「秋の香りは食欲から?」

「手前勝手世界食物語、第381号」
「秋の香りは食欲から?」
新潟の友人から「佐渡の葡萄」を送って頂いた。早速、孫娘に食べさせようと持参した。秋は葡萄もさることならが、色々な果物が店頭に現われる。「柿」「リンゴ」「梨」「栗」、その他色々な果物があるのだろうが、私は余り果物は食べない。だから頂き物は味見だけして、孫娘に食べさせることにしている。大粒の葡萄が佐渡で採れるとは知らなかった。海外旅行中の朝食時のブッフェスタイルで出てくるのは食べるが、自宅ではめったに食べない。だがこの葡萄、美味しかった。(写真:佐渡の葡萄)

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「食べ放題」
日比谷シャンテ地下2階の「柿安」は9月も好評に付き料金据え置きで営業していた。食べ放題で飲み物はソフトドリンクだけだと3100円?で飲み放題付きだと5000円だが、料理の質がいいので最近も度々利用させてもらっている。但し2時間限定だから、それだけが困ることがあるが、まあ私はよく利用しているから2時間半までは許してもらっている。野菜類も豊富、洋風、和風、中華風、エスニック風と何でもありで味もいい。握り寿司もデザートも充実しているから休日には家族連れが多いし、平日は女子会が沢山入っている。ブッフェだから自分の好みの物を取って来れるので体調管理にもよい。ただ食べ過ぎには気をつける必要があろう。私はいつも野菜中心にしている。最近は食べ放題の店が流行っているという。日比谷と言う立地でこの値段は納得出来るだろう。(写真:私が取って来た一例)
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以上、いよいよ秋が深まりつつある東京から勢古口がお送りしました。

「アメリカ南部の旅、ヒューストン」

「J  REPORT 2015 9月第4週」
「リタイアメント・ノート 7年2ヶ月目」、
「VOL。916 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦63、アメリカ南部の旅、最終日」
「ヒューストン」
第6日目
9月9日(水曜日)
実質的な最終日だ。朝7時出発でヒューストンに向かう。ニューオーリンズ郊外は湿地帯で木々の間に湖が観える。(写真 lake)

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午後2時に漸くヒューストンの「NASA」の基地に着く。(写真 入口の看板)
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広い敷地内を巡る「トラム・ツアー」に向かう。まずはこの「ジョンソン宇宙センター」の心臓部分である「管制塔」見学だ。1961年当時のケネデイー大統領が1960年代の内に月に人類を送りこむと約束して始まったNASAのプロジェクトだ。ここから指令が出され、宇宙船「アポロ」との交信がなされた場所だ。今は既に使われていない。見学者向けのものになっている。(写真 control room)
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別棟に行く。ここは長さが100mもある巨大な建物で現在宇宙にある「ISS」(国際宇宙ステーション)と同じものがあった。ここで色々なテストや新しい開発を行っているという。日本が造った研究施設の「希望」もあった。(写真 ISS希望)
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現在開発中なのは2030年に火星探査を目指す有人宇宙船「ORION」(日本語名オリオン)だという。そのカプセルもあった。何と片道火星まで68ヵ月掛かるという。往復で12年も掛かるプロジェクトだそうだ。それもヒューストンからパリまでを17分で結ぶ速さで飛んでのことだという。気が遠くなるようなプロジェクトだ。(写真 orion)
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ドッキングの際に使ったりする巨大な「カナディアン・アーム」があった。これはISSにドッキングしようとする宇宙船をキャッチしたりするためのものだという。日本人宇宙飛行士の若田氏が操っていたものだ。(写真 arm)
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最後に訪れた施設が「アポロ計画」最後のミッション用の「サターン・ロケット」の現物だ。このロケット一基で当時のお金で45億ドルも掛かったという。1970年代アメリカはベトナム戦争での巨額な出費もあり、このロケットが一基で国家予算の0.5%も掛かることからアポロ計画は中止となり、18号は発射されることはなくなり、今は展示保存されているというのだ。(写真 rocket)
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その後は「スペース・シャトル」に引き継がれる。当初は何度も使用できるシャトルで経費節減が期待されたが、実際には修理代が膨大になったり、事故が起きたことから、シャトルも中止となり「国際宇宙ステーション(ISS)」でのミッションになったという。さて、展示室では「月の石」が多数展示されていた。石だけでなく砂もあったし、実際に石に触れることも出来るようになっていた。(写真 moon stone)
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宇宙ステーションの内部も観ることが出来るようになっていて、宇宙飛行士の生活の一端を垣間見ることが出来る。宇宙では無重力のため、まず1週間で筋力が20%低下し、骨密度があっという間に落ちるという。その為に毎日数時間のトレーニングが必要だが、それでも地上に戻ると歩けないという。シャワールームは筒状の中に身体を入れ、密封された中で強制的にシャワーを浴び、身体を衛生的にするという。トイレなども大変な作業のようだ。寝るのもこれまた大変みたいだった。血液を含む体液が頭に行ってしまい、低圧の部屋で調整しないと駄目だという。宇宙での生活は決して快適とは言えなさそうだった。12年も掛けて火星往復をする時、人は船内で何をしているのだろうか? 疑問が湧く。果たして耐えられるのだろうか? (写真 宇宙船内部)
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十分堪能した「ジョンソン宇宙基地」のトラム・ツアーだった。因みに「ジョンソン」とはケネディー大統領暗殺時の副大統領で大統領になった人だが、彼がテキサス州出身でこの宇宙基地招聘に絶大な功績があったということでその名が付けられたという。この基地では1万8千人もの人が働いているというから凄いものだ。基地の中に「ボーイング747」があった。実際にスペース・シャトルを運んでいた本物の機体だ。上に乗っているシャトルは模型だが、当時の姿を思い浮かべることが出来る。(写真 ボーイング747)
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基地内には20数名の宇宙開発で犠牲になった人たちの碑があり、それぞれに一本づつ木が植えられている。そこで観光客も黙とうし、英雄たちの冥福を祈る。隣に牧場があり、テキサス特有の牛が飼育されていた。角が横に広く長く伸びているのが特徴だ。将来これらの牛も宇宙船に乗せて宇宙の旅をさせる計画もあるようだ。(写真 牛)

