「平城京蹟」

「平城京跡」
翌日は御堂筋を大阪駅まで歩く。この通りも随分と変化している。昔の建物もあるが、新しいのもあり、変化している。と偶然大手鉄鋼メーカーのOBの方に遭遇。いやあ驚いた。本当に偶然だ。名刺を貰う。私と同じ歳だが、未だに再就職して頑張っているらしい。さて近鉄で奈良に向かう。難波から約30分、こんなに近かったからなあ。私は「西国三十三か所霊場巡り」を都合三回おこなったから、奈良にも何度も来ているが、もう記憶が薄れている。まずバスで「東大寺」に行き、「大仏殿」を遠くから見た。沿道には鹿が沢山出て来ていて観光客が持っている「鹿せんべい」をねだっていた。鹿に取り囲まれて困っている外国人観光客もいるがこれが滑稽で面白い。本当に沢山の観光客だ。そして100円バスに乗って「平城京跡」に行く。北に「大極殿」が出来ていた。天皇がここで政治をしたという場所を復元したものだ。天皇の座(高御座)があった。大極殿から南に1kmほど離れて「朱雀門」が見える。朱雀門は12年前に完成したという。大極殿の前の広場でも工事が行われていて、新しい建物を建てるという。所謂昔の役所だという。バスで朱雀門に行くとボランティアの人が説明役をかってでてくれて、聞くと平城京跡の調査は15%程度でまだまだだそうだ。調査が終わった場所は保存のために埋め戻し、その上に再現した建物を建てるという。朱雀門から南に朱雀大路が3kmも続いていたという。その幅約70m、道というより広場という感じだろうか?平城京は実際には70数年しか続いていいな。あちこちに都を移してその後長岡京から平安京にと移ることになる。「長屋王」の館跡の場所を聞いてみた。なんと今はイオンモールが建っている場所がそうだという。しばし往時の人の夢を追う。奈良から空港バスで伊丹空港に向かい帰京した。ここ奈良もモバイル・スイカが使えない。使えるのは地元の「イコカ」と「ピタパ」だけだ。国際的な観光都市なのだから東京で使えるのが使えないのはおかしいよ。この神経が分からない。海外からの観光客のためにも早く使えるようにすべきだ。

「猫の駅長 たま」

「J  REPORT 2014 7月第1週」
「リタイアメント・ノート 6年1ヶ月目」、
「VOL。853 SINCE AUG.12th、1983」
「国内の旅、西へ、阪和奈」
「猫の駅長、たまちゃん」
JALのマイレージの有効期限が来たのがあったのでJALで大阪にやってきた。難波から南海に乗って和歌山へと向かう。久々の和歌山だ。もう何年前だろうか?16年か?大阪の緑のない街から来るとやはり和歌山には緑が多いと感じる。田舎だなあ。南海電鉄で和歌山市駅、JRに乗り換えて和歌山駅、そして和歌山電鉄貴志川線で終点の喜志に行く。和歌山市駅から先では「モバイル・スイカ」は使えない。困ったものだ。この電鉄は廃止されそうになった時に岡山の会社が名乗り出て経営を引き受け、採算を回復させたという。その一つの名物が「三毛猫」の「たま」なのだという。何回かテレビでも観たが一度実物を観てみようと思い立って訪れた。電車の車両は「いちご電車」、イチゴの絵が沢山描かれていた。観光客も結構大変乗っている。地元の人よりも多そうだ。二両編成で一時間に二本が運行されている。乗客数約20名、これでも採算が合うのか?平日昼間だからこれでもましか?田園風景が続く。30分で終点到着。いよいよ「たまちゃん」とのご対面だ。だが、寝てました。「社長代理兼駅長」の称号が掲げられていた立派な社員なのだそうだ。皆が写真を撮る。人気者だ。猫は寝るのが商売みたいなものだから、仕方ない。寝姿をパチリ。ついでに飾ってあった起きている時の写真をパチリ。折り返しの便でJRまで戻り、特急「くろしお」で大阪は「天王寺」に戻る。次の目的地は新しく出来た高層ビルの「阿倍野ハルカス」だ。行列に並ぶこと約1時間で280mの展望台に到着。60階だという。流石に市内が一望できる。緑が少ない。あるのは神社かお寺か大阪城だけだといっても過言でない。ざっと展望台を一周した。生駒の山から神戸の山、そして大阪湾、市内中心部、大阪駅周辺はこれも高層ビルが立ち並ぶ。その後大阪駅に出たが、景色が激変していた。阪急百貨店が新しいビルになり、大阪駅の線路上には自由通路のコンコースが掛かり、北側にも大きなビルが建っていた。私がいた15年前とは全く違う大阪駅周辺だった。その後友人と待ち合わせの「お初天神」に行き、友人とともに近くの蕎麦屋へと行く。「瓢亭」という老舗の蕎麦屋で初めての店だった。「焼き味噌」「水茄子」など5品頼んで私は冷酒を飲み、友人は熱燗を飲み談笑し、締めに「夕霧そば」という「柚子を練りこんだ蕎麦」を食べた。味わい深い蕎麦を堪能した。宿は元勤めていた会社の本社ビルの近く、本町だった。泉州名物の水茄子のさくさく感は忘れがたいものだった。

