「柿安と天龍」

「手前勝手世界食物語、第390号」
「柿安にて」
「日比谷シャンテ」にある「柿安」には最近は月に3-4回通っている。食べ放題@3150円(税込み)、飲み放題付き@2000円アップだ。和、洋、中華、エスニックと色々あるが、やはり和食中心でそれも野菜が美味しいから私は好きだ。特に野菜の煮物は抜群の味だ。本当にプロの仕事をしていると思う。だから忘年会シーズンの今は本当に混んでいるが、それでもグループで来ている人、家族連れ、個人客と色々な客層の人たちが来ている。何となく身体に優しい料理が並ぶのが良い。洋食は余り食べない。ローストビーフを少々摘むだけ。基本は和食をこの店では食べている。飲むのは鹿児島産の「芋焼酎」のみだ。(写真:柿安にて)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「天龍にて」
この店も何度も紹介しているが、私が商社勤務時代の若いまだ担当者だった頃だが、銀座には大手ゼネコンの「T建設」の本社と東京支店があり、そこの「資材部」には鉄鋼製品の売込みでほぼ毎日通っていた。だから今から40年近く前のことだ。資材課の方と一緒に昼食に出掛けたのが、この店「天龍」だった。今と同じ巨大な餃子が有名だった。建物もその当時のまま。ちょっと値段は上がったが、その他一部店内の模様が変わったが、40年経っても基本は何も変わっていない。今日は「豆もやし」と「しなちく」、「名物の餃子」、最後が「牛肉とブロッコリーの炒め物」を注文した。この餃子、余りにも大きいので一人前では多過ぎるのが玉に瑕だが、まあ満足出来る。更にこの餃子の食べ方だが、これは好き嫌いだから勝手だが、醤油にお酢、それに「和辛し」をたっぷり浸けて食べるのがこの店の食べ方だ。満腹になりました。部下の新入社員を連れて来たことがあったが、この餃子、6個入りなのだが、痩せた彼は半分も食べられなかったことを思い出した。(写真:天竜の料理3品)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

食事を終えて帰宅したら、マンションの前にもLEDライトのイルミネーションが光輝いていた。(写真:自宅前)

以上、勢古口が東京よりお送りしました。

「皇居の紅葉」

「J  REPORT 2015 12月第3週」
「リタイアメント・ノート 7年6ヶ月目」、
「VOL。928 SINCE AUG.12th、1983」
「国立近代美術館にて」
上野は銀杏が実に美しかった。東京都美術館の後、駅近くの「国立近代美術館」では「黄金伝説」という特別展をやっていたので入って見た。古代の黄金製品を集めた展示会だったが、勿論撮影禁止なのでお許しください。(写真:美術館前)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

(写真:黄金伝説展の看板)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

鉄が造られていない古い時代でも黄金で造られた物は沢山あったから不思議だ。人間の欲望の原点は「GOLD」なんだろうか。そんな中に先日観た映画「黄金のアデーレ」の主題の絵の作者、オーストリアの「クリムト」の絵画があったが、これも撮影禁止なのでパンフレットの絵を紹介しよう。金箔をふんだんに使って描かれた騎士の絵だ。金箔はクリムトの作品に数多く使われている。(写真:クリムト作)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

常設展の方に廻ってみる。新しい絵画が展示されているコーナーを観た。余り有名な絵画ではなかったが、多分玄人受けする絵画なのだろう。ここでは大半の絵は撮影可だ。最初は「ファン・バン・デル・アメン」作、「果物籠と猟鳥のある静物」。(写真:アメン作)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

次は「ドメニコ・プリーゴ」作、「アレクサンドリアの聖カタリナを装う婦人の肖像」(写真:プリーゴ作)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

最後が「アンドレア・デル・サトル」作、「聖母子」(写真:サトル作)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

以上がニューアライバルの3作品だった。
次いで既に展示されている絵画を観る。私の趣味で紹介する。最初は「ルーベンス」作、「眠る二人の子供」(写真:ルーベンス)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

次が「カルロ・ドルチ」作、「悲しみの聖母」(写真:ドルチ作)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

もう一つ、「クロード・モネ」作、「しゃくやくの花園」(モネ作)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

そしてこれは撮影禁止だったが、「フェルメールに帰属」となっている「聖プラクティス」。多分フェルメールが描いたものだろうという説明付きで、帰属という表現になっているのだが、業界ではフェルメールの作品だというのが通説だそうだ。それも若い20代前半の作らしい。そこで看板を撮影。(写真:フェルメールに帰属)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

著名な画家の本物の作品が多数展示されている美術館としては日本一は間違いないだろう。写真撮影も可だから助かる。さて外に出てみると「国立近代美術館を世界遺産に」とあったが、これで世界遺産になるのかしら?

