもジンバブエにも南アから輸出されているのだろう。ボツワナの面積は日本の1.5倍だが、人口や約200万人というから少ない。さて本日は動物たちを自然の中で見ることが出来て本当に有意義な一日だった。地元のガイドが言っていたが、この地方で人を殺す動物のランクは、1位カバ、2位バッファロー(アメリカのバッファローと違い、角と角の間も固い骨で覆われていた)、3位象だそうだ。カバが一番の理由は川での魚釣りの時の事故らしい。

「旅暦47、南アフリカの旅、後半」

第六日目(11月26日、火曜日)
早朝5時、朝焼けが綺麗だ。ヴィクトリア・フォールズへと移動する。ツアー客の中に数名の方が私と同じで「世界三大瀑布」の征服を目指している。いよいよ目的達成へと向かう。下を見るが、広大な褐色と薄い緑の低い灌木があるだけ。これがジンバブエの大地だ。高原に空の雲が影を落とす。何もない。ただ広がっている大地。昨年11月のポルトガルが50か国目、今年3月のペルーが51か国目、今回の南アフリカが52か国目、本日到着した「ジンバブエ」が53か国目だ。今回は更に「ボツワナ」(54か国目)「ザンビア」を廻るから、最終的には世界の55か国を巡ったことになる。ジンバブエは面積とほぼ日本と同じ、人口は1300万人、経済は崩壊して自国通貨はなし。米ドルか南アのランドが通用するアフリカでも最貧国の一つなのだろう。まさに「これがアフリカだ」という国だ。南アとは全く違う。さて、インターネットに繋がったが、ホテルでは電圧も安定しないし、アイドルタイムが長過ぎてメールの送受信が出来ない。本当に困ったものだ。どうすればいいのだろう?仕方なく、フロントでアダプターを借りて来た。それでもインターネットには繋がりにくいしメールは全く駄目だ。いよいよアフリカで4番目に長い川「ザンベジ川」のサンセットクルーズだ。筏を大きくしたような船に乗り、2時間のクルーズだ。飲み放題というのがいい。川の中州に「ワニ」がいた。「インパラ」(鹿の一種)もいた。川の中には「カバ」たちがいた。我々の目を楽しませてくれる動物たちがいた。自然豊かな土地だ。船に乗る前に現地人たちがリズムよく踊る。勿論お金を稼ぐためだ。私も10ランド(約120円)払った。午後6時半、いよいよアフリカの大地に太陽が沈む。あっという間だった。ホテルに戻ると周囲はカエルの大合唱が待ち受けていた。虫が飛び回っている。

「手前勝手世界食物語、第319」

第二日目
夜はビジネスクラスでの食事だったが、殆ど食べなかった。というか日本時間でいえば午前2時過ぎの食事だから食べられる訳がない。朝もいろいろ出てきたが果物を少々食べた。南アフリカ国内便ではサンドイッチが出た。野菜サンドをもらった。夜はホテルでの食事でバイキングスタイル。野菜類は生も温野菜も沢山あり、ムール貝、ローストビーフはそれなりに美味しかった。

第三日目
朝はホテルのバイキング、昼食もワイナリーのレストランでのバイキングだった。変わり映えのしない食事だ。夜は中華料理だったが、なんと「老酒」がなく、仕方なく「白酒」を飲む羽目になってしまった。料理も美味くなかった。白酒は56度の強烈な酒だ。テーブルの男性陣4名にも振る舞って飲んだが、結果余ってしまった。料理の中で「ダチョウの肉と野菜炒め」がでたが、初めてダチョウを食べた。特に何にも感じなかった。「白身魚のフライ甘酢餡かけ」が出たので魚をさばき、皆さんに提供したら驚かれた。別にいつもやっていることだ。身を骨からはがし食べやすくするだけだから。ショッピングセンター内のスーパーの入口に「寿司」の詰め合わせが売っていた。ここ南アフリカでも寿司ブームのようだ。殆どがサーモンだったが。SC内には「ROYAL SUSHI BAR」という店もあり、日本人らしい板前が握りを作っていて、お客も入っていた。

第四日目
朝はいつも通り、昼は「ロブスター」、夜は「ステーキ」だった。感動など全くない。ステーキはまたもそースがかかっていた。熟成した肉を塩と胡椒で食べたかった。

第五日目
朝はお弁当、昼はホテルのバイキング、サラダと鳥の煮込みだった。夜はヨハネスでの和食、「豚カツ御膳」だった。豚カツに野菜の煮つけ、漬物等なかなか本格的な和食でした。味噌汁はちょっと味が濃過ぎた。毎朝、日本から持って行った「味噌汁」を2杯飲んでいる。前回のフランス旅行の時から持参するようにしたのだが、コーヒーを飲むよりは味噌汁のほうが胃が安定するように感じる。やはり日本人なのだろう。
以上、南アフリカから勢古口がお送りしました。

第五日目(11月25日、月曜日)