「明月庵・田中屋にて」

「手前勝手世界食物語、第342号」
「明月庵・田中屋にて」
久し振りに昔の会社の先輩たちと会食をした。場所は銀座の「明月庵・田中屋」。ソニービル裏の通りにある。今回は後輩が子会社の社長を退任したのを労っての会だった。コース料理を頼んだが、量が少なめで我々には丁度いい。食べ過ぎずお腹にも垂れず本当に美味しかった。最近感じるのだが、歳をとるということはこういうことなのだろう?と。やはり無茶喰いをすると体調が悪くなるし、トイレが近くなる。この会も昔は二次会に行っていたが、最近は一次会で解散、それもなるべく7時前には解散している。だから今回の集合時間は午後4時。さて締めは勿論「日本蕎麦」、私は「もり」を頼んだ。この一ヶ月ほど「糖質ダイエット」していたから、蕎麦などは本当に久し振りだった。やはり田中屋の蕎麦は美味い。
以上、ポーランドから帰国した勢古口が東京からお送りしました。

「多慶屋」

「多慶屋」
こう書いて「たけや」と読む。御徒町周辺にいくつもの店舗がある。この店ディスカウントストアなのだが、「売り場単位面積当りの売上高日本一」の店なのだ。本当に色々な品揃いだが、それが安いからたくさんの人が訪れ、売り上げが上がる。薄紫色の独特の色をした建物だが、御徒町では群を抜く販売力を示していた。

「吉池」
御徒町駅前にある「吉池」は元々は魚屋さんなのだが、大きなビルに建て替えた。一階と地下は自社の店舗だが、2階以上は「ユニクロ」になっていた。魚は市価よりも安いので有名な店だからお客も非常に多い。なにせ御徒町駅前だから立地がいい。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?53」
「両国橋縁起」
「明暦の大火」俗に「振り袖火事」と呼ばれた火事が起きたのは、1657年でその時に大川を渡れずに多数の人が亡くなった。幕府は万治3年(1660年)に長さ96間、約173mの橋を架けた。幕府はその橋を「大橋」と名付けたが、一般には庶民は武蔵と下総の二つの国の間の橋ということで「両国橋」と呼んだ。それが定着した。その後隣に架けられた橋が今も呼ばれている「新大橋」になったが、元々の大橋の所以は両国橋のことなのだという。