「月と金星」

「月と金星」
夜明けの東の空に三日月が見える。近くに金星「明けの明星」も光り輝く。宇宙の神秘のような景色だ。薄く青く色付く空、月の美しさ、それに寄り添うような金星。本当に美しい空だった。日々、月は東の空に移動しながら、痩せ細っていく。いよいよ新月を迎える。(写真:月と金星、左、右)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「シャネルのクリスマス・ツリー」
銀座通り2丁目にある「シャネル」の店。中国人も沢山いる。正に売れに売れているようだ。店内に「クリスマス・ツリー」があった。係りの人に「写真を撮ってもいいか?」と聞いたら最初「駄目です」と言われたが、すぐに相談してきたらしく「ツリーだけならばよいそうです」とのことでちょっと変なクリスマス・ツリーを撮影した。(写真:シャネルのクリスマス・ツリー)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「夜明けの富士山」
夜明け、太陽が昇った直後の「富士山」だ。豊洲大橋の上から撮影した。橋の高さは20数mだが、品川付近に次々とビルが建ったので、漸くビルの間から富士山が眺められるだけになってしまった。雪に覆われた富士山。きれいだが、余りにも小さい。(写真:富士山)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「2015 私の勝手な映画批評シリーズ」
映画「杉原千畝 スギハラチウネ」(TC日本橋にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年205作目)
戦前リトアニアの領事館でユダヤ人に対して日本通過のヴィザを本国の指示を無視し独断で発酵し2000人以上のユダヤ人を救った外交官を描いた。外務省内での出世か、それとも信念か。果たして歴史は彼にどういう判定を下したのだろうか? ちょっと長過ぎた映画でした。もう少し纏めたらよかったのにね。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「007 スペクター」(TC日劇にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年206作目)
強過ぎ、もて過ぎ、お金掛け過ぎ、兎に角スケールが凄いが、当たり前だろう。世界中でいくら稼ぐのだろうか?
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「海難1890」(TC日本橋にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年207作目)
明治23年の1890年に和歌山沖で起こった海難事故でトルコ海軍の軍艦が沈没、500人以上が亡くなったが、近くの島民たちの献身的な活躍で65名の兵士の命が救われた。これ以降トルコは親日的になる。そしてイランイラク戦争が95年後に起こる。フセインが48時間後にイラン上空を封鎖するという。残されたテヘラン在住の日本人に対してはJALは危険だということで、また自衛隊は国会承認が取れないとのことで自国民救助を放棄した。その時、トルコの首相が自国民より先に日本人の救出を命じた。残り時間は6時間だった。これは実話だ。またトルコが好きになった。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「ハイスピード」(TC日本橋にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年208作目)
中学1年生の水泳部員4人の友情を描く。スポ根アニメ。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「ガールズ&パンツァー」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年209作目)
高校生の学科の一つに「戦車道」というのがあり、世の中に認知されているという架空の世界での女子高校生の戦車隊の合戦とその活躍を描くアニメ。何だか変な気分の映画でした。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「サンローラン」(TCシャンテにて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年210作目)
ゲイでありドラッグ中毒であり、しかし才能に恵まれた「イブ・サンローラン」の半生を描く。奔放に生きた人生だった。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