そろそろアメリカ南部の旅も終わりだ。

「ヒューストンから成田」

「ヒューストンから成田」
明日はいよいよ帰国日だ。最後の南部での夕食は「T-BONE」ステーキだ。何でも大きいのがテキサスだというが、出て来た水もビールジョッキほどでとにかく大きい。勿論ステーキもジャンボサイズだった。赤身肉をそれでも頑張って完食した。アメリカのステーキは店を選べば美味しいものだ。ハワイでもグアムでも、勿論本土でも美味しい店では美味しいステーキを食べられる。私は日本のA5等級の霜降りでなくても赤身で十分堪能出来る。多分肉だけで300g以上はあっただろう。全員完食でした。(写真 T-bone steak)

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アメリカで面白いことに気が付いた。アイスティーを頼むと、甘いのと、甘くないのとのチョイスが出来る。そして出てきたものは大きなコップに氷と紅茶が入っているのだが、甘くないほうにはストローと共にスプーンが入っている。甘いほうにはストローだけだ。なぜだろう?地元の人に聞いても分からないと言う。私の想像では多分甘くないのを頼んだ人が少し甘みを追加したいと言う場合に砂糖を入れてかき混ぜるためにスプーンが付いているのではないだろうか?どなたか分かる人がいたらお教え願いたい。或いは甘いのと甘くないのとの単純な区別なのかも?
さてクイズをやった。アメリカ人に聞いた「国際的なブランド企業名は?」という問いで、一番はやはり「アップル」だそうだが、日本勢ではトヨタが10位、ホンダが20位だったようだ。マイクロソフトやグーグル、GE等がトップ10以内で韓国のサムソンも9位だったと思う。ドイツのベンツがホンダよりも下だった。「アメリカの最も歴史的な出来事は?」との問いに対するアメリカ人の答えは、一番が「オサマビンラディン殺害」だったと思ったが、間違っているかも知れないが、トップ10の中には確か、「ケネディー暗殺」、「9・11」、「リンカーン暗殺」、「キング牧師暗殺」、「ベトナム戦争」、古くは「独立戦争」、「南北戦争」、そして「日本に原爆を落としたマンハッタン計画」等があるのだが、日本人が知らない「ルイジアナ買収」というのが歴史的にはアメリカ人にとって大切な出来事だったらしい。19世紀初頭、ルイジアナはフランス領でこれをナポレオン皇帝からたったの1500万ドルで買い求め、それが今のアメリカ本土の何と23%にも当たる広大なものだったというから驚きだ。ナポレオンは戦費調達が出来なくて渡りに船でルイジアナを売却したらしい。「最もアメリカ的な、アメリカ人らしい有名なアメリカ人は?」という問いではアメリカ人は一番が「マリリン・モンロー」だったというから面白い。永遠のヒロインなのだろう。これは添乗員のH氏から出された問題だった。「ビル・ゲイツ」や「エジソン」、「JFK」「オバマ大統領」もトップ10だ。

「2015 私の勝手な映画批評シリーズ」
映画「アンフェア THE END」(TCスカラ座にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年142作目)
警察や検察、そして裁判所をも含めた陰謀があるのを暴こうとする主人公の女性刑事「雪平」だが、そこには複雑に絡み合った罠があった。果たして正義は貫かれるのか?雪平は大丈夫なのか?日本映画としては出色の出来だった。

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映画「キングスマン」(TCみゆき座にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年143作目)
イギリス風のジョーク満載。007のお笑い版だと思えば笑える。これに4つ星入れたのだから、「テッド2」も4つ星に格上げします。楽しめます。

映画「天空の蜂」(丸の内ピカデリー座にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★★(今年144作目)
日本映画では珍しく面白い題材を取り上げている。また展開が早くて実に楽しめた。こういうのはハリウッドの得意分野だが、日本でもよくやったといえる。手に汗握る面白さでした。

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映画「ヴィンセントが教えてくれたこと」(TCシャンテにて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年145作目)
嫌われ者のヴィンセントは68歳の老人。隣に越して来た母親と少年だが、少年は学校で虐めにあう。それを救ったヴィンセントはやがて少年のシッターとして雇われる。そして生まれたヴィンセントと少年の触れ合いに人生を感じる。ラストシーンが感動的だった。ぜひ観てもらいたい映画だ。