「スターリンの贈り物」

「スターリンの贈り物」
ワルシャワの中心部に一際高い建物がある。なんとも古風な建物だが、これが第二次世界大戦後、社会主義国家群に組み込まれたポーランドへの「ソ連のスターリン首相」からの「プレゼント」だというのだ。ソ連から技術者労働者が入ってきて建てたこの建物、今も使われているが、1989年の民主化後、取り壊そうという話しもあったらしいが、今更壊しても余計な費用が掛かるということで残されたらしい。いずれにしてもワルシャワ市民にとっては無用の長物だったようで、今でも「スターリンの贈り物」と揶揄しているとのこと。ポーランドの人はロシア人嫌いなんだなあ。

「紫陽花」

「紫陽花」
梅雨になり、紫陽花の花が咲き始めた。朝の散歩中に観た紫陽花。この花は色が色々と変化するという。勿論土地の土質にもよるらしい。私の好きな花の一つが紫陽花だ。一見豪華そうだが、雨の中、淡い色が何か弱弱しく見えて哀れを誘うのは私だけだろうか?

「2014年の映画のお話し」  2013年は221本の映画を観ました。
映画「ポリスストーリー レジェンド」(日比谷みゆき座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年96作目)
ジャッキーチェンも歳をとったねえ。

映画「ポンペイ」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年97作目)
西暦79年実際に起こった事件。ミラノ近郊の都市ポンペイのヴェスヴィア山火山噴火による消滅時を如何にもローマ帝国風に描いていた。剣闘士と富豪の娘の恋が中心。

映画「ニード・フォー・スピード」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年98作目)
市販の最高級スポーツカーでの一般道でのレースを描く。迫力満点でした。

映画「ノア 約束の舟」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年99作目)
旧約聖書に出てくるノアの箱舟のお話し。まあ宗教的な感触がないと納得出来ないかな?

映画「グランド・ブタペスト・ホテル」(TOHOシネマシャンテにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年100作目)
テンポが凄い。普通の映画ではない。物語は1932年のホテルで起きた事件なのだが、色々な要素が絡み合い、素晴らしい展開を見せる。まあ一度観て下さい。観て損はない。

映画「ポドロフスキーのDUNE」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年101作目)
SF作家のポドロフスキー氏が自作のDUNEという小説を映画化しようとするが、ハリウッドから断られる。しかしこの映画の企画を元にしてその後の数々のSF映画が作られることになった。「エイリアン」や「スターウォーズ」などもそうだ。

映画「春を背負って」(TOHOシネマ日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年102作目)
期待して観たが、はっきり言って期待外れだった。立山の自然は良かったが、演技もへたくそだった。演出が悪いな。檀ふみさんも年取ったね。

映画「落語研究会昭和の名人7 古今亭志ん朝」(東劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年103作目)
流石ですね、圧倒されました。お題は三つ。

映画「私の男」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年104作目)
奥尻の津波で家族を失った花は7歳。養父となった独身の若い男と暮すが、高校生になり肉体関係を持ってしまう。二人を巡る愛憎が遂には殺しにまで発展する。ある意味恐ろしい映画でした。でも必見です。

6月6日付けの日経新聞夕刊「シネマ万華鏡」の評価は、「グランド・ブタペスト・ホテル」が4つ星、「闇のあとの光」が4つ星、「「ポンペイ」が3つ星、「美しい絵の崩壊」が3つ星、「ハミングバード」が3つ星、「万能鑑定士Q」が3つ星、「みつばちの大地」が3つ星でした。6月13日付けは、「私の男」が4つ星、「春を背負って」が4つ星、「ノア 約束の舟」が3つ星、「ニード・フォー・スピード」が3つ星、「わたしのハワイの歩きかた」が3つ星、「スイートプールサイド」が2つ星、「ホドロフシキーのDUNE」が4つ星でした。6月20日付けは、「サード・パーソン」が3つ星、「私の、息子」が4つ星、「ラストミッション」が4つ星、「300?帝国の進撃?」が2つ星、「超高速!参勤交代」が3つ星、「円卓・こっこ、ひと夏のイマジン」が3つ星、「あいときぼうのまち」が3つ星でした。