日経新聞12月11日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ハッピーアワー」が4つ星、「リザとキツネと恋する死者たち」が4つ星、「ベテラン」が3つ星、「わたしはアララ」が3つ星、「創造と神秘のサグラダ・ファミリア」が2つ星、「森のカフェ」が2つ星、「新しき民」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」「セッション」「ビリギャル」「あん」「人生スイッチ」「筑波海軍航空隊」「天空の蜂」「リトル・プリンス」「ハッピーエンドの選び方」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」「龍三と七人の子分たち」「駆け込み女と駆け出し男」「靴職人と魔法のミシン」「海街ダイアリー」「マッドマックス、怒りのデスロード」「愛を積むひと」「アリスのままで」「雪の轍」「悪党に粛清を」「チャイルド44」「アベンジャーズ」「バケモノの子」「ラブ&マーシー」「ジェラシック・ワールド」「ミッション・インパセブル」「アンフェア the end」「キングズマン」「テッド2」「ヴィンセントが教えてくれたこと」「Dearダニー、君へのうた」「カリフォルニア・ダウン」「ポプラの秋」「エール!」「ターミナル 起終点駅」「ホワイト・ゴッド」「黄金のアデーレ」「俺物語」「007 スペクター」「海南1890」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)、5月は福岡(博多)、熊本(熊本)、佐賀(武雄温泉)、6月は青森(不老不死温泉、弘前城)、釜石(岩手)、10月は沖縄(ルネッサンスリゾート)、11月福岡(博多)、佐賀(武雄温泉、唐津)、大分(日田)、11月は福島(喜多方、会津若松)、山形(米沢、山形、天童、山寺)、宮城(仙台、石巻)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)、5月は2度目のバルカン半島(アルメニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツゴビナ、スロベキア)、7月はブルガリア(63カ国目)ルーマニア(64カ国目)、8月はアメリカ西海岸(シアトル、LA)、9月はアメリカ南部(ヒューストン、ナチェス、メンフィス、ツゥペロ、ニューオーリンズ)でした。

「2015 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「八州探訪」(佐伯 泰英 著)新潮文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年257冊目)「新・古着屋総兵衛」シリーズ第11弾

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「料理番に夏疾風」(小早川 涼 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年258冊目)「新・包丁人侍事件帖」シリーズ第1弾
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「信長誘拐」(鈴木 英治 著)PHP文芸文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年259冊目)

「暗殺」(早見 俊 著)コミック時代文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年260冊目)「若さま十兵衛 天下無双の居候」シリーズ第2弾

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「幻影の天主閣」(上田 秀人 著)光文社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年261冊目)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「花の刃」(あさの あつこ 著)文春文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年262冊目)「燦」シリーズ第6弾
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「豊洲から月島へ」

「自宅から銀座まで歩く、その2」
「豊洲から月島へ」
豊洲は元々工場地帯だった。その中心が「石川島播磨重工業」のドックだった。その他、三菱製鋼、三井製糖、等々の工場群が豊洲から東雲、有明と続いていた。今残っているのはIHIだけで、「IHI豊洲ビル」となっている。(写真:IHIビル)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

IHIの前は「晴海通り」が走っている。IHI前の交差点を2月の「東京マラソン」ではランナーが走る。35km付近だ。この辺りを走る時は一般ランナーはもうへとへと状態だ。(写真:IHI前交差点)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

この交差点には「日本ユニシス本社」が入るビルもある。橋を渡ると江東区から中央区晴海地区となる。この辺りは住宅街だ。更に進むと「もんじゃ焼き」で有名な「月島」だ。確かにもんじゃ焼きの店が商店街の8割ほどを占めているようだ。(写真:月島商店街)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

もんじゃ焼きも好き嫌いがあるようだが、土日ともなると結構観光案内の本を持った人たちが店を探して、うろうろとしているのを眼にすることが多い。(写真:月島商店街のもんじゃ店並び)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

さて月島を抜けると晴海通りだが、その手前の掘割には小型の漁船の船溜まりがある。なんとなく下町の風景だ。(写真:月島の船溜まり)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

反対側には「屋形船」の船溜まりがあった。(写真:屋形船)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