映画「Dear ダニー、君へのうた」(角川シネマ有楽町にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年146作目)
ロックスターのダニー・コリンズは4度の結婚に失敗したが、唯一一人の息子がいたが、全く会った事もなかった。そんなダニーは息子とその妻、そして孫娘に会いに行くのだが、拒絶される。そこで孫娘の学校を選び、寄付して入学させ、拒絶する息子が犯された白血病への対応に全力を尽くす。年老いたロックスターの生き様が家族とはとの問いを発する。いい映画でした。アル・パチーノが好演していました。今年はいい映画が多い。この映画も本当にお薦めだ。

映画「ピクセル」(ユナイテッドシネマ豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年147作目)
1982年にゲームセンターでヒットしたゲームが宇宙人によって兵器となって人間を襲うというもの。

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日経新聞9月18日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「キングスマン」が4つ星、「3泊4日、5時の鐘」が4つ星、「アントマン」が4つ星、「カプチーノはお熱いうちに」が3つ星、「ぼくらの家路」が3つ星、「ベル&セバスチャン」が3つ星、「ザ・ヴァンパイア」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」「セッション」「ビリギャル」「あん」「人生スイッチ」「筑波海軍航空隊」「天空の蜂」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」「龍三と七人の子分たち」「駆け込み女と駆け出し男」「靴職人と魔法のミシン」「海街ダイアリー」「マッドマックス、怒りのデスロード」「愛を積むひと」「アリスのままで」「雪の轍」「悪党に粛清を」「チャイルド44」「アベンジャーズ」「バケモノの子」「ラブ&マーシー」「ジェラシック・ワールド」「ミッション・インパセブル」「アンフェア the end」「キングズマン」「テッド2」「ヴィンセントが教えてくれたこと」「Dearダニー、君へのうた」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)、5月は福岡(博多)、熊本(熊本)、佐賀(武雄温泉)、6月は不老不死温泉(青森)、弘前城(青森)、釜石(岩手)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)、5月は2度目のバルカン半島(アルメニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツゴビナ、スロベキア)、7月はブルガリア(63カ国目)ルーマニア(64カ国目)、8月はアメリカ西海岸(シアトル、LA)、9月はアメリカ南部(ヒューストン、ナチェス、メンフィス、ツゥペロ、ニューオーリンズ)でした。

「2015 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「解」(堂場 瞬一 著)集英社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年201冊目)

「うきあし」(佐々木 裕一 著)双葉文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年202冊目)

「雪辱の徒花」(稲葉 稔 著)双葉文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年203冊目)「百万両の伊達男」シリーズ第3弾

「南部の旅、後記」

「南部の旅、後記」
ちょっと忘れたことがあるので追記する。まずメンフィスのレストランでエルビスが座った指定席の写真を入れ忘れたのでここで改めて挿入する。好物の「ピーナッツ・バターとバナナのホットサンド」と「ミートローフ」を食べに通った店で一番奥のテーブルがそうだということだった。皆ここで記念写真を撮るという。アメリカ人は本当に太っている人が多い。周りが太っているから、自分が太っていることに気が付かないのか?腰周りからお腹からどうしてあのように太れるのか?節制と言うことを全く気にしないのか?他人事ながら考えさせられた。(写真 エルビスのテーブル)

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今回の旅でエルビスの人生の一端に触れて、これまで知らなかったことを知り、エルビスのファンになってしまった。彼は貧しい子供時代を過ごしならが、ぐれずにそしてトップスターにまで登った彼の姿に感動感激してしまった。

「奴隷」
南部と言えば奴隷が労働の主役だったことは有名だ。元々ヨーロッパでは奴隷は当たり前にいた。ローマ時代でも奴隷は沢山いたが、それは労働力というよりも家事労働だったり、教育者だったりした奴隷も沢山いた。勿論征服民族で従わないものは奴隷にさせられた。それがアメリカのプランテーションでは肉体労働に特化した使われ方をされたため、アフリカからの奴隷貿易が急速に発展した。奴隷の子は奴隷と言う奴隷の連続性に繋がった。その後遺症は南北戦争後もつい最近までも差別として残っている。ニューオーリンズのプランテーション「オーク・アレイ」の豪邸の二階に面白いもの?特徴的なものがあった。場所は食堂。長いテーブルの真ん中の上の大きな「うちわ」のようなものがあり、これを部屋の端にいる奴隷の少年が紐を引き、団扇を揺らし続けたという。更に下には蝋燭があるからこの火を消さないように、且つご主人様たちに涼しい風を送り続けなければならないという苦難の労働を強いていたという。この地は実に暑いし湿度が高いから夏は大変だったろう。奴隷の子供も奴隷になる運命を背負っていたとは可哀相な人生が生まれた時から運命付けられていたのだった。(写真 巨大なうちわ)

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邸内を見学中の私。確かにここは蒸し暑い。気温は80度F、27度C程度だろうが多分湿度は80%はあるだろう。蒸し暑い空気に満ち溢れていた。写真は邸内の鏡に写る私の姿を撮ったものだ。(写真 私)
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「エルビスについて」