「私の去年2014年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、「青天の霹靂」
今年の★★★★は、「小さいおうち」「アメリカン・ハッスル」「ウルフ オブ ウォールストリート」「光にふれて」「ダラス・カーボウイズ・クラブ」「それでも夜は明ける」「あなたを抱く日まで」「世界の果ての通学路」「チョコレート・ドーナッツ」「プリズナーズ」「ウッドジョブ」「マンデラ」「X?MEN」「グランド・ブタペスト・ホテル」「私の男」

「2014 旅の記憶シリーズ」
2014年の国内旅行は、第一回目は九州福岡と水俣(1月)、第二回目は能登(1月2月)。第三回目は長崎(三月)です。
2014年の海外旅行は、トルコ(1月、3度目)、台湾(2月、3度目)、シンガポール(3月、X度目?)、フィンランド、ポーランド(6月)=55&56ヶ国目です。

「2014 歌舞伎観劇シリーズ」歌舞伎座にて★★★「今年3回目」

「2014 本の記憶シリーズ」  2013年は本を350冊読みました。
「歌川国芳 猫づくし」(風野 真知雄 著)文芸春秋刊 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年138冊目)

「銀の島」(山本 兼一 著)朝日文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年139冊目)

「連合艦隊司令長官山本五十六」(半藤 一利 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年140冊目)

「闇狩人」(矢月 秀作 著)朝日文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年141冊目)

「ちよの負けん気、実の父親」(佐藤 雅美 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年142冊目)「物書同心居眠り紋蔵」シリーズ第11弾

「乾坤の児」(仁木 英之 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年143冊目)「千里伝」シリーズ第4弾完結編

「列島の歴史を語る」(網野 義彦 著)ちくま学芸文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年144冊目)

「雁渡り」(今井 恵美子 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年145冊目)「照降町自身番書役日誌」シリーズ第1弾

「遺文」(佐伯 泰英 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年146冊目)「吉原裏同心」シリーズ第21弾

「なみだ酒」(和久田 正明 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年147冊目)「死なない男同心野火陣内」シリーズ第10弾

「新参」(上田 秀人 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年148冊目)「百万石の留守居役」シリーズ第3弾

「人食い鬼」(幡 大介 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年149冊目)「公事師卍屋甲太夫三代目」シリーズ第3弾

「国マニア」(吉田 一郎 著)ちくま文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年150冊目)

「ちょっと徳右衛門」(稲葉 稔 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年151冊目)「幕府役人事情」

「はなむけ草餅」(牧 秀彦 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年152冊目)「甘味屋十兵衛子守り剣」シリーズ第5弾最終編

「開運せいろ」(倉坂 鬼一郎 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年153冊目)「人情処深川やぶ浪」シリーズ第4弾

「ポーランドの旅、後記」

「J  REPORT 2014 6月第4週」
「リタイアメント・ノート 5年12ヶ月目」、
「VOL。852 SINCE AUG.12th、1983」
「ポーランドの旅、後記」
ポーランド語は難しいと聞いていたが、語尾が非常に複雑に変化するので日本人にとっては特に難しいらしい。それでもアルファベットの表記で発音は出来るらしい。意味は良く分からないが、例えばレストランは「RESTAURACJA」と書いて「レスタウラシア」と読むらしい。物価はやはり日本と比べると安い。スーパーでビールを買った。缶ビール4本で2Lが約500円、勿論本物のビールだ。ウォッカも700mが1200円。ワルシャワは冬は最低でマイナス40度にもなることがあるという。だからウィスキーよりもウォッカが好まれるらしい。逆に夏も40度になるという。それとトマトがどこでもいつでもたくさん出た。生も勿論だがジュースも必ず朝食にはあったし、サラダも必ずあった。一番驚いたのが、緑の多さと土地の平らさだった。どこまでも平坦な平原が続く。それは緑の森だった。地震がないことも影響しているのか、煙突なども細かった。写真は作曲家「ショパン」の像だ。

