「花嫁」

2月27日(金)
イスラムの休日だ。朝からヒヴァは快晴だ。雲一つないが、屋根には雪が残っている。今日は一日徒歩での観光らしい。楽しみだ。13世紀頃から続く古い城壁都市がヒヴァだそうだ。全長2.2kmの城壁に囲まれた古い都で勿論世界遺産だ。東西南北4つの門が出入り口だ。そして内部はイスラムの尖塔「ミナレット」が立ち並び、城壁内には王宮が幾つかと、モスク、霊廟、墓、一般市民の家等々がある。ここに住む人たちは昔からの住民で所謂特権階級のお金持ちが住んでいるという。空が綺麗だ。数日前に降った雪がそこかしこに残っているが、空は真っ青で澄み切っている。建物の中にはタイルで装飾が施されたものがあり、その色は空を表す青と紺色で出来ている。正に東西文化の融合地点だ。「ハーレム」とはアラビア語で「禁止」という意味で、王様以外には立ち入り禁止地区なのだという。王様は4人の后と40人の側室とハーレムで暮らしていたという。大変なことだ。ご苦労様でした。気温は5度、日差しがあれば暖かいが影になるとやはり寒い。ダウンジャケットは離せない。街の人たちはスラブ系やアジア系、イラン系、ヨーロッパ系と色々混ざっているようだ。黒人は一切見なかった。美人が多い。イスラムの休日なのだろうか、結婚式を二組観た。初々しい花嫁さんだった。こちらの人の平均寿命は女性70?75歳、男性60?65歳程度で低いから女性の結婚年齢は18?9歳だそうだ。20歳を過ぎると晩婚だというらしい。ここは元々砂漠の中にある街で近くを大きな川が流れていて、水は豊富な所らしい。もう一つ驚いたのには現地人は金歯が多いということだ。虫歯になると金を被せるということだ。上下の前歯全部が金だという人が何人もいた。笑うと恐ろしい。昔の日本の農村の人もそうだったよね。観光地だけあり物売りが沢山いる。売りに来るのは毛糸やラクダの毛の手編みの靴下、絹やパシュミナ、ラクダの毛のスカーフ、ミンクやその他の動物の毛皮の帽子、木彫り細工、アクセサリー等々だ。値段は交渉次第、支払いは米ドルだ。私は買わなかったが、パシュミナのスカーフを3枚20ドルで買っていた人もいた。中心部に昔の奴隷市場があった。戦争で敵国の捕虜を奴隷にして売っていたという。また刑務所もあり、犯罪者を収容したらしいが、一番驚いたのは姦通した妻に対する処罰で、市民の目の前でミナレットから突き落として殺したり、袋の中に妻と野良猫を3匹入れて口を縛り、棒で叩くと中の猫が妻に爪を立て最終的に妻が死ぬという刑罰があったという。これも恐ろしいがイスラムの風習なのだろう。雪を解かすために道路脇の雪を日の当たる場所に振り撒いている一群の人たちがいた。リーダーは男性のおじさん、作業員は女性陣。おじさんがどなりながら作業をさせていた。おどろおどろしい風景だった。女性も皆働いているのが元社会主義国の特徴なのかもしれない。物売りの大半は女性だった。地元の料理にも慣れて来た。大体がサラダ類が前菜で出て、スープ、メインディッシュ、デザートだが、野菜類は豊富だし、肉は鶏肉、ラム肉、牛肉とバラエティーに富んでいる。卵料理も多い。朝がビュッフェ形式でなく、セットメニューなのが辛い。お菓子風のパン類、チーズとハム、玉子焼き、ナン、これでは食欲が湧かない。勿論食べるつもりはないのだが、野菜か果物を食べたいのだが、無理なようだ。一日ヒヴァで過ごし、夜に飛行機でブハラに移動する。今度はエアバスのジェット機で乗り心地もよかった。ホテルには午後11時到着。疲れた割には緊張して眠くない。今日もウォッカを3杯も飲んでしまった。実は白状するとタシケントの空港で私一人飛行機に乗り遅れそうになった。待合室で本を読んでいて、コールが聞こえず、慌てて最後の一人で乗ることが出来た。危なかった。