やはり、月島も下町の風情が抜けて高層マンションが次々と建てられている。どこも都内は昔の姿が失われていくのは仕方ないのだろう。

「江戸城」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?79」
「江戸城」
徳川幕府で将軍の居城だ。江戸時代は「江城」(こうじょう)という呼び名が一般的だったそうで、「千代田城」とも呼ばれていた。これも両国の「江戸東京博物館」の常設展示場にある江戸城の模型だが、模型には幻の「天守閣」も復元されている。江戸初期にはあった天守は「明歴の大火」で消失しその後復活していない。地図で観ると天守の場所は「内堀」の「北拮橋」を渡った直ぐのところとなっている。今の国立公文書館の内堀の対岸に当たる。即ち江戸城の西北に当たる。天守の東側の黒屋根が「大奥」だ。広大な建物が連なっている。(写真:江戸城天守と大奥)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

江戸城の「天主閣」は実は3代あった。初代の天守閣は家康が造ったもので慶長12年(1607)完成した5重6層建てだったという。これが模型の原形だ。二代将軍秀忠により、初代は元和8年(1622)に取り壊され、二代目が再建された。更に三代将軍家光は14年後に三代目の天守閣を造りなおした。しかし、「明暦の大火」(明暦2年、1657)で消失してからは再建されていない。「天守台」のみ再建された。「明歴の大火」は、本郷のお寺で若死にした商家の娘の供養が行われていた。回向にと娘の気に入った振り袖を焼いているところ、強風が吹き、火の付いた振り袖が寺の本堂の屋根に舞い上がり出火した。これが原因で江戸市中を焼き尽くし約10万人以上の焼死者をだしたというものだ。別名「振り袖火事」として知られている大火災だった。城の東側に「大手門」がある。大手門を入った直ぐ右側が「二の丸」、今の「皇居東御苑」だ。(写真:大手門)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「二の丸」にも大きな建物が数多くある。(写真:二の丸)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

大手門を入って真っ直ぐ進み、城を左に曲がり、桔梗門の手前から右手に登るとそこが江戸城の入口だ。ここからは大名は一人で江戸場内に入っていかなければならない。(写真:江戸城登城の入口)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「松の廊下」
本丸御殿の大広間から将軍との対面所のある白書院に至る全体約50m、幅4mほどの廊下だ。ご存知、忠臣蔵の原因となった浅野・吉良の刃傷が行われた場所だ。(写真:松の廊下)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「全景」
江戸城の天守閣と本丸と二の丸を含めた全景だ。本丸は政治の中心で各大名が詰め、将軍に謁見し、老中が政治を動かした場所だ。天守閣と本丸の間が大奥だった。女の城だった。(写真:江戸城全景)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ということでそれでは実物を観に行こうということで皇居を訪れました。

「いよいよ皇居へ」

「皇居の紅葉」
12月5日から9日まで皇居の一部(乾通り)が一般公開されたので冬だが暖かい日差しの下、皇居を訪れた。東京駅から歩いて行く。地図上での赤い線を私は歩いた。(写真:皇居内地図)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

まずは「和田倉橋」にぶつかって人の流れは左へと進む。(写真:和田倉橋)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「和田倉門」の交差点を右折。すると騎馬警官の女性警官がゆったりと馬を進めていた。周囲は人、人、人になってきた。皆、写真を撮っている。(写真:騎馬警官)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

私は皇居外苑の皇居前広場の途中から身体障害者用のショートカット出来る道を進み「二重橋」前までやってきた。一般の人は更に遠回りして進む。凄い行列だ。(写真:二重橋前)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

(写真:行列)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

漸く手荷物検査とボディチェックを受けて「坂下門」(地図1)から皇居に入る。(写真:坂下門)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

正面が「宮内庁」(地図2)だ。中々立派な古風な建物だ。警備の人たちも多い。(写真:宮内庁庁舎)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

宮内庁前の広い広場の周囲にはツツジや桜、そして銀杏などの色とりどりの紅葉が見えた。美しい。赤でも色々な赤があるものだ。(写真:広場の紅葉)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「蓮池参集所」という建物があった。何のための建物か?(写真:蓮池参集所)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「江戸城・本丸」の西側に来ている。内堀の「蓮池濠」に沿った道、「乾通り」(地図3)を進む。当然一方通行だ。この道の両側にモミジや桜や銀杏が植えられていて一番の見所だ。(写真:蓮池濠と本丸石垣)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「紅葉」(写真:モミジ)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「紅葉」(写真:銀杏)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「紅葉」(写真:銀杏)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「紅葉」道灌濠(写真:銀杏)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「乾濠」(地図4)のところから本丸へと向う橋「西桔橋」とそれに続く坂道を登る。(写真:西桔橋、写真:乾濠)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

