「ドゥブロブニク」

5月14日(木曜日)
バルカン半島の旅は2度目。これから廻るコースは全て経験済だ。早朝から同行している3S会のスーさんと一緒に散歩に出掛ける。海が綺麗で美しい。ホテルは郊外なので静かだ。ここはローマ時代からの街だ。まず朝一のケーブルカーに乗って裏山の山頂(標高415m)に行く。眼下にドゥブロブニクの城壁に囲まれた美しい街と、それに連なるアドリア海、クルーズ船が2隻に帆船が一隻沖合に泊まっていて小さなタグボートが素早く往復して船客を街へと運んでいた。我々は山頂からの眺めを堪能して、いよいよ城壁内に入る。簡単に市内の主なポイントを廻ってから各自自由行動となり、城壁に上り街の周囲を一周する。陽が高くなるに連れて観光客が増え、城壁の上も渋滞が始まった。写真はスーさんと外人観光客だ。兎に角海が美しい。空の色も美しい。それに城壁内の建物は赤いオレンジ色の瓦で統一されている。この国、過去はユーゴスラビアと呼ばれていた統一国家だったが、1991年からの内戦で破壊され国家は分裂、ドゥブロブニクも例外なく砲弾の雨に襲われたという悲劇の歴史を持つ。ユネスコの協力により漸く復興されたという。バルカン半島観光の目玉の一つだ。海岸線を北上するが、小さな街が点在しヨットが係留されていて保養地になっている。クロアチアのドゥブルブニクから一度国境を越えてボスニアヘルツゴビナに入り、直ぐにまたクロアチアに入る。ドゥブロブニクはクロアチアの飛び地なのだ。そして内陸に進み、今度はまたボスニアヘルツゴビナに入り直す。目的地はモスタル。内戦当時、イスラム教徒のセルビア人、ユーゴスラビア連邦軍、クロアチア軍が三つ巴の戦いを行ったという。宗教的にはイスラム、キリスト教クロアチア正教(オーソドックスというらしいが)、カソリック、ユダヤ教と入り乱れていたらしいから、互いを憎しみ合い、殺し合ったという。4宗派間の対立に民族問題が絡み合っていたから複雑だ。オールドブリッジという1993年に破壊され復興された橋からの帰りにスーさんが二人組の女性にバッグの留金を開けられ、私にも手を伸ばしてきた事件が起きた。幸い被害はなかったが、我々のツアーでも何人も襲われていた。ここでも乞食がいた。気を抜けない旅ですね。

「2015年の映画のお話し」
映画「ホーンズ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年76作目)
恋人を殺したとして無実の罪に問われた青年の頭に角が映えてきた。この角を見ると皆真実を話してしまう。そして真犯人を追い詰める。

映画「ブラック・ハット」(TCみゆき座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年77作目)
香港の原発がハッカーによって破壊された。獄中の天才ハッカーに協力要請があり、犯人を捕まえれば釈放させるという条件が提示される。果たしてハッカー同士の戦いはどうなるのか?

映画「百日紅(さるすべり) ミス・北斎」(TC日本橋にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年78作目)
葛飾北斎の娘お栄の目から見た北斎を描くアニメ映画。大人向けだ。

映画「小さな世界はワンダーランド」(TC錦糸町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年79作目)
BBCの作品だ。いつもながら素晴らしい画面で小さな生き物の生活を描いていた。

日経新聞5月15日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「真夜中のゆりかご」が3つ星、「ゼロの未来」が3つ星、「スポンジ・ボブ」が3つ星、「国際市場で逢いましょう」が3つ星、「ホーンズ」が3つ星、「Zアイランド」が3つ星、「明烏」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」「セッション」「ビリギャル」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」「龍三と七人の子分たち」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)、5月は福岡(博多)、熊本(熊本)、佐賀(武雄温泉)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)5月の2度目のバルカン半島(アルメニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツゴビナ、スロベキ)でした。