「ウズベキスタンの旅」

「J  REPORT 2015 3月第1週」
「リタイアメント・ノート 6年9ヶ月目」、
「VOL。888 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦58、ウズベキスタンの旅」62カ国目
ウズベキスタン国営航空のビジネスクラスで成田を出発したのが2月25日(水)の午後9時20分。ANAラウンジで今回は「オリジナルチキンカレー」を食べた。中々いける味だった。万民向けの日本のカレーといった感じか。機内ではゆっくり寝ることが出来た。ウズベキスタンの首都タシケントには現地時間午前3時半到着、時差4時間、約10時間のフライトだった。気温摂氏1度とのこと。パスポートコントロールは直ぐに抜けたが、税関で待ちに待たされ、到着後2時間で漸く外に出た。税関検査が厳しく、ソチからの出稼ぎ労働者の列が長く、またチェックに時間が掛かり、混雑を極めた。社会主義時代の名残りなのだろうか、この効率の悪さは。さて外には物凄い数のタクシーの客引きが並んでいた。ホテルには10分程のバスの旅で到着したが、バスルームのシャワーがどうしても出ない。仕方なく風呂にお湯を溜めて身体を洗おうと思ったが、今度はパッキンが閉まらないのでお湯が溜まらない。困りました。まあんなものか。両替をした。持参した米ドル30ドルで現地通貨7400だという。通貨の呼称は忘れた。1円は現地通貨で20に相当する。
2月26日(木)
ホテルには午前5時半着、6時半から朝食を食べ、少し仮眠をしてロビーでネットを立ち上げメール等を観る。朝食は果物にトマトを食べた。昼から市内観光。イスラム教の神学校を二つ廻る。その他余り観るものはない。タシケントの特徴といえば、高い建物がない。道路の舗装が酷い。ソ連時代のアパートが朽ちかけている。乗用車は圧倒的にGMが多く、日本車は殆どない。後で分かったのだが空港近くにGMの大きな工場があったから、国産車がGMなのだろう。その車だが、白い車のオンパレードだった。山が全くない。平坦な地形が360度広がっている。聞くと、この国、イスラムの国だと思っていたら、ソ連時代には宗教が禁止されていたので、実際にはイスラム教、ロシア正教が混じっていて、無宗教の人も多いそうだ。誤解していた。政教分離で国は宗教にはかかわらないそうだ。バザールに行った。ごった返すような人が道端に露店を並べて色々な物を売っていた。食べ物、野菜、靴、靴下、下着、スリッパ、子供服、等々何でもござれだった。直径30cmほどの円形のパン(ナン)が売られていて、熱々で美味しかったらしい。私は食べなかった。バザールではトルコ風のケバブやホットドッグ、串焼き、韓国風キムチなども売られていた。昼はウズベキスタン風中華料理、まあまあ食べられるものだった。さて驚いたことがある。まず地下鉄に乗ったが、古い4両編成の電車なのだが、車両から車両へは移れない。地下鉄構内は写真撮影禁止、これは軍事基地の意味だという。3路線一律1000だから50円。構内の壁の装飾は美しかったが、残念写真はなし。もう一つ日本人墓地があった。現地の人たちの墓地の奥にあったが、驚くなかれ、現地の墓地の大きな墓石には死んだ人の顔や全体像がまるで生きている時の写真のように刻まれているのだ。1m以上ある墓石に刻まれた姿、これを夜観なくてよかった。夜ならばあちらこちらに幽霊がいるみたいだ。恐ろしい。知らなかったが、戦後シベリアに抑留された日本兵なのだが、実はここ中央アジアのウズベキスタンにも沢山送られてきていて、多数の日本兵が死んだという。極寒の地での仕事はレンガ造りだったという。死者のその一部がここに埋葬されたという。本来は大きな穴に無造作にいっしょくたに投げ込まれていた遺体を地元の人が掘り起こして一体づつ埋葬し直して日本人墓地としたという。シベリア以外にも送られていたなど私たちには教えられていない事実だった。ここには日本全国からの抑留者79名の墓碑があった。ご冥福をお祈りします。ウズベキスタンという国は今回の旅で初めて知ったのだが、中国の西、アフガニスタンとイランの北、ロシアの南、本当に中央アジアの国々の中央に位置しているのだ。周囲はカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタン、カルカル・バクスタアン等に囲まれている。日本のODAによる援助が多いらしい。天然資源には恵まれた国だという。その昔玄奘三蔵がインドへの旅で通過した国でもある。さて、夜の便で西に移動して世界遺産のある「ヒヴァ」というところに移る。飛行機で約2時間の旅だ。空港はセキュウリティチェックが厳しい。何人も荷物を開けられる人が出た。空港自体が軍事施設で写真撮影禁止だ。従って車もターミナルからかなり離れた場所でないと止められないから、利用客は荷物を自分で徒歩で運ぶ必要がある不便なところだ。さて夕食時ホテルではウォッカを3杯飲んだ、一杯5000スムだから日本円で250円でした。