「エルビスについて」
先週のエルビスの家の紹介の中でエルビスの生まれ年を間違えていた。生まれは1935年、即ち昭和10年だ。亡くなったのは1977年、享年42歳の若さだった。彼が愛したもの一番は勿論「一人娘」は当然だが、車マニアでもあった。エルビスの車博物館にも沢山の車があったが、一番入口にあった小豆色の「オープンカー」が実にエルビスらしい車だと私は思った。あのオープンカーを運転するエルビスが一番似合っていたのではなかろうか?色が実にいい。あれはエルビスしか乗りこなせないと思った。(写真 car)

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「グレースランドにて」
エルビスが22歳の時、10万ドルでこの家を買った。そして死ぬまでここで暮らしたという。彼の最初のレコーディングは18歳、ヒットしたのが19歳、22歳の時には既にスターになっていたのだ。グレースというのは元の持ち主の名前だそうで、地元ではここをグレース・ランドと呼んでいたのでそのまま名称を使用したようだ。中は意外に質素でエルビスのこれまでの生活が分かるような感じだった。色々と彼なりに特徴を出した飾り付けや家具を入れていたが、住みやすそうな家だったといっておく。食堂にはいつも仲間を集めて愉快に食事をしていたようだった。(写真 食堂)
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居間には別れた妻と一人娘の写真があった。妻の浮気で離婚した時に一人娘は妻が引き取ったのだろう。しかしエルビスは決して元妻と娘を忘れたことがなかったのだと思う。だから写真を飾っていたのだ。彼の人生は恵まれていた訳ではなかった。妻はエルビスの乗馬?かテニス?のコーチと浮気したらしい。でも綺麗な人だ。彼女がこのグレースランドを観光客に公開して娘の安定した収入にしたというのは素晴らしい発想だと思う。娘は今も当然今も生きている。(写真 別れた妻と一人娘)
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「機内の青海苔うどん」

「手前勝手世界食物語、第380号」
「機内の青海苔入りうどん」
帰りの機内では「青海苔入りのうどん」を頼んだ。正に日本の味だ。海苔は外国人には余り気に入られていないようだが、やはり日本人には海苔があう。美味しかった。日本料理は本当に美味しい。(写真 青海苔入りうどん)

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さて、アメリカ南部の料理には「ケイジャン料理」という家庭料理と「クレオール料理」というちょっと高級な料理の2種類があると聞いた。ニューオーリーンズのミシシッピー川の船旅の船内のビュッフェは「ケイジャン料理」だった。このケイジャンは地元のネイティブアメリカンンの料理にアフリカ系の人たちの味が加わった所謂家庭の味で「キャットフィッシュのフライ」や、鶏肉と豆やオクラが入った煮込み料理の「ガンボ」が有名だ。ビュッフェを楽しみながらジャズバンドの生演奏を聞く。(写真 ジャズバンド)
ナチェス号にて
一方、「クレオール料理」というのはカナダからやって来たフランス系の移民の人たちが原点のフランス料理の流れを汲む料理だという。上流階級の料理なのだろう。ニューオーリンズの夜。入ったレストランは有名な店で「アーノルド」。中は落ち着いた高級店で雰囲気は満点、部屋の隅でジャズバンドが生演奏していた。

因みに彼らはその後各テーブルを廻りリクエストを聞き、真横で演奏してくれた。聞くとチップは15ドル払ったという。
いよいよクレオール料理だ。「サラダ」or「ガンボ・スープ」、次がメインで「シュリンプ&グリッツ」or「フィッシュ・アマンディーヌ」、最後が「クレームブリュレ」だったが、どれも美味しかった。
(写真 シュリンプ&グリッツ)シュリンプのフライをポテトの上に乗せ、フランス風にソースで味付け。

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(写真 フィッシュ・アマンディーヌ)白身魚のフライにアーモンドで作ったソース掛け。
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家庭料理と高級料理、それぞれに特徴があったが、一番感じたのは南部料理は美味しいということだった。アメリカのツアー飯でこれほど美味しいものが食べられたのには感激だった。もう一度行きたい土地がアメリカ南部だという気がしてきた。
以上、いよいよ秋めいて来た東京から勢古口がお送りしました。

「アメリカ南部の旅、ヒューストンからナチェス」

「J  REPORT 2015 9月第2-3週」
「リタイアメント・ノート 7年2ヶ月目」、
「VOL。915 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦63、アメリカ南部の旅」
「ヒューストンーナチェス」
第一日目、9月4日(金曜日)
6月に就航したANAの成田―ヒューストン線でテキサスに向かう。今回もビジネスクラスだ。夕食は洋食を頼み、ステーキを食べた。(写真 steak)