「イチゴの失敗」
思い込みが最近激しくなってきたようだ。先日のポーランド旅行中のことだった。トイレ休憩で入ったトイレの入口にバスケットに入れた「イチゴ」が二つあった。丁度手洗いの水道のところだったから、地元の人がサービスで置いてくれたのだろうと勝手に判断して一つ摘まんで食べた。余り美味しくない路地物のようだった。後から女子トイレから出てきた親子がそれを持って行った。ただ水道で自分たちのイチゴを洗って置いてあったようだった。私は泥棒をしてしまったのか?ご免なさい。

「アウシュヴィッツ」
そこは元々ポーランド軍のレンガ造りの施設だった。そこをポーランド人とユダヤ人の囚人達の手で増築し二階建てにしたものだった。そこの一つの棟には「遺品」だけがある部屋があった。こちらには「女性の髪の毛」、こちらには「男女の靴」「鞄」「身体障害者の義足などの器具」「身の回り品」等々がうず高く積まれていた。ここだけはカメラを向けられなかった。余りにもその所持者のことを考えてしまい、とてもではないが記録に残そうという気には絶対にならなかった。

「ヘルシンキ」
ワルシャワから飛行時間1時間45分でヘルシンキだ。エストニア上空からでもバルト海を越えてもうフィンランドの海岸線が見える。この間のバルト海は実に狭い。さて空からヘルシンキの周囲を観ても、平らな平地と数々の湖が見えるだけで山が全くない。見渡す限り原野が続いていた。ポーランドに続いてこのような平らな土地が広がっていたのに改めて驚かされた。

「ワルシャワ市内」

第6日目、6月10日(火曜日)、第7日目、6月11日(水曜日)
「ワルシャワ市内観光」
旧市街地の観光の前にまずは「ショパン」所縁の地を巡る。「ワジンキ公園」で「ショパン像」を観て、ショパンの「生まれた家」、父親が教師をしていた「ワルシャワ第一高校」、「ワルシャワ大学」等々を廻った。そして世界遺産の旧市街地へと。ワルシャワはヒットラーに徹底的に破壊された。理由はナチスドイツ占領下のポーランドで1944年8月市民たちが立ち上がり、所謂レジスタンス運動での市民一斉蜂起を行ったことによる。その鎮圧のためにヒットラーは西部戦線からも兵士を導入せざるをなくなり、彼の逆鱗にふれ、「ワルシャワを平らにせよ」ということで徹底的に破壊することを命じたという。約10万人の市民が死んだという。戦後はソ連により「社会主義国家」にさせられ、「スターリング」による知識人の虐殺が行われたりと苦労の連続だったという。旧市街地は戦前の姿に完璧に戻すべく作業が行われたという。だから今は非常に美しい姿を保っている。昼食後フリータイムに個人で「旧王宮」を見学した。内部も立派だったが、「絵画」も素晴らしいものが沢山あった。この数日、本当に暑い。毎日30度超えだ。湿度が低いから日陰に入ると涼しいが、直射日光の下では暑さに負けそうだ。ワルシャワでもこんな気候は珍しいという。さて、ポーランドの生んだ偉人だが、筆頭は勿論「ショパン」だろう。「コペルニクス」、「キュリー夫人」、「ワレサ」、「ヨハネパウロ2世」などだろうか?ノーベル賞を二度獲得したキュリー夫人は、実はワルシャワ生まれで18歳の時パリに留学し、フランス人と結婚したのでフランス国籍になっているが、実際はポーランド人だということを初めて知った。彼女も含め、彼女の夫も、娘婿たちも含めるとノーベル賞受賞者が5人もいる家族なのだという。ワレサ氏は1990年初めての民主化大統領選挙で選ばれた「連帯」の指導者だ。コペルニクスは有名な天文学者だし、前の前のローマ法王だった「ヨハネパウロ2世」は今年の4月に早くも「聖人」に列せられた。現地ガイドの方々はそれぞれ大学の日本語学科を卒業して勉強してきたのだが、その日本語の上手さには舌を巻く。東欧の国の人たちの言語能力の高さには驚かされる。それだけ色々の国との色々な複雑な関係が生じることから、持つことを余儀なくされた能力なのかも知れない。今から25年前の1989年、「ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア」の四か国から「民主化運動」がスタートし、その後東ヨーロッパ各地で民主化が行われ、「ベルリンの壁」の崩壊、「ソ連邦崩壊」へと続く。まだたったの25年しか経っていないとは驚きだ。ノルマンディー上陸から70周年、戦後69年の今年、東アジアの混沌はどうなるのだろうか?中国、北朝鮮、ベトナム、まだまだ民主化されていない地域が沢山ある。自由にものが言えない国から解放された東ヨーロッパの波は、近年「アラブの春」へと続いたが、依然として東アジアにその波は来ていない。非常に残念だ。
「平らな国、ポーランド」。いよいよ後にします。今日は満月だ。お月様も空から光り輝きポーランドに祝福を送っているようだった。写真は「旧王宮」だ。これも復活させたものだ。