「やさいの王様」

「手前勝手世界食物語、第363号」
「やさいの王様、ブラウン・マッシュルーム」
日比谷にある「やさいの王様」という店に行った。その名の通り、メインは野菜だ。生の野菜が沢山食べられる。まずはちょっと小振りなグラスに生野菜を詰め放題にして食べる。如何に小さなグラスに効率よく野菜を入れられるか、これはちょっとした技術かも知れない。最初の日はコース料理を頼んだが、二度目はアラカルトにした。その一つは写真にもある「ブラウン・マッシュルーム」だ。巨大なマッシュルームがどかーんと出てきた。直径10cm以上の大きさ。味が染み込んだ中々のものだ。その他、巨大な卵焼きも美味しかった。この店、中々の味とリーズナブルな値段で女性向の店のようで、お客の大半は女性だった。女子会華やかなりでした。
以上、勢古口が東京からお送りしました。

「泰明小学校」

「さいたま歴史研究会(仮称)」
前回もお話しした庄内地方は鶴岡の商家の女主人「清野」さんが供を二人連れての江戸見物は、初日は昼は千住の「料理茶屋」、翌日は上野「寛永寺」、3日目は歌舞伎見物と茶屋での食事、4日目は鶴岡藩酒井家の上屋敷にご挨拶、5日目は小石川の伝通院へ墓参り、6日目は船宿で藩邸の人から接待、その後隅田川から船で山谷堀から吉原見物、花魁道中を見物する。7日目、鶴岡藩中屋敷で挨拶後、上野不忍池、池の端の茶屋で食事、浅草寺見物、8日目は両国広小路、富岡八幡、深川三十三間堂、洲崎弁天、木場、亀戸五百羅漢寺、梅屋敷、最後は隅田川の船宿で食事。9日目はまたまた上屋敷で奥向き所謂大名のご家族の生活を見学、因みに上屋敷は今の大手町の気象庁のところだ。10日目はまたまた芝居見物、11日目は浅草三社権現祭礼の宵宮見物、12日目は流石に休日、等々まだまだ続くが、兎に角健啖家で健脚だということが分かろう。これら全てが徒歩なのだから驚きだ。

「泰明小学校」
銀座に唯一ある小学校が「泰明小学校」だ。今もバスなどを使って通学する生徒が沢山いる。この建物、上から見ると不思議な形をしていることが分かった。細長い建物の先頭部分が丸く半円を描いているのだ。調べてみたらっこの建物、関東大震災後の震災復興事業として建てられて鉄筋コンクリートの建物だというから相当に古いものだ。90年は経っていよう。東京都の歴史的建造物にも指定されているという。目の前が「みゆき通り」だし、島崎藤村も出身校でもあるらしい。門扉は「フランス門」と呼ばれる独特のものだというから歴史に溢れている学校でした。この学校、明治10年設立されたらしい。