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飲み物は焼酎の「川越」という芋の銘柄だ。あっさりしていて美味しい。肉は可もなく不可もなく、だった。フルフラットのシートだから6時間は寝ただろう。十分睡眠は取れた。約12時間のフライト。アメリカ南部は初めてだ。ヒューストンはメキシコ湾に面した最大の港湾都市で、人口は全米4位の大都市だというが、「ジョー・ブッシュ・インターコンチネンタル空港」からは郊外を東に走る。油田があると思っていたが石油採掘用の「リグ」もなく、見渡す限りの平原が続き、草原か牧場か農場かといった田舎の雰囲気が延々と続く。西海岸に比べて道路事情は悪そうだ。走っている車はやはり聞いていた通り「ピックアップ・トラック」が圧倒的に多い。(写真 pickup truck)
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南部の田舎道を走る。機内食2回、最後の機内食は「一風堂のラーメン」を食べていたからお腹は空いていないが、昼食の時間となる。カジノがあるホテルのブッフェ・スタイルでの昼食には食べたかった南部料理の代表である「キャット・フィッシュ」があった。ご存知「ナマズ」料理だ。(写真 catfish)
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どんなのかと思っていたら、なんとナマズの白身のフライだった。名物料理にトマトケチャップにタバスコが入ったものをかけて食べたが、中々に行ける。庶民の料理なのだろう。もう一つ南部料理で「ガンボgumbo」いうのがあった。これは香辛料を色々と入れたスープに、チキン、ソーセージ、野菜(主に豆類)を入れて煮込んだものだが、意外と美味しい。徐々に辛さが出て来て汗をかく。(写真gumbo)
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亜熱帯ならではの味だった。慣れると病みつきになりそうだ。これならば日本でも十分に食べられるアメリカ南部料理だった。嵌まりそうな料理でした。走り出したら前方に黒い雲が観えて来た。すると突然の豪雨に見舞われた。(写真 rain)
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ワイパー全開でも前が見えない位の凄い雨だ。この地方特有の雨だそうだが、時間当たり50mmは降っていそうな感じの雨だった。10分程で雨の区域は通過した。真っ平の土地を兎に角走る。代わり映えのしない風景ばかりだ。さて今回のツアーはなんとたったの6人。42人乗りのバスに6名だから楽だ。途中、「ウォルマート」でお買い物タイム。ウォルマートは世界最大の小売業で、日本円で年間55兆円を売り上げるという。本当に全米中に当たり前のようにあるスーパーマーケット(アメリカとホンジュラスだけで約5000店舗あるという)だ。どこも基本的に造りは一緒だ。(写真 walmart)
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レジに一工夫ある。プラスティックバッグが吊られたターンテーブルに店員が勘定をしたものを自分で次々と入れていく。だから客はそのバッグを自分で最後に引き取るだけ。これはアイデア賞ものだ。人件費削減効果抜群だ。ウォルマートで日本へのお土産品を買う。50年ほど前にアメリカに出来たこの企業はあっという間に世界一になってしまったが、そこにある発想力と先進力は凄いものがあったようだ。創業者の汗と知恵がアメリカンドリームを達成させたのだろう。但し、最近はブラック企業としても有名になったようだが。綿花畑が見えて来た(写真 cotton field)
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南部の過去の歴史には、フランスの植民地時代、スペインの植民地時代、そしてアメリカの奴隷制度に基づく綿花のプランテーションの時代と続き、やがて19世紀後半の南北戦争、奴隷解放、またまた歴史は逆戻りして、人種差別が続く20世紀前半と目まぐるしく動いたのだったという。黒人の差別は今まだ払拭されてはいないのが現実だろう。テキサス州からルイジアナ州、そして「ミシシッピー川」が観えて来て橋を渡ればミシシッピー州だ。(写真 Mississippi river 1)
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世界で3番目か4番目に長い川だそうだが、この辺りは意外に川幅が狭い。色々な人が思惑を持ってこの川を上り下りしたのだろう。聞くとツアー参加の皆さんはジャズが好きか、エルビス・プレスリーが好きな人たちで私のように南部に来たことがなかったから参加というのはいなかった。「ナチェス」というミシシッピー川河畔の小さな街が本日の宿。人口1万6千人程度の小さな街の小さな小洒落たレストランで「サーモン・ステーキ」を食べた。最近はチップの相場が上がってラスベガス辺りだと25%も取られるそうだ。白ワインのボトル16ドルを飲み、チップを含めて切りよく20ドル払った。

「ナチェスからメンフィス」

「ナチェスからメンフィス」
第二日目 9月5日(土曜日)
朝、散歩に出掛ける。いやに蒸し暑い。40分程の散歩で汗まみれになった。この辺の人たちはコミュニティーを大切にしているというが、知らない人でも会えば必ず挨拶を交わす。正に昔の日本の社会のような所だ。朝は「おはよう」が当たり前の生活のようだ。この「ナチェス」という街の生い立ちは、19世紀初頭に綿花産業が発達した時に、ミシシッピー川の河川にあって、ちょっと小高い丘の上にあったため洪水に襲われず、綿花の集積地としての港湾都市として栄え、そこに豪商たちが所謂マンション(豪邸)を建てたことが繁栄のきっかけだという。今も1800年代初頭の、南北戦争以前に建てられた豪邸が残されている。本日はその内の3軒を見て回るそうだ。最初は「メルローズ邸」だ。元々弁護士だったメルローズ氏がその後綿花栽培の事業にも進出して成功し、380人もの奴隷を持つ大農場主になったという豪邸だ。(写真 Melrose)