「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「君臣の想」(上田 秀人 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年115冊目)「お髷番承り候」シリーズ第10弾完結編

「凄腕見参」(稲葉 稔 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年116冊目)「新・問答無用」シリーズ第1弾

「助っ人剣客」(牧 秀彦 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年117冊目)「日比野左内一手指南」シリーズ第1弾

「真田合戦記」(幡 大介 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年118冊目)

「史上最強の大臣」(室積 光 著)小学館文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★★(今年119冊目)
これは実に面白い。絶対に読むべき。

「バルカン半島の旅」

「J  REPORT 2015 5月第4週」
「リタイアメント・ノート 6年11ヶ月目」、
「VOL。899 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦60 バルカン半島の旅」
5月12日(火曜日)、13日(水)
成田を12日20時発のトルコ航空便でイスタンブールに向かう。まずはANAラウンジで腹ごしらえし(今回はカレー蕎麦を食す)、ワインで喉を潤す。いい加減気持ち良くなり、機内に。私はプレミアム・エコノミー席だが、どうやらエコノミークラスは65%ほどの搭乗率らしい。こちらも半分ほどか?機内食は不味いし、仕方なく6時間ほど寝た。12時間でイスタンブール到着、現地時間午前4時。ここのラウンジは物凄く広く、それも2階に分かれていてびっくりだ。トルコからアルバニアの「ティアラ」という田舎の空港に降りる。この国、一時期鎖国政策取っていたのでヨーロッパ一の最貧国だという。広さは四国ほどで人口は370万人、首都のティアラは60万人らしいが、驚いたことにあちらこちらに乞食がいるのだ。特に女性の子連れが目立つ。子供は勿論裸足。皆汚い服装で手を差し出す。無視したが、それにしてもこんなに沢山の乞食に出会うとは思わなかった。その後、バスで国境を越えて、モンテネグロに入った。コトル湾の奥深くにある港町「コトル」に着く。古代から良港として栄えた街で古い城壁が周囲を囲む。フィヨルドのような地形が特徴の街だ。ここは二度目の訪問だ。美しい海と石灰岩の切り立った山が印象的だった。更に国境を越えて、クロアチアに入り、ドゥブロブニクに到着する。

「鮨 まねき」

「手前勝手世界食物語、第370号」
「鮨 まねき」
今回も初日は博多の「もつ鍋 七山」を訪れた。予約していたから良かったが、私が入店すると直ぐに次々と予約客が入りだし、あっという間に満席になった。6人組が二組、2人組みが二組、4人組と3人組各1組づつで皆名物のもつ鍋を頼んでいた。勿論私ももつ鍋を食べた。いつ食べても美味しい。薬院大通りの店をこの赤坂に移して一年経つが、地元に完全に定着してファンも増えていることに驚く。美味い物は皆美味いと感じて来店してくるのだろう。私もかれこれ15年通っているが、本当にまた食べたくなるもつ鍋だ。さて翌日は佐賀の武雄温泉の、これも毎回行く「鮨 まねき」を訪れた。ここも10年通っている店だ。私のために色々な珍しいネタを用意してくれていた。「わらずぼ」という有明海でしか獲れない、奇妙な魚を食べた。「むつごろう」と同じで有明海にしかいない魚で、海底の土砂の中で暮らしているため、目が退化してしまってない。長さ20cmほどの細長い魚だが、頭でっかちで口が大きく歯が恐ろしく尖っているグロテスクな姿だ。これを乾燥させ、更に油で揚げて食べるのだが、珍味としかいいようがない。有明海、玄界灘、長崎沖、五島列島の海の幸を食べさせて頂いたが、写真は「卸し器」だ。竹製でこの大きな歯で大根を卸すと水分を含んだ栄養価の高い大根卸しが出来るという。確かに普通の金属製のだと水分の大半が抜けてしまうが、竹製では水分が充分残ったジアスターゼの多い卸しになるらしい。この大根卸しも美味しかった。博多から特急で1時間掛かるが、福岡に来る度に訪れているが、いつ来ても本当に満足させられる「鮨 まねき」でした。
以上、勢古口がお送りしました。12日深夜からバルカン半島のクロアチア周辺の旅に出ます。帰国は19日です。