「数寄屋橋」

「数寄屋橋」
数寄屋橋と聞いて思い出すのが、実際は私は聞いたことがないがNHKのラジオドラマ「君の名は」(昭和27年28年放送)だろうか。女風呂から人がいなくなったという話しは有名だ。私が知っているのは映画化された「君の名は」の主人公が「岸恵子さん」で彼女の実家が私の家の近くだったからだろう。映画も観た記憶はない。写真は旧「東芝数寄屋橋ビル」の建て替え工事だ。ほぼ7―8割がたビルも出来上がりつつある。本当に変身中だ。ビルの外壁に窓が見えない。窓のないビルのようだ。よく調べたら西側には窓がなかったが、他の3面は前面ガラスで出来ていた。完成は来年の1月だという。さてよく食べに行っていた「ニュートーキョー本店ビル」も3月には建て替えのために壊される。地下のイタリア料理の「VINO VITA」にはそれこそ月に2回は行っていたから残念だ。数年後には出来上がるらしいが、この店が再度入るかどうかは分からないという。有楽町にも近く、地下鉄の駅にも繋がっている便利な建物だから、果たして今後はどういう利用が考えられるのだろうか?「ニュートーキョー」関連の食べ物屋さんはそれぞれ色々なところに移動するらしいが、VINO VITAのような野菜中心で食べ放題飲み放題は本当に助かっていたが、残念ですね。

「二月大歌舞伎」

「二月大歌舞伎」
歌舞伎座昼の部はほぼ満席だった。相変わらず「歌舞伎人気」は根強いようだ。この歌舞伎と言う芸術は、綿綿と続く歴史を持っており、多数の古典がある。今回の昼の部の題目3題は実は初めて観るものだった。大概以前に観たものが役者が変わって演じられていたりするのだが、今回は全てが初めてであり、仇討ち物で面白かった。江戸時代、仇討ちは主君や父親や家族が殺された場合、藩から認められて仇討ちを行う旅に出るのだが、その成功率はたったの2%だとも言われている。それほど仇討ちは難しいということだ。逆に討ち取られてしまったり、敵役が見つからなかったりと、大変だったらしい。また殺され方にもより、武士の場合、刀を抜いて立ち会って討たれた場合はよいのだが、刀を抜いていないと、殺されても武士の風上にも置けないとして仇討ちを認められないケースもあった様だ。何にしても武士は辛いといえよう。

「2015年の映画のお話し」
映画「ラブストーリーズ、コナーの涙」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年23作目)
2つの映画の一つ。副題は「HIM」。生後2ヶ月目の息子を失った二人。妻が突然夫の元を去った。

映画「縫い裁つ人」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年24作目)
神戸の仕立て屋「南洋服店」は祖母から受け継いだ2代目の女性が祖母の作った古い服の直しをしている。頑なにブランド化を拒む女性。それを口説こうとする大手百貨店の外商の青年。一生着ていられる服を作ることを信条にして生きる女性を描く。

映画「ラブストーリーズ、エリナーの愛情」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年25作目)
副題は「HER」。コナーとエリナーの夫婦は生後2ヶ月の息子を失ったために危機に陥っている。「HIM」とは違い同じ物語を妻の視点で描いている。どちらから先に観るべきなのか?分からなかったが、HERが先の方が話しは分かり易い。

映画「フィフティー・シェイズ・オブ・グレイ」(TC日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★(今年26作目)
サディステックな行為でしかセックスを堪能出来ない富豪の男と、ヴァージンの女子大生のラブストーリー。全編セックスシーンで溢れていた。さて結末は?