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邸内には、使用人たちの家や、奴隷小屋、馬小屋、馬車の車庫、物置、洗濯室等々色々な建物が散在していた。今も勿論人が住んでいる。ここでワッペンとピンバッジを買う。ほぼ目的達成だ。
その次は珍しい「セント・メアリー教会」の尖塔のある建物だ。(写真 church1)
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次は、元々は奴隷だったが、「自由奴隷」となり自由を獲得した後に、理髪業をこのナチェスでやって大成功し、自身も16人もの奴隷を所有する富豪になった「ウィリアム・ジェームズ邸」だ。彼は元々白人と黒人の女性との間に生まれた混血児「ムラート」だったが、白人の所有主から認められて自由人になった人だ。理髪業を営み、この地で大成功したが、残念ながら隣人との土地を巡る境界線問題で揉めて殺されてしまった。しかし彼が残した日記が非常に貴重で黒人奴隷の歴史を物語る上で素晴らしい資料となったのだった。奴隷とは当時は「富の象徴」だったという。(写真 dairy)
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最後が「ロザリー邸」だ。ミシシッピー川を見下ろす位置に立つこの建物は、風光明美な建物でミシシッピー川が一望できる素晴らしいロケーションにある。ナチェスの歴史地区にあり、正に富の象徴だったのだろう。(写真 Mississippi river 2)
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南部の富とは「綿花」と「奴隷」というものが一体化されてなされたものだった。綿花の摘み取り作業は手作業での過酷な労働の上に、黒人奴隷の安価な労働力によって達成されていた訳だ。そこから白人の大富豪が次々と生まれて行った。ミシシッピー川の東岸のナチェスから川に沿って北上し、一路メンフィスを目指す。「インターステイト・ルート55」即ち「アイ(I)55」を走るが、これまでと違って内陸部の起伏のある丘の間を走る。(写真 route 55)
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道路脇の電柱が皆木材のポールなのに驚かされる。これのほうが安価なのか? またアメリカのフリーウェイの脇にはバーストしたタイアの残骸が沢山放置されている。本当に沢山のバーストがあったことが分かる。日本では決して見られない光景だ。
昼食は途中の街のイタリアンレストラン「ブラボー」で「牛肉煮込みペンネ」を食べた。(写真 bravo restaurant)
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美味しかったが、レストランの室内温度が華氏70度に設定されていて冷蔵庫にいるように寒かった。摂氏21度が室温ってありますか?うちでは28度ですよ。寒くて震えていました。ホテルの部屋も大体華氏72度位だから、寒過ぎる。他の客はノースリーブだとかTシャツだとかで全然問題ないみたい。本当に困りました。
「メンフィス」に着く。ここは北のシカゴと南のニューオーリンズとのほぼ中間点だという。これまでテキサス州、ルイジアナ州、ミシシッピー州、そしてテネシー州に入ってきた。ダウンタウンの「BBキング」という店に行く。87歳で今年5月に亡くなったジャズ奏者のキング氏が店のオーナーで生演奏を披露していた店だということで人気一番のようだ。エレキのリードギター、ベース、キーボード、ドラムスの4名が一斉に奏でるジャズに皆が酔い痴れている。踊り出す人もいて熱気むんむんのレストランだ。(写真 BB king )
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料理は「BQリブ・ハーフ」。ハーフというが日本人にはフルと同じ大きさだ。勿論私は手掴みで食べた。(写真 BQ lib half)
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丁度カレッジフットボール「PAC12」の「テキサスA&M」と「アラバマ・ステイト」の試合を放送していた。テキサスが圧倒的に勝っていた。食後、「ビール・ストリート」に出たが、凄い人出で警察のパトカーが3台も道路を封鎖していた。(写真 beale street)
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その道路の中を黒人の若者二人がバック転を連続して行い、チップを貰っていた。そうそう、ナチェスのメルローズ邸に綿花が植えられていて、今正に摘み取りを待っている状態だった。確かにこれでは手摘みしかできないなあと実感しました。(写真 cotton flower)
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「2015 私の勝手な映画批評シリーズ」
映画「しあわせへの回り道」(TC日本橋にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年140作目)
売れっ子作家の家庭生活での挫折にインド生まれの自動車教習所の教師が絡む真面目なお話し。いつでも前向きに行きましょう。

映画「ボーイソプラノ」(ANA機内にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年141作目)
アメリカの国立少年合唱団に入った少年が目指す頂上とは何か?しかしソプラノの声が出るのは本の数年でしかない。そこで彼は何を得るのか?

日経新聞9月4日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「赤い玉」が4つ星、「ヴィンセントが教えてくれたこと」が4つ星、「映画 みんあ!エスパーだよ!」が3つ星、「アンフェアー the end」が4つ星、「ピース オブ テイク」が2つ星、「ギヴァー 記憶を注ぐ者」が3つ星、「エデン」が2つ星でした。
日経新聞9月11日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「黒衣の刺客」が5つ星、「天空の蜂」が3つ星、「DEARダニー 君へのうた」が3つ星、「ピクセル」が2つ星、「ピエロがお前を嘲笑う」が3つ星、「私たちのファファ」が2つ星、「ヒューマン・ハイウェイ」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」「セッション」「ビリギャル」「あん」「人生スイッチ」「筑波海軍航空隊」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」「龍三と七人の子分たち」「駆け込み女と駆け出し男」「靴職人と魔法のミシン」「海街ダイアリー」「マッドマックス、怒りのデスロード」「愛を積むひと」「アリスのままで」「雪の轍」「悪党に粛清を」「チャイルド44」「アベンジャーズ」「バケモノの子」「ラブ&マーシー」「ジェラシック・ワールド」「ミッション・インパセブル」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)、5月は福岡(博多)、熊本(熊本)、佐賀(武雄温泉)、6月は不老不死温泉(青森)、弘前城(青森)、釜石(岩手)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)、5月は2度目のバルカン半島(アルメニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツゴビナ、スロベキア)、7月はブルガリア(63カ国目)ルーマニア(64カ国目)、8月はアメリカ西海岸(シアトル、LA)、9月はアメリカ南部(ヒューストン、ナチェス、メンフィス、ツゥペロ、ニューオーリンズ)でした。