「熊本城、昭君の間」

「熊本城、昭君の間」
熊本城は従って、明治10年に消失したのを近年になり再建したものだ。最近は「本丸御殿」も全て400年前と同じ技法で復活させた。全て檜の木材で釘を使わない伝統工法によったものだ。その中に一番美しい、また最上級の部屋が「昭君の間」だ。この建物は1610年に清正によって建てられたが、清正は1613年に死去しており、その後1615年に豊臣家は滅んでいるが、この部屋は「しょうくん」の間だが、濁点を入れると「将軍の間」となる。その将軍とは清正によっては「豊臣家」なのだ。徳川将軍家ではなく、豊臣家の秀頼公なのだったという。既に1603年には家康は征夷大将軍になっているのだから、本来は将軍とは徳川家でなければならないのだが、そこが豊臣家に忠誠を誓った清正らしいといえば清正らしい律儀で謹厳実直な姿だった。それにしてもこの本丸御殿だけで再建に55億円掛かったというが、その大半が材木代だったというから驚きだ。それにしても素晴らしい建物だった。そうそう、城の石垣は400年前そのまま残っている。この石垣、簡単に登れそうだが、登れない様に武者返しが施された石垣も見所だ。将来はこの城も復元されれば世界遺産も夢ではないだろう。室町様式の昭君の間の襖絵は本当に素晴らしいものでした。一段と高い部分に将軍が座るというが、加藤氏没落後は細川氏が熊本城を治めるが、本丸と同じ丘の上で不便なのでこの本丸御殿で暮すことなく、麓に別の御殿を建て住んでいたと言う。迎賓館的な使い方をしていたらしい。

「熊本城」

「熊本城」
小雨交じりの博多で屋根なし二階建てバスでの観光をしようと思い市役所に行ったが、残念ながら既に満席で諦め、近くの天神バスセンターに行ったら、丁度熊本行きの高速バスが出るというので飛び乗る。ところが大渋滞と交通事故で1時間遅れで熊本到着。目的は熊本城。上手い具合にボランティアガイドの案内ツアーがスタートするところでそれに紛れ込むことが出来た。まず熊本城は勿論「加藤清正」が造った城だが、実は明治10年2月22日の「西南戦争」の総攻撃の3日前に火災で消失していたというのだ。唯一残ったのが「宇土櫓」だという。これは400年前のものだ。写真が宇土櫓とボランティアガイドさんだ。何故、消失したのか質問したら、3つの原因が考えられるということだった。その前に「西南の役」について語る必要があろう。幕末の倒幕と戊辰戦争、維新の大功労者「西郷隆盛」が下野して故郷鹿児島に戻ったのが明治7年。征韓論を唱えた西郷は、幕府を倒した功労者ながら、薩長土肥の士族たちが一時金で平民に格下げされた不満の受け皿にならざるを得なかったことから、萩の乱、佐賀の乱を経て、遂に私学校の生徒達に担がれて立ち上がったのが、西南戦争だった。失業した士族たちを含む私学校の生徒を中心とした軍を率いて、鹿児島を出発した彼らは東京に向かう途中、当時「九州鎮台」があった熊本を行きがけの駄賃程度の感覚で攻撃しようとした。その3日前に失火があり、天守閣を含む大半の建物が焼け落ちた。一つは単なる失火、二つ目は西郷軍により放火、三つ目が政府軍による意図的な放火だという。一番可能性が高いのが三番目で、政府軍はこの城を仮に乗っ取られたら困るので、西郷軍が利用出来ないように放火したというのだ。既に徴兵制度が出来ていて政府軍の兵士は昔の農民や商人であり、武士階級の存在意味が無くなっていた事から不満が高まっていた士族階級の捌け口になったのがこの西南戦争だったのだが、結局、一日攻撃しただけで城を落とせず、更に北の田原坂に向かい、ここで政府軍と戦って敗戦し、半年余り九州各地を転戦し最終的には鹿児島に戻らざるを得なくなったのだった。話しを熊本城に戻そう。この城は天然の要害もあり、本丸、二の丸、三の丸まである大きな城だが、西側の三の丸の方からしか敵は攻撃出来ないような仕組みになっている。また仮に城に進軍出来たとしても、城壁の間の道を進むと必ず曲がり道になり、絶対に三方から攻撃されるような仕組みのなっていて、それらが本丸までに5つもあり、殆ど三方からの攻撃を受け、全滅してしまうようになっていて、それこそ無敵の城だったというのだ。また清正と言うと朝鮮での虎退治で有名だが、実は文官としての能力も高く、豊臣政権の財務長官だったというから驚きだ。文武両道というのが正しい清正像なのだろう。