結構急な坂を本丸目指して登る。(写真:坂道)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

本丸の天守台の石垣が見えてきた。(写真:天守台石垣)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

天守台(地図5)に登ってみる。(写真:天守台道標)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

下を見る。今は何も建物がないが、手前が「大奥」(地図6)、その向こうが「本丸」(地図7)があった場所だ。ここで江戸幕府の政治が行われた。この天守の西側、即ち濠を越えた西側、今の「吹上御所」が昔の「西の丸」だ。西の丸の主が次の将軍を継ぐ者、即ち「お世継ぎ様」が住む場所だ。(写真:大奥と本丸跡)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

天守台の位置は近くに竹橋周辺の建物が見える。毎日新聞社や住友商事などだ。(写真:竹橋方面)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

大奥のあった辺りに立って天守台を見てみる。そんなに大きなものではない。火事で消失した後、再建されていないが、天守の役割は戦の際に使うもので日常生活を行う場所ではない。将軍は「大奥や中奥」で生活したし、或いは政治は「本丸の表」で行った。天守はその威厳を示すものに過ぎなかった。従って天守がなくても別に不自由していなかった訳だ。(写真:天守台)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「二の丸」方面に向う。(写真:紅葉の道)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「汐見坂」は急坂だ。(写真:汐見坂)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

本丸前には巨大な石垣があった。築城当時、「お手伝い普請」と称して全国の大名を集めて造らせた江戸城自慢の石垣だ。(写真:本丸石垣)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

本丸石垣の東側、即ち「大手門」に向う左側が「二の丸」跡だ。今は雑木林になっている。(写真:二の丸跡)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

竹橋に向う途中で元勤めていたM社の本社ビルが見えた。(写真:M社本社ビル)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「平川門」から皇居を出た。(写真:平川門)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

約1時間歩いた。最後には下り坂を降りる際には膝が痛くて困った。歩数にして約8000歩の皇居紅葉巡りでした。初めて天守台まで登ったが、正に江戸の歴史はこの城址にあった訳で、感動感激して本日の短い旅を終えた。それにしてもこれだけの広い場所の清掃は本当に大変だろうなあと思う。天守台でボランティアの人たちと行き違ったが、清掃のボランティアだろう。宮内庁も大変ですね。昔聞いた話しではボランティアには菊の御紋入りの煙草が配られたというが、今はどうなんだろう?
以上、勢古口が東京からお送りしました。

「モネ展」

「J  REPORT 2015 12月第2週」
「リタイアメント・ノート 7年6ヶ月目」、
「VOL。927 SINCE AUG.12th、1983」
「モネ展」
上野の東京都美術館で行われている「モネ展」に行った。19世紀から20世紀に掛けて印象派の一人としてのモネの絵が「マルモッタン・モネ美術館」の協力で公開されていた。但し12月13日までと期日が迫っているので大変混んでいた。残念ならが写真撮影禁止の為、ポスターの写真でしかご紹介出来ないのが寂しい。(写真:モネ展)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ポスターの上段は「印象、日の出」、もやに霞む港だろうか、そこに浮かぶ船。残念ながらこの絵は既に取り払われていた。期間限定作品だった。(写真:印象、日の出)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ポスターの下段は「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」だ。左下に蒸気機関車があり、向こう側に駅がある。霧か蒸気か分からないが白いものが立ち登っている。(写真:ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