「チェンストホーヴァからワルシャワ」

「チェンストホーヴァからワルシャワ」
第5日目、6月9日(月曜日)
旅も終盤になってきた。今日も快晴で暑い。道路工事中の人たちはヘルメットと黄色のズボンは履いているものの上半身裸で作業をしている。1989年で社会主義国に終止符を打ち資本主義自由主義になったにも拘らず、東西の格差は依然として縮まらない。だから明らかにヨーロッパとはいえ、道路事情の悪さはかなり酷いと思う。それと食事は美味くもなく、不味くもない。ツアー飯だとはいえ、「そこそこ」だと思う。毎食スープが付くのはありがたい。兎に角「ジャガイモ」が必ず付く。これが主食だから仕方がないのだが、いい加減に飽きてくる。物価も西側に比べれば安い。消費税23%の商品である飲料水で観てみると1.5リッターで、80円位(税込)、日本と比較すると半分か?大体そんな感じで物価の差はあるだろう。ところがこの国、国土は日本の5分の4だが、平地部分は90%、日本は3分の1が平地で残りが山地。これで比較すると有効活用できる面積は日本の3.5倍あり、人口が日本の3分の1だから、一人当たりでは10.5倍ポーランドのほうが大きくなる。だから使われていない国土が沢山あるということだいう。逆に言えばそれだけ発展の余地があるということでもある訳だ。可能性は残されている。ポーランドのこれからの未来に期待をしよう。さて、クラクフから「チェンストホーヴァ」に行く。ここの「ヤスナ・グラ修道院」には「黒いマドンナ」と呼ばれている「マリア様とイエス様」が描かれた絵があるという。黒いのは一つの説では火事が起きて、その煤が付いて顔が黒くなったという説と、マリア様は実際に薄黒い肌をしていたという説とがあるという。どちらだかは分からない。5?6歳位の子供たちがやってきた。女児は純白のワンピース、男児は白いジャケットを着ていた。集団での洗礼式だという。主祭壇に飾られたマリア様の前に集まった子供たち。修道士たちにより洗礼の儀式が行われるという。沢山の家族も見守っていた。今日も暑い。既に30度を超えている。この時期にこれだけ高い気温になるのは稀だという。夕方、ワルシャワに着く。ポーランド語だと「WARSZAWA」と書く。英語だと「WARSAW」となる。夕食はホテルでのビュッフェスタイルの食事だ。肉類は「ポーク・カツレツ」、「チキン・ソテー」、魚は「タラのソテー」、あと、野菜は豊富だった。味は良かった。昼は「キャベツロール」だったが、これも美味しかった。部屋に戻り、これを書きながら、ウォッカを飲む。地元産の「ズブルーフカ」という名前だが、「バイソン・グラス」との表記もあり、バイソンの絵が描かれていた。700ml、@39ZT、1560円。途中でトマトジュースを買い、カクテル風にしてウォッカをトマトジュースで割って飲んでいる。午後8時だが、まだ昼間と一緒の明るさだ。このウォッカ、中にハーブが入っていた。まあ、トマトジュースで割れば味は分からないが。