「麦秋近付く」

「麦秋近付く」
佐賀平野を走ると周囲の畑は麦がたわわに実り、正に言葉通り「麦秋」が近付いていることを知らされた。こんなに佐賀平野で麦の栽培が行われていることを知らなかった。何度も訪れているのに不思議に知らなかったが、黄金に色付いた麦の穂に感動感激した車窓の風景でした。

「2015年の映画のお話し」
映画「海にかかる霧」(TC日本橋にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年72作目)
韓国の零細漁業者が古い漁船を使って違法な中国からの密航者を乗せる。官憲の検査を逃れるため密航者達を魚の保管場所に入れるがガス漏れで全員死んでしまう。だが、一人若い女性だけ機関室に隠れていた。船員達は死んだ密航者を海に投げ込む。だがそこで女性が発見され、内部分裂してしまうというお話し。中々面白かった。

映画「王妃の館」(TC日本橋にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年73作目)
パリの豪華ホテルを舞台にして著名な作家を含む超高額ツアー客と安いツアー客を巡るコメディー。笑えるが余りにもふざけ過ぎていないか?ルイ14世が一つの副題になっている。パリ観光にはいいかも。

映画「ラスト・リベンジ」(有楽町スバル座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年74作目)
認知症に掛かった年老いたCIAの元エージントが22年前に逃がしたテロリストを追い詰め、復讐を果たすというもの。

映画「アルプス 天空の交響曲」(シネスゥッチ銀座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年75作目)
アルプスの四季とその美しさ、危険性をあまねく描く。全て実写の映像が綺麗だ。

日経新聞5月8日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ブラック・ハット」が4つ星、「駆け込み女と駆け出し男」が4つ星、「百日紅」が3つ星、「パトレイバー 首都決戦」が2つ星、「脳内ポイズンベリー」が2つ星、「小さな世界はワンダーランド」が3つ星、「赤浜ロックンロール」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」「セッション」「ビリギャル」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」「龍三と七人の子分たち」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)、5月は福岡(博多)、熊本(熊本)、佐賀(武雄温泉)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)5月の2度目のバルカン半島(クロアチア他)でした。

「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「囮の御用」(早見 俊 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年109冊目)「道具侍隠密帳」シリーズ第2弾

「なにわ輪万華鏡」(近藤 五郎 著)富士見文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年110冊目)「堂島商人控え書」

「ふくろうの裂く闇」(鈴木 英治 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年111冊目)

「縁切り橋」(井川 香四郎 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年112冊目)「くらがり同心裁許帳」シリーズ第2弾

「八万石の危機」(鳥羽 亮 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年113冊目)「はぐれ長屋の用心棒」シリーズ第33弾

「鬼龍」(今野 敏 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年114冊目)