仕方なく帰りがけに「国立近代美術館」に立ち寄り、モネの「睡蓮」の一枚を写真に撮った。モネは数々の睡蓮の作品を描いている。今回も数多くの睡蓮があった。年代によって睡蓮の描かれ方が変化しているのが面白い。(写真:睡蓮)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「自転車は凶器?」
歩道を歩いていると後から「リンリン」と鳴らされることの不愉快なこと。そう感じたことありませんか? 昔、ディズニーの漫画映画で平凡なサラリーマンが車に乗ると突然人間性が変化して凶暴になり、無謀運転するお話しがあったが、人間は自転車に乗った途端に性格が変わるようだ。そして傍若無人に走り出す。そこ除け、そこ除けとばかりに歩行者など無視して走る自転車。だから自転車による事故死が沢山起こる。猛烈なスピードで向ってくる自転車に「危ないな!」と注意すると「お前が避けろ!」と逆切れにして怒り出し、「歩行者優先だ」と言うと「馬鹿野郎!」と怒鳴り返す人もいる始末。実に不愉快な自転車族だ。自転車にも免許を与え講習会を終了させる必要があると思うが、如何だろうか?(写真:自転車族)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「宝くじ発売」
いよいよ「年末ジャンボ宝くじ」が発売された。初日には何と4時間半待ちの列も出来たと言うから驚きだ。それもそのはず史上最高額の前後賞合わせて10億円、一等7億円だから、庶民も一攫千金を狙うはずだ。私も買ったが、ほんの少額、1万2千円40枚だけだ。(写真:西銀座チャンスセンター前の行列)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「日本橋」

「日本橋」
日本の中心はやはり「日本橋」だろう。全ての起点になっているのが日本橋だからだ。「江戸東京博物館」の常設展にはその日本橋を江戸時代のもので復元したものがある。中々立派な橋だったようだ。(写真:江戸時代の日本橋復元)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

そして今の日本橋はなんとも悲しいが、高速道路の下にあるから哀れだ。(写真:現在の日本橋)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

同じ江戸東京博物館には日本橋通りを復元した模型もある。写真は神田方面から日本橋方面に日本橋通りを写したものだが、当時の混雑する江戸の町の様子がよく分かる。武士も町人も皆混雑の中にある活気を読み取れる。(写真:江戸時代の日本橋通り)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

そこで一番の大店が「三井越後屋」だ。「現金掛け値なし」で安く売る代わりに値引きしないで現金のみという全く当時では考えられない商売を編み出したことで大繁盛したという。(写真:江戸時代の三井越後屋の店頭)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

江戸時代、物の売り買いは「節季払い」が常識で、月末払い、3ヵ月後月末払い、半年(盆、暮)払い、年末払いと「つけ」所謂「売掛金」の状態で年に数度或いは一度のみ支払うのが当たり前だったから、この三井の方式は驚きだったが、売掛金のリスクや手間が省ける分安く出来たから売れたのだろう。その後、三井越後屋は「三越」デパートへとなっている。(写真:今の三越本店)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

勿論、三井越後屋はその後は「三井財閥」となる訳だから、色々は業態へと変化していったことはご存知の通りだ。

「2015 私の勝手な映画批評シリーズ」
映画「ハッピーエンドの選び方」(シャンテシネ銀座にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★★(今年200作目)
珍しいイスラエルの映画だ。老人ホームに住む人たちが主人公。末期がんで苦しむ夫を安楽死させようとする妻。それに協力する仲間達を描く。尊厳死、安楽死の意味を問う映画だ。良かった。ぜひご覧下さい。お薦めです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」(TCシャンテにて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年201作目)
ナチスにより併合されたオーストリアのユダヤ人家族がクリムトの描いた伯母の肖像画をナチスに奪われる。それから40数年後、一人の女性が絵の奪還に乗り出す。戦いはアメリカの法廷の場に。老女対オーストリア政府。遂には最高裁判所まで進む。感動の法廷劇でした。いい映画でした。実話でした。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「亜人 第一部 衝動」(TC日本橋にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年202作目)
人気漫画のアニメ化らしい。人間の中に新しい種が生まれ、それが亜人と呼ばれ決して死なないという。各国政府が亜人を捕らえてその永遠の命の秘密を獲得しようとする。そんな中に巻き込まれてしまった少年を描く。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「俺物語」(ユナイテッドシネマ豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年203作目)
これも人気漫画らしいが、男らしい男の高校1年生の恋愛を描くが、これがまた面白い。実直な高校生が感動的でしたね。兎に角面白い。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

映画「I KOVE スヌーピー」(TCスカラ座にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★(今年204作目)
まあこんなものか。子供向きでした。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