「カルヴァリアとヴィエリチカ」

「カルヴァリアとヴィエリチカ」
第4日目、6月8日(日曜日)
「カルヴァリアとヴィエリチカ」
ポーランドでは道路標識で頻繁に「鹿に注意」の表示がある。それだけ自然豊かなのだろう。ところが意外と「ネズミ」が道路脇でひかれている死骸を観た。それも小型の猫位の大きさのネズミだ。話しはポーランド経済だ。電力は大半が「石炭火力」だという。「原子力発電所」はない。石油はバルト海で産出されるが、大半は輸入だという。だからガソリンが高いのか。ガスは大半がロシアからの輸入だ。2005年にEUに加盟してからは「NATO」にも参加、「ユーロ」は使われていないが、市場では流通している。自動車は「ノックダウン」方式で自国ブランド車はない。最も驚いたのは「墓地」の光景だ。お墓には本当に驚くほどの美しい花が飾られていた。聞くとポーランド人は田舎なら毎週墓地を訪れ、花を飾るという。今、午前2時、駄目だね、時差ボケが一向に解消しない。昨日は、昼は「豚肉」、夜は魚の「タラ」を食べたと記憶してるいが、食事制限しているのでよく覚えていない。さて、古都「クラクフ」の人口は70万人、その内30万人が学生だという。「学生の街」なのだ。14世紀に建てられたポーランド最古の大学もここにある。ポーランドの国旗は日本とよく似ている。白と赤の旗だ。上半分が白、下半分が赤でこれは日没を意味しているという。日本とは真逆だ。ポーランドの産業について現地ガイドの「マチエイさん」に聞いてみた。すると農産物や酪農製品が輸出品だが、東欧の人件費の安さで西側からの「アウトソーシング」が今は産業の中心になりつつあるという。彼自身も「アナリスト」としてイギリスの銀行の人事管理の下請け作業をしているという。東西の格差もまだ依然としてあるのが現実だという。実は私は旅行直前の水曜日に「大腸内視鏡検査」を受け、2mmのポリープを除去した。その際に「旅行やアルコールは当分駄目ですよ」と言われていたが、無視して旅立った。まあ、なんとかこれまでは体調は問題なく過ごせている。今日の観光の最初は世界遺産「カルヴァリア・ゼブジドフスカ」の教会に行くことだ。だが日曜日だから「ミサ」をやっていた。私が教会の一番後ろの席に座っていたら、「ミサ」が始まってしまい、皆が起立して讃美歌を歌いだした。抜け出すことも出来ず、仕方なく皆に合わせて立っていた。10分位して歌の合間に教会を出た。その後、同じく世界遺産の「木造教会」群を訪れた。白川郷のような建物の小さな教会がこの地方には200以上あるという。最後は「ヴィエンリチカ地下岩塩採掘場」を観た。地風深く潜って岩塩を採掘した後の場所だ。数十kmもある坑道が網の目のようになっているところの一部を歩いた。トンネルには扉が沢山あり区切られている。そして一つの部屋に入って後ろの扉を閉めてから、前の扉を開ける。こうしないと空気が急激な流れになってしまうようだ。多分大量の空気を地上から送り込んでいるからだろう。さて工夫たちは広い空間を地下に造り、そこを礼拝堂としたのだという。素晴らしい地下教会もあった。ここは1978年に世界遺産に登録されたという。ユネスコが世界遺産というものを作った最初の「登録第一号」の一つだという。可哀そうだったのが、馬たちだ。地上から入れられた馬は死ぬまで暗い地下空間で暮らしたのだという。勿論労働させられてだった。嫌がって暴れる馬を地下に入れる。恐ろしいというか実に可哀そうな話しだった。