「博多ドンタク」

「J  REPORT 2015 5月第3週」
「リタイアメント・ノート 6年11ヶ月目」、
「VOL。898 SINCE AUG.12th、1983」
「博多ドンタク」
初めて「博多ドンタク祭り」を観た。とは言っても生憎の雨模様。聞けば語源はオランダ語で「ドンターク」、休日という意味だと言う。「半ドン」という言葉、今は死語になっているかもしれないが、半日勤務で午後は休日と言うこの言葉も語源はオランダ語のドンタークだという。さて、雨の中、数々のグループが踊りながら行進する。この祭り、市民参加の祭りのようだ。企業グループだったり、色々な団体が参加していた。幼い子供たちのグループもあった。雨の中、ご苦労様でした。

「名城、熊本城」
この城の特徴は、「難攻不落」ということだろう。まずは「高い石垣」、そして「三方から攻める堅守」、それらがこの城を正に難攻不落の城にしているといえよう。石垣の高さは十数メートル、城に仮に攻め込むと、幅十メートルほどの道の両側は高い石垣、それが突然右に90度曲がるとその先に大きな門、ここで攻めては正面に門、両側は石垣、即ち三方から弓矢や銃弾に襲われるという訳だ。こういった仕掛けが次々と現われ、三の丸から二の丸、そして本丸へと誰も到達出来ないというのだ。確かに自ら歩いてみるとそれが良く分かる。石垣はカーブを描いているが、上の方は正に垂直、絶対に登れない。また弓も銃も上から撃つほうが絶対に有利だから攻め手は討ち取られるだけと言えよう。加藤清正が築城の名手であったことの集大成がこの熊本城だったのだ。

「ブリジストン美術館」
5月17日で閉館し、長期休館となると聞き、早速訪れた。八重洲通りに入場の列が出来、約30分で漸く入場出来た。創設者「石橋正二郎」氏の収蔵物の中から「BEST OF THE BEST」と銘打った今回の展覧会。流石素晴らしい絵画や彫刻が展示されていて、中々見ることが出来ない傑作ばかりだった。お薦めです。

「メキシコ料理」

「手前勝手世界食物語、第369号」
「メキシコ料理」
主食である「トウモロコシ」を原料とした「トルティーヤ」に尽きると言えよう。トウモロコシを粉にして、それを水で練り上げ、薄く円形に伸ばして焼き上げる。北京ダックを包む小麦粉の皮に良く似たものだ。これは暖かい内に食べないと不味くなるらしい。だから綿のナプキンに包まれて出される。そこから一枚一枚出して、色々な具材を乗せて食べる。そこに辛味のある香辛料も入れる。大小の大きさがあり、大は直径20cmほど、小は7?8cmほどだ。これが食べ方第一番目。次はポテトチップと同じような大きさにしてこれを油で揚げて、正にポテトチップ状態にして、これに香辛料を付けて食べる。第三番目は先ほどの第一番目の皮を油で揚げて、それに野菜やら肉やらを入れて食べる。まあこれが我々が知っている一般的な食べ方、即ち「タコス」というものだ。その他、肉も魚も料理は出されたが、どれも同じ味で美味しくなかった。全般的にメキシコ料理は不味い、美味くないと言えるかな?話しは違うが、ポルトガルで「タコライス」というのを食べたことがある。蛸の身を刻んだものに野菜と米を炒め合わせたもので意外と美味しかった。沖縄で「タコライス」を頼んだら、全く違ったものが出てきて、店の人に聞いたら、「タコスのライス入り」だということでメキシコ風タコスにご飯を入れたものだったので驚かされたことがあった。
以上、東京から勢古口がお送りしました。

「江戸城」

「江戸城」
写真は大手門か観た「江戸城」だ。勿論模型だが、江戸東京博物館6階常設展示場にあったものだ。右手奥が本丸だ。意外に沢山の建物があったことが分かる。多分左手遠くには富士山も観えたはずだ。本丸天守閣は所謂振袖火事で消失しその後建てられていない。愛宕山から撮られた写真もあったが、込み入った江戸の町並みが写されていたが、軒を連ねる町並みは流石百万人都市の面影も見受けられた。江戸東京博物館にはぜひ行って見て下さい。お薦めです。まだ「大関ヶ原展」もやっています。