映画「ミュータント・タートル 3D」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★(今年27作目)
まあ、観ないほうがいいだろう。亀がニューヨークを救うというもの。

映画「チャーリー・モヅデカイ」(TCスカラ座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年28作目)
コメディーでした。

映画「フォックス・キャッチャー」(角川シネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年29作目)
昔、狐狩りをしていたという土地に大富豪「デュポン」の豪邸があり、そこがチーム・フォックスキャッチャーというレスリングのトレイニング場になっていた。ロス五輪で優勝した兄弟をデュポンは兄をアシスタントコーチ、弟を選手、そして自分をコーチとしてソウル五輪に挑むのだが、彼の思惑は何なのか?そしてその結末は?金メダルの誘惑とは?実話でした。

映画「深夜食堂」(TOEI銀座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年30作目)
新宿の場末にある「めしや」と書かれた暖簾。深夜12時から朝まで営業する飲み屋。そこを訪れる人たちをオムニバス形式で描く。庶民の悩みや楽しみを淡淡と描く。まあ、昭和を味合うには最適か。

日経新聞2月20日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「アメリカン・スナイパー」が5つ星、「女神は二度微笑む」が4つ星、「きっと、星のせいじゃない」が4つ星、「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」が1つ星、「スペシャルID特殊身分」が2つ星、「クレヴァニ、愛のトンネル」が3つ星、「花とアリス殺人事件」が2つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のハワイでした。
「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」
 「二月大歌舞伎」=「吉例寿曽我」(鶴ケ岡石段の場、大磯曲輪外の場)、「彦山権現誓助剣」(毛谷村)、「積恋雪関扉」の3つでした。前の二つは仇討ちものでした。
  

「2015 本の記憶シリーズ」
「雲雀野」(今井 絵美子 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年39冊目)「照降町自身番書役日誌」シリーズ最終回

「斬鬼嗤う」(鳥羽 亮 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年40冊目)「隠目付江戸日記」シリーズ第9段

「近松殺し」(井川 香四郎 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年41冊目)「樽屋三四郎言上帳」シリーズ第14段

「憂き世往来」(芝村 涼也 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年42冊目)「御家人無頼蹴飛ばし左門」シリーズ第1段

「やぶへび」(大沢 在昌 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年43冊目)

「数寄屋橋風景」

「J  REPORT 2015 2月第4週」
「リタイアメント・ノート 6年8ヶ月目」、
「VOL。887 SINCE AUG.12th、1983」
「三日月」
夜明け直前の東の空に美しい三日月が浮かんでいた。もう時期新月だ。不思議と月と星が国旗には多い。イスラムの国は月が当たり前。星はアメリカなどだ。日輪を使う日本などは極々少数派だ。なぜだろう。夜の方が空を観る機会が多いのだろうか。空は不思議だ。昼間雲の姿を観ても同じものは一つもない。だが夜になると星の位置はいつも一緒だ。来週は「ウズベキスタン」に行く。首都は「タシケント」、所謂「シルクロード」の交通の要衝だ。いくつかのシルクロードがここタシケントで交わり、また別れて西に、東に行く。古代から文化の集積地点だったらしい。勿論初めての訪問だ。これで62か国目の国になる。週に2便、成田からの直通便が出ている。「ウズベキスタン国営航空」だ。行きが9時間半、帰りが7時間50分掛かるというのでビジネスクラスに変えた。少しでも楽をしないと最近は身体が持たない。まあお金は生きているうちに使おう。勿論孫には残さないといけないが。

「ハワイのステーキ」

「手前勝手世界食物語、第362号」
「ハワイのステーキ」
ハワイ滞在中2度も行った「デューク」だが、2度目で漸く食べられたのが写真のステーキだ。「スロー・ロウスト・スエア・リブ」が正式名称だ。厚さ2cmほどの肉でこれでミディアムの焼きだが、多分1ポンドはあるだろう。実に柔らかく且つジューシーで本当に美味しかった。最高だ。アメリカの牛肉も美味しいよ。日本のような霜降りではないが、赤身が実に肌理細やかで肉を食べてるという感触が充分に味合える。まあ、ハワイに行かれたら一度行ってみて損はないですよ。金額は約32ドル。それにサラダ・バーが約3ドルでした。同じホテルの2階にはチェーン店のステーキハウス「チャック’ス」も入っていたが、混み方が全然違う。店の前やバーで待っている人の数が全然違っていた。お客は美味しくてリーズナブルな店を確実に見つけて入るというのがよく分かる。チャックも何度かグアムで行ったが、それなりに美味しいステーキだったから、デュークの実力は凄いということだろう。勿論、もっと高級な店はいくらでもある。事実、アラモアナの屋上の店はワインは100ドル以上したが、ステーキも50ドル以上で非常に美味しかったが、高かった。セレブが来そうな店は美味しいのは当たり前だが、我々庶民にはそう度々訪れることは無理がある。また美味しいステーキを食べたいものだ。
以上、東京から勢古口がお送りしました。