南緯33度のケープタウンから南緯23度のヨハネスブルグに移動する。同地は1882年に金が見つかったことから発展した街だとか。金鉱の残骸ともいうべき「ぼた山」があちこちにある。それでもアフリカ最大のGDPはこの南アフリカであり、一人当たりGDPも小国のインド洋の国やダイヤ生産国についで第4位だというから凄い。走っている車も新車のような綺麗な車ばかり。車社会のこの国には車は必需品なのだろう。これまで見て来たエジプトやチュニジアとは根本的に違う。アフリカにあってアフリカでない国が南アフリカなのだろう。車はヨーロッパ、特にドイツ車が多いが、それに伍してトヨタ、ホンダ、日産も多かった。たまに韓国車もあったが、圧倒的に日本車のシェアーが高いと思った。朝のケープタウンは霧に包まれていた。昨日までの晴天はどこにいったのだろう?テーブルマウンテンは影も形も見えない。さて気温25度のヨハネスブルグは南アの経済の中心都市だ。ところが今の問題はダウンタウンから、企業や白人たちは治安悪化を理由に郊外へと移転しているという。だから、ダウンタウンはゴースト化しているようだ。確かに郊外の住宅建設は凄いものがあった。ヨハネスブルグだが、緯度はほぼ沖縄と同じ亜熱帯だが、高度が1500mと高原地帯だから、涼しい。大体南アフリカの平均高度は1200mだというから高原が当たり前の国なのだろう。人種隔離政策時代にマンデラ氏が住んでいた「そ・ウェト地区」に行く。これは「SOUTH WEST TOWN」の略で「SO WE TO」というらしい。マンデラ氏の逮捕前の家、1972年に教育が英語でなくなることに反対した少年たちのデモ隊に白人警察官が無差別に発砲した事件の場所を訪れた。当時、警察官には白人だけでなく黒人もいたが、仲間からは裏切り者扱いされていたらしい。過酷な運命だったのだろう。マンデラ氏は通信教育で大学卒業資格を取り、弁護士となったが、弁が立つので差別撤廃運動の指導者に祭り上げられ、結果として投獄されてしまったとのこと。ノーベル平和賞を獲得した人物だ。その後、人類の遠い起源とされる「原人」の骨が発掘された鍾乳洞にも行った。数万年前の人らしいが、どうも穴に落ちてしまい、鍾乳洞の中で石灰石に覆われたらしい。最後は「ライオン・パーク」に行き、幼い4?5か月の子供ライオンと写真撮影をした。本来はライオンに触れてということだったが、神経過敏なライオンたちなので、触らず近寄るだけにした。その他、放し飼いのキリン、ジャッカル、ヒョウらの猛獣や、愛らしい動物も沢山いた。今の季節、ヨハネスブルグは雨期で「スコール」が襲う。突然の雷と雨が我々を驚かせた。現在の南アの黒人たちは、2000年ほど前までは赤道付近に住んでいたが、人口増加により、南下し、それまで住んでいた原住民を吸収同化して現在に至っているらしい。ホテルに入ったが、本日も外出禁止とされた。治安が良くないらしい。目覚めたら、まだ朝の2時だった。まあ東京にいる時もほぼ同じ時刻には目を覚まして、ラジオを聴きながら本を読んでいるので、その通りの日常性に戻ったということだろう。時差は解消されたらしい。

第四日目(11月24日、日曜日)

ケープタウン最後の日だ。早朝の「植物園」を訪れた。色々な花々が咲き乱れていた。中でも感動したのが南アフリカの国花である「キング・プロテア」だった。直径10cm強の向日葵のような花で薄いピンク色をした豪華な花だった。その他動物たち鳥たちがいた。子供のフクロウの兄弟がネズミを食べていた。エジプトガン、ホロホロ鳥の親子、リスと余り見慣れない動物たちもいた。それから「アザラシ」の住む「シールアイランド」へ船で行く。数千頭のアザラシたちが島に上陸して寝ていた。海で泳ぐもの、陸で寝ているもの、本当に凄い風景だった。午後からは「アフリカ・ペンギン」の住む浜に行った。ここも数百羽のちょっと小型のペンギンが日向ぼっこしていた。これも驚きだった。そして締めはアフリカ最南西端の「ケープポイント岬」と「喜望峰」に行った。大西洋とインド洋を結ぶ重要な航路上の半島の先端だ。「バスコ・ダ・ガマ」が「インド航路」を発見したとしても知られている。途え中で「チャックマン・ヒヒ」というサルよりはちょっと大型の動物の家族連れが道路に出てきていて道行く車が止まってヒヒたちを見ていた。その他、シマウマ、鹿も見ることが出来た。ケープポイントでは名物のケーブルカーが故障していたので歩いて灯台まで登ったが、15分弱だった。南が南極、右手が大西洋、左手がインド洋、大海原が広がっていた。喜望峰では観光客が先を争って「看板」のところでの写真撮影で大混乱。写真を撮っても撮らなくても別にどうでもいいので風景のみ撮影して早々にバスに戻った。その後「喜望峰到達証明書」をもらった。快晴の日が二日続き、紫外線が強くすっかり日焼けしてしまった。二の腕から先、首筋首回り、顔と真っ赤になった。さて日曜日とあって地元の人たちが家族連れで繰り出していた。海岸では海水浴する人たちが集い、芝の上では皆でピクニックをしていた。家族団欒のひと時を楽しんでいるようだった。ここにはもはや人種差別の影はなかった。さてやはり驚いたのは郊外にある一戸建て住宅群だが、電線に電気が通ったフェンスで囲まれセキュリティが非常に厳しい環境で暮らしていた。一つの団地はフェンスで外部と遮断され、入口にはガードマンがいてチェックしていたが、それほどまでに治安が悪いということなのだろう。外部からの侵入者を完全に防ぐ体制だった。南アの現実がこれなのだろう。未開拓の高山地帯からの人たちが職を求めて都会にやってきてスラム化し更に治安悪化になるというのが現実なのだ。それと道路を歩いているのは黒人のみ。白人は車か、サイクリング中かだ。そんな貧しい黒人の脇をバスは猛スピードで過ぎていく。信号待ちの場所では黒人の物売りが来る。どこの後進国でも同じようなものだ。貧富の差が全ての原因なのだろう?

「ペンギンさん」