「さいたま歴史研究会5」
今回のテーマは「三陸大津波」だ。過去にも幾つもの津波があったようだが、歴史的に比較的記録が残っている「明治29年(1896年)大津波」を取り上げた。6月15日は旧暦では5月5日の端午の節句だった。地震が起きたのは、午後7時32分30秒で、釜石の東方沖約200kmでマグニチュード8.2と推定される。その時、大砲の音のようなものが2度聞こえたという。恐らく海底の地盤が崩壊した音だったのではなかろうか?36分後、津波の第一波に襲われる。ということは午後8時過ぎだ。もう辺りは恐らく真っ暗になりつつあったろう。だから津波の姿が実際に見えたかは分からない。津波は北海道から宮城県までの海岸を襲った。逃げた人もいたが、物凄い犠牲者が発生した。死者行方不明者は青森、岩手、宮城の3県で26360名、流出倒壊した家屋10143戸、津波の高さは大船渡付近で38.2mにも達したという。岩手県の被害が一番大きい。リアス式海岸が影響したのだろう。地震の事実が電報で中央官庁や新聞社に知らされたのが6月16日、新聞での報道は17日だった。東京日日新聞社の記者二人は16日の夜東京を出発し、汽車と徒歩で現地に入ったのが18日の夜だったという。そこから現地の悲惨さと生き残った人からの話しを聞き、東京にレポートし新聞が掲載したのが28日だから、実に時間が掛かっている。その間、救助隊も軍隊や日赤、大学病院、公立病院等から派遣される。新聞には累々と横たわる死体や倒壊した家屋の写真も掲載されていた。今回の2011年3月11日と規模は余り変わらないが、被害が多く出たのは建物が殆ど木製であったことや、津波を信じていなかった人が多くいたことなど悪い要因が重なったのだろうか?何度も起きている津波なのに過去の事例が生かされていないと痛切に感じた。

「春の早慶戦」

「春の早慶戦」
完敗と言っていいだろう。春の晴天だった「昭和の日」、駒沢陸上競技場には恐らく1万人以上の観客が入っていたと思う。序盤から早稲田に一方的にやられっぱなし。いいところなく前半終了し、気分も不快。後半それも第4クォーターになって漸く連続してパスが通り、2タッチダウンを上げるも時、既に遅し。結局17:31で母校は敗戦した。個々人の体力、技術、それにチームとしての纏まり、どれをとっても母校は数段下だった。現在部員は190名にも達するというが、これは余りにも多過ぎる。満足に練習も出来ないだろう、この人数では。多分半数以上は就職対策で入部しているとしか思えないし、そんな雰囲気のプレーも散見された。私も含めて皆大会社に入社していたし、結局はスポーツを通じてチームワークの何であるかを教えられ、努力すること、耐えることを覚えた。こうした体育会の良い面がある意味、企業からすると採用し易い人材ということは言えよう。だがそれを逆手に取って怪我をせず、兎に角4年間在籍することを目指すようになっては学生スポーツとしては最悪だ。190名は60名程度に絞らなくてはならないと我々OBは感じている。部費を納めてくれるのだから多くても仕方ないという考えもあるだろう。だが実際には学校側に資金面の援助を求めるのは無理だ。だから我々OBたちが寄付をするしかない。練習毎に膨大な金額のテーピング費用が掛かる。だからと言って本来の学校を代表してスポーツ競技に参加するという精神を失っていいとは思わない。厳しく激しく練習し、そこから得られたものをスポーツという場で、母校の名誉を背負って戦う、本来の姿に戻って欲しい。とは言っても入りたいという学生を拒むことは出来ないのが学生スポーツだろう。それならばやはりセレクションをするしかないのではなかろうか?