「2015 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「もみじ姫」(佐々木 裕一 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年196冊目)「もののけ侍伝」シリーズ第5段

「大塩平八郎」(早見 俊一 著)祥伝社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年197冊目)「一本槍悪人狩り」シリーズ第3段

「兄妹の星」(和久田 正明 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年198冊目)「髪結の亭主」シリーズ第3段

「迷い人」(倉坂 鬼一郎 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年199冊目)「品川しみずや影絵巻」シリーズ第1段

「浅草料理捕物帖」(小杉 健治 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年200冊目)「浅草料理捕物帖」シリーズ第1段

「メンフィスからツペロ」

「メンフィスからツペロ」
第三日目、9月6日(日曜日)
「メンフィス」といえば「エルビス・プレスリー」を抜かしては語れない。1977年に42歳の若さで亡くなったエルビスだが、メンフィスに22歳の若さで買った家が「グレースランド」として現在公開されている。9時に入場して早速エルビス邸の見学ツアーに出た。まずi-PADが支給され、日本語を選択して画面を見ながらバスでグレースランドに行き、エルビス邸内を歩く。居間、食堂、客間、プレールーム、レコードを聴き、テレビを観る部屋等々があり、外にはラッケットボールが出来る建物や事務所、馬小屋、馬場もあり、あっという間に1時間が過ぎ去った。幼い頃からの写真や彼の歴史や歩みもよく分かるツアーだった。(写真 living room)

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展示室には彼が貰った賞や表彰状が全て飾られていた。18歳で初レコードを吹き込み、その後の活躍の歴史がそこにはあった。売れたレコードは1億枚以上。(写真 trophy)
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映画は当時ハリウッドではエルビスの映画ならば必ずヒットすると言われていたという。またエルビスはラジオの時代からテレビの時代、そして映画俳優の時代から、コンサートツアーに戻った時代といつでもファンサービス精神旺盛な人気者だった。ツアーでは全ての切符はソルドウトしたという。ギターを担いで両足を大きく開きマイクをポールごと斜めに傾けて下半身をエロティックに動かし歌うエルビスは「ロックンロール」という新しいジャンルを造ったのだった。その舞台衣装は胸の前を大きく開け飾りが縫い付けられた上着に裾が大きく広がっているパンツと実に印象的なものだった。(写真 costume)
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庭の一角にエルビスの墓があった。1930年生まれ1977年死亡と刻まれていた。両親の墓もそこにはあった。私生活では兵役で徴兵されてドイツにいた時知り合った女性と結婚し娘を授かったが、妻の浮気が原因で離婚、その直後に心臓発作で死亡したのだった。全世界の女性から愛されたエルビスだったが、実生活では必ずしも幸せではなかったのかも知れない。(写真 gravestone)
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アーカイブスで未公開のフィルムを観た。「キング・オブ・ロックンロール」の称号に相応しい活躍をした彼の真の姿を感じさせてくれるものだった。エルビス邸の道路の反対側に戻り、まずは「ハワイ展示室」に行く。全世界に同時衛星生中継された「ハワイ公演」がテレビに映され、公演時に着用した衣装が展示されていた。ファンには涙が出るほど貴重なものばかりが飾られていた。(写真 hawaii)
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その他、小型のプライベートジェットと、大型の4発のプライベートジェットがあり、中を観ることが出来た。ベッドまで備え付けられ、まるで空飛ぶ貴賓室のような機内だった。自動車展示室には彼の持っていた自動車が保存されていた。2台のロールスロイス、ベンツのリムジン、キャデラックの大型車数台、他スポーツカーや可愛い小型車もあり、彼の趣味が自動車と乗馬だったことがよく分かった。(写真 flying bed)
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我々がツアーを終えた昼前には既に待ち時間は2時間になっていた。凄い人気だ。
メンフィスで忘れてならないものがもう一か所ある。それが「マーティン・ルーサー・キングJr牧師」が暗殺された「ロレイン・モーテル」だ。黒人専用モーテルの2階の部屋に滞在していた牧師は廊下に出た時に約50m離れた道路の反対側の建物からライフルで狙撃され暗殺された。1968年4月4日だった。アメリカでは今は休日になっている。公民権運動の主役だった牧師は白人の男性によって殺された。人種差別の激しい南部は「メンフィス」での出来事だった。(写真 lorraine motel)
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昼食はエルビスが足繁く通った「アーケード」という名のレストランで、彼の好物だったという「ミートローフ」を食べた。彼が座ったというテーブルが今も残され使われていた。(写真 table)
更に最後はエルビスが18歳で初めてのレコーディングをした「サン・スタジオ」見学だ。ここも人気の場所で今もそのスタジオではレコーディングが週に3-4回は行われているという。ここで幾多のヒット曲がレコーディングされ大ヒットした。その後彼は大手レコード会社「RCA・ヴィクター」と契約するようになった。ファン垂涎の的の場所だった。(写真 sun studio)
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エルビスの旅、次は生誕の地「ツペロ」へと向かう。