日経新聞12月4日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「独裁者と小さな孫」が5つ星、「母と暮らせば」が4つ星、「スギハラチウネ」が3つ星、「海難1890」が2つ星、「アイ・ラブ・スヌーピー」が3つ星、「サンローラン」が3つ星、「メニルモンタン 2つの秋と3つの冬」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」「セッション」「ビリギャル」「あん」「人生スイッチ」「筑波海軍航空隊」「天空の蜂」「リトル・プリンス」「ハッピーエンドの選び方」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」「龍三と七人の子分たち」「駆け込み女と駆け出し男」「靴職人と魔法のミシン」「海街ダイアリー」「マッドマックス、怒りのデスロード」「愛を積むひと」「アリスのままで」「雪の轍」「悪党に粛清を」「チャイルド44」「アベンジャーズ」「バケモノの子」「ラブ&マーシー」「ジェラシック・ワールド」「ミッション・インパセブル」「アンフェア the end」「キングズマン」「テッド2」「ヴィンセントが教えてくれたこと」「Dearダニー、君へのうた」「カリフォルニア・ダウン」「ポプラの秋」「エール!」「ターミナル 起終点駅」「ホワイト・ゴッド」「黄金のアデーレ」「俺物語」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)、5月は福岡(博多)、熊本(熊本)、佐賀(武雄温泉)、6月は青森(不老不死温泉、弘前城)、釜石(岩手)、10月は沖縄(ルネッサンスリゾート)、11月福岡(博多)、佐賀(武雄温泉、唐津)、大分(日田)、11月は福島(喜多方、会津若松)、山形(米沢、山形、天童、山寺)、宮城(仙台、石巻)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)、5月は2度目のバルカン半島(アルメニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツゴビナ、スロベキア)、7月はブルガリア(63カ国目)ルーマニア(64カ国目)、8月はアメリカ西海岸(シアトル、LA)、9月はアメリカ南部(ヒューストン、ナチェス、メンフィス、ツゥペロ、ニューオーリンズ)でした。

「2015 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「婆威し」(坂岡 真 著)双葉文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年252冊目)「帳尻屋仕置」シリーズ第2弾

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「大名討ち 無言殺剣」(鈴木 英治 著)徳間時代小説文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年253冊目)

「えんがわ尽くし」(和田 はつ子 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年254冊目)「料理人季蔵捕物控」シリーズ

「ふくろうの系譜」(上田 秀人 著)講談社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年255冊目)

「岳飛伝 照影の章」(北方 謙三 著)集英社刊 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年256冊目)
北方謙三氏の「大水滸伝」の三部作の連続物だ。「水滸伝」19巻、「楊令伝」15巻、そして「岳飛伝」現在までで15巻。全て初版で読んでいる。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「自宅から銀座まで歩く、その1 自宅から豊洲へ」

「自宅から銀座まで歩く、その1」
小春日和の日、いつものように銀座まで歩くことにする。約1時間のウォーキングだ。私のマンションは築36年の古いものだ。越中島通りに面している角部屋が私の部屋だ。(写真:自宅前)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

今、隣の食糧庁の米倉庫は解体中だ。その先、大手ゼネコン「S建設」の研究所前を左折し豊洲方面に向かう。この交差点の角では「F通運」の巨大倉庫が建設中だし、都立第3商業高校は今年春に新校舎になったから周囲の景色は一変している。(写真:右手が研究所、正面が倉庫、左手が学校)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

豊洲運河に掛かる橋を渡る。そこには「芝浦工業大学」が建つ。そして周囲は高層マンション群が建ち並ぶ豊洲地区だ。(写真:芝浦工大とマンション群)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

橋の上から私の自宅マンションを観る。手前が解体中の食料倉庫だ。一部の壁が残るだけになった。(写真:マンションと解体現場)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

越中島を含む本所深川、今の江東区は江戸の昔から掘割が沢山掘られ網の目のように水路が出来ていて水運が発達していた。そこで今は防災のために数々の「水門」が設けられている。この水門で高波や津波を防ぐので逆に江東地区は水害の心配は余りする必要がない。(写真:水門)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

水門の先、隅田川の対岸には高層マンションが林立している佃地区だ。湾岸地区で一番最初に高層マンション群が出来たのが佃島だ。江戸時代の地図を見ても佃島は隅田川の江戸湾に出る部分にある唯一の島だ。(写真:佃島のマンション群)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