「さいたま歴史研究会(仮称)」

「さいたま歴史研究会(仮称)」
例の3S会のメンバーである会に初参加した。江戸時代を含めて歴史を語ろうという集いで、元先生の講義を聞くというものだ。講師のM氏を含めて男性5名、女性2名で初回は「江戸時代の旅文化」として「女性が巡る江戸名所」のお話しを聞いた。文化14年というから1817年、江戸時代も後期に入った文化文政の江戸の一つの華の時代だ。元は伊勢の出身の商人が山形は庄内の鶴岡に住み着き、そこで成功して大商人になり、その4代目の女性が今回の主人公の「三井 清野(きよの)」さんだ。婿を貰い悠々自適な生活をしていた清野さんは夫の勧めもあり、江戸から伊勢、奈良、大坂、京都、北陸を廻ったという、その時の日記が発見されたのだという。そこに詳細な旅の模様が記載されていたというから驚きだ。清野さん、31歳、子供二人の母親だというから如何に好奇心旺盛な女性だったのだろう。道連れは用心棒役と荷物を背負う小者の二人。旧暦の3月23日に鶴岡を出発した3人は、尾花沢、上山、福島、白河、日光、宇都宮、古河、越谷、そして千住には4月7日に着いたという。4月21日に江戸を離れるまで、まあ驚くほどの健啖家と脚力を発揮して江戸を隈なく歩き回り食べ回ったらしい。その料理もメニュー付きで驚かされたが当時の江戸の人たちの優雅な人たちの生活が垣間見られ面白かった。追々この話しもしていこう。写真は鮨が江戸で出された当時の屋台だ。その後鮨は屋台から店内へと変化するらしい。

「現在のアメリカンフットボール」その2

「現在のアメリカンフットボール」その2
目から鱗だったが、センターがコールを出す話しの続きだ。基本のコールの出し方は、QBがハドルといってプレー前にオフェンスチームが集まって作戦伝達小会議とでもいおうか、今度はどのプレーを、どのタイミングで行うとQBが伝える。そしてボールの後に全員が並ぶ。QBはこの時「レディー、セット、  ハット、ハット、」と叫ぶ。この時のハットの何番目でスタートすることを決めておくから全員が一斉にスタートできる。これを従来のQBでなくセンターが行うというのだ。さて、アメリカンフットボールは元々、サッカーからラグビーが出来たように、アメリカに渡ったラグビーがアメリカンフットボールへと進化したものだ。ところが世界中では「フットボール」という名称が正式であって、今アメリカや日本で使われている「サッカー」という名称はマイナーな呼び方だ。ところがアメリカで「フットボール」と言えば国技でもある「アメリカンフットボール」である。そこで造語で「サッカー」ということにした。我々が現役だった40年以上前には我が母校のチームは一学年が10数名だった。ところが今母校の選手数は4学年で150名以上いる。サッカーやラグビーではグラウンドに入れる選手数に限りがある。ところがアメリカンフットボールにその制限はない。だから仮に大学4年間プレーしても一度も試合に出られなかったということは基本的にフットボールにはない。何度でも何人でも交代可能だからだ。先日世界一を決める「スーパーボウル」がアリゾナで行われた。その時のテレビの視聴率がアメリカでは49%を越えたというから、殆ど全ての米国人が観ていたということだ。それほど人気のフットボールなのだ。
ハワイで空港に向かう時、高速道路から丘の中腹に「ハワイ大学」の校舎が見えた。当日は「プロ・ボウル」の日だ。あの麓にある「アロハ・スタジアム」で行われるプロフットボールの頂点、オールスターのゲームだ。観たかったが仕方なく帰国した。