「ツペロからニューオーリンズ

「ツペロからニューオーリンズ」
第4日、9月7日(月曜日)
アメリカは「レーバーデイ」の休日だ。「ツペロ」はメンフィスの東南、自動車で約2時間の小さな街だった。エルビスの生家に向かう前に、ツペロのダウンタウンにあるエルビスが8歳で初めてギターを買った「ツペロ・ハード・ウェアー・カンパニー」という店に行く。残念ながら休日で店は休みだった。田舎の何でも屋で金物ならば何でもあるという店だったらしい。ここで買ったギターが彼の進路を決めたと言っても過言ではないだろう。(写真 tupelo hard ware co.)

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いよいよ生家だ。兎に角みすぼらしい家だ。「ショットガン・ハウス」と言われているように、銃を撃ったら弾丸が家を突き抜ける程の小さな家なのだ。寝室とキッチンの二部屋のみ。電気も水道もない家だった。勿論トイレもない。(写真 house)
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そこで1935年にエルビスは双子の男の子として生まれたが片方の兄弟は死産だった。母親は神から授かった運命の男子だとエルビスのことを感じたという。子供時代の両親との写真は可愛い少年そのものだ。(写真 family photo)
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エルビスは母親の影響もあり教会に通うようになる。そして5歳で、教会で歌うこととなる。これが彼の才能の開花の第一歩だった。(写真 church at tupelo)
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13歳の時に、夜逃げするように一家はメンフィスに移住する。1948年だった。半年間は知り合いを訪ねての暮らし、半年後に漸く公営住宅に入れた。(写真 13years old Elvis)
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ここでメンフィスからご一緒した現地在住の日本人ガイドさんと別れる。彼女はこれからメンフィスにタクシーで帰るという。約100マイル(160km)のタクシー代が約2万円、飛行機だと約45分で45ドルだというが、彼女は8人乗り程度の小さなプロペラ機では嫌なのでタクシーにするという。タクシー代は安いが時間との損得勘定には個人差があるようだ。さて、エルビスの死後、彼の娘が遺産を得たが、エルビスの元の妻が利口で「グレースランド」を造り、娘に安定的な収入があるようにしたという。勿論彼の曲が世界中で聞かれれば当然印税は入るが、グレースランドの観光収入も凄いものだろう。42歳で亡くなったエルビス、今生きていれば80歳の老人だが、既に神格化してしまっている。白のステージ衣装にラインストーンが煌めき輝く舞台姿、正にハワイ公演時が38歳の彼の人生のピークだったのかも知れない。42歳の彼は既に太り過ぎの120kgにもなっていて、とてもファンの前に立てる姿ではなかったようだ。その為の減量薬が彼の命を奪ったのだという。42歳、天才歌手の余りにも短過ぎる人生の軌跡を辿る旅だった。それにしても惜しい限りだった。好きだったという「トーストにピーナッツバターをたっぷり塗り、チョコレート・スプレッドを更に塗ったバナナ・サンドイッチ」を朝に10個、そして昼は大好きな「ミートローフ」を食べるという栄養過多の生活が彼の命を奪ったのだろう。昼から「ニューオーリンズ」に向かう。ミシシッピー州から「ルイジアナ州」に入る。世界一長い橋を通る。(写真 bridge)
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「ニューオーリンズ」はミシシッピー川の河口の街だ。2005年の「ハリケーン・カトリーナ」で壊滅的な被害を受けたのは、皮肉にも低所得者が主に暮らす地域だったという。市内の80%が高潮で浸水したという。逃がられたのは、金持ちだけで貧困に苦しむ人たちは見捨てられた。日本でも伝えられたニュースだ。市内中心街の「フレンチ・クォーター」にあるホテルにチェックインして、ニューオーリンズの街に繰り出す。レストランでは「ツナ・ステーキ」を食べたが、量が多過ぎた(写真 tuna steak)
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その後生演奏のジャズをやっている「プリザベーションホール」という店にいく。一人15ドル、約1時間立ちっぱなしで待ち時間を入れるとほぼ2時間立ちっぱなしで流石に疲れた。トランペット、サックス、ピアノ、ドラムス、トロンボーンがそれぞれのパートを演奏する。演奏中は撮影禁止だった。(写真 jazz band)
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ジャズを聴きながら思った。ある一定のルールの中でそれぞれが独特の演奏をするのがジャズなのだろうか?別々の動き、演奏が実は巧みにミックスされ調和されて聴衆に届く。そこに歌声が挟まれる。正にジャズの極致なのだろう。「バーボン・ストリート」は店々から流れ出るジャズミュージックと独特の匂いが合わさり、多くのジャズファンだけでなく、旅行者を、そして地元の人を魅了しているのだろう。夜遅くまで喧噪が続いていた。ジャズ発祥の地「ニューオーリンズ」ならではの喧噪だった。(写真 bourbon street)
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