隅田川の上流に「東京スカイツリー」が高く聳える。(写真:スカイツリー)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

スカイツリーからは東京の下町がそこには広がって見えているはずだ。遠くは東京湾やゲートブリッジ、その右手には富士山、そして更に右に目を転じれば大山、更に渋谷や新宿の高層ビル群、池袋の向こうには秩父の山々。更に時計回りに廻ると関東平野が広がり、筑波山も遠くに観えるはずだ。今日は天気もいいから景色も素晴らしいはずだ。

「江戸の生活」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?78」
「旗本八万騎」
お目見えの旗本は凡そ5千2百名、お目見え以下の御家人が1万7千名ほどだと言われている。だから八万騎というのは直参の陪臣を含めてのことだろう。誇大な話しでそれだけ沢山家臣がいるぞという幕府の法螺かな?

「棄捐令(きえんれい)」その2
所謂借金棒引き令なのだが、元々は鎌倉幕府の執権北条貞時が永仁5年(1297)発した「徳政令」に由来するらしい。御家人救済が目的だったが、関わっていた金貸したちが激しく反発し、それ以後の融資を絶ったため逆に御家人は更に困窮したという。江戸時代有名な棄捐令は寛政の改革時の寛政元年(1789)に松平定信が行ったもので総額118万両を越す損害を札差仲間96軒の豪商たちは受けたという。今のお金にすると1200億円ほどにもなる。これは大変なことだった。これも鎌倉時代と同じで逆に新規の融資が受けられなくなり旗本御家人は更に苦労したという。棄捐令が出た頃からは既に力は武士から商人に移っていたことの証しだろう。

「大名屋敷は拝領屋敷」
大名屋敷は幕府から与えられた「拝領屋敷」というもので、基本的に「上、中、下」の三屋敷があった。「下屋敷」は江戸の郊外にあり、美しい庭がある場合が多かった。役目は火事や災害など際の避難場所でもあった。「中屋敷」は隠居した先代当主や大名の子女が住むための場所だった。「上屋敷」は大名家の江戸に於ける本拠地で、参勤交代で江戸詰めの間、暮す場所だった。また別に「蔵屋敷」と呼ばれる年貢米を取引するためのものもあった。上屋敷では国元から一緒にやってきた家臣たち、また江戸家老を始めとする江戸常勤の者たちの住処もあった。下級武士の住処は上屋敷の周囲をぐるりと廻る塀の内側に長屋として設けられていた。塀と住居(長屋)が一体化しており、窓からは塀の外が見えた。勿論、大名より石高の少ない旗本や御家人も幕府からの拝領屋敷を与えられていた。例えば「忠臣蔵」で有名な「吉良邸」は元々は「呉服橋御門」近くのところにあった。呉服橋御門を入ったところには「北町奉行所」があった。今のJR東京駅日本橋口付近だ。更に奉行所から御城に少し行くと「評定所」があった。これは今でいう最高裁判所みたいなものだ。奉行所前で不逞な輩(赤穂浪士)の吉良邸討ち入りなど起きてはお上のご威光に掛かるとの思惑からか、吉良邸は本所に移された。真実は分からないが、幕府はお城から離れた場所に吉良家を移したことは事実だ。評定所では老中、大目付、寺社奉行、勘定奉行、南北両町奉行らによる所謂「五手掛かり」で色々な問題が討議され裁判の判決を決めたという。写真は福井越前藩「松平家」の江戸上屋敷を復元したもので江戸初期のものだ。実に立派な門構えだ。(写真:大名屋敷表門)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

周囲は長屋がぐるりと塀の代わりに建てられている。脇門も実に立派だ。(写真:大名屋敷脇門)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

写真では建物は表の部分だけ造られているが、実際は裏手も全て建物があり、その間取りが描かれている。これらは両国の「江戸東京博物館」5階常設展示場にあるものだ。(写真:大名屋敷全景)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

福井藩は家康の次男「秀康」が初代藩主だから親藩中の親藩だ。幕末に活躍した藩主「松平春嶽」が有名だ。この屋敷、明暦の大火で消失しその後再建されたが、こんなに立派なものにはならなかったらしい。