「ボーイングは100年目」

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「J  REPORT 2015 8月第4週」
「リタイアメント・ノート 7年2ヶ月目」、
「VOL。913 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦62、アメリカ西海岸の旅、後記」
「ボーイングは100年目」
今回の旅で買い求めた土産は、「シアトル・シーホークス」のキャップと、「ボーイング社」のワッペンとピンバッジを3つだった。ボーイング社はT君が勤めていた先でもあり、エベレット工場見学会の折に買ったワッペンには1916年と書かれていたのでボーイング社の歴史は100年経ったことを知った。航空機メーカーとしては民間部門も軍需部門も恐らく最先端の技術を持っているのだろう。あの工場を見た後ではスケールの大きさに驚かされるばかりだった。M・ダグラス社やヒューズ社の一部門を買収したりして今のボーイングがあるという。シアトルはアメリカで最も住みたい都市でもNO1になるほどの人気の町だという。さてシアトルからLAに行く旅はアメリカン航空の便を予約したのだが、運航は「アラスカ・エアー」で機材も人材も全てアラスカ・エアーで所謂コードシェア便だった。この機はボーイング737型機、世界中で一番売れている飛行機が「737」らしい。アメリカ往復の全日空は、ボーイング777だったが、ビジネスクラスは横に2+2+2だったが、ファーストクラスは、1+1+1だった。流石にゆったりとしたシートだし、全てデジタルのタッチパネル式でシートは動かせた。もう当分ファーストクラスに乗ることはないだろう。9月にはアメリカのテキサスからニューオーリンズに行く。暑そうだなあ。美味しいステーキと、南部では海老となまず料理を食べたい。

豊洲新市場建設現場
「コミック・マーケット」
16日日曜の朝5時半の豊洲駅前でのことだった。地下鉄有楽町線の駅から大勢の若者たちが現われ、急ぎ足でモノレールの「ゆりかもめ」に向って行く。係員が出ていて誘導していたが、お台場のテレビ局にでも行くのかと思っていたが、次から次へと人がゆりかもめ線に向って行く。私は愛犬の散歩中だったが、一体何事なんだろうと不思議に思い、帰宅したら新聞に14日から有明の東京ビッグサイトで「コミック・マーケット2015」というのをやっていることを知り、なんと3日間で50万人を集めるのだという。そうなのか、納得。コミック雑誌等を売っているらしい。海外からもファンがやってくるという。凄い集客力だった。さて「豊洲新市場」も来年開業だということは既にご存知だろうが、ほぼ建て屋は完成している。虎ノ門、新橋、晴海方面からの道路も橋の化粧の部分を少し残すだけでほぼ完成に近い状態だ。

「ルート66」

「ルート66」
K君の家の近くにあの有名な「ルート66」があった。早速「道路標示版」を記念に撮影した。「ヒストリック ルート 66」と書かれていた。ご存知のようにルート66は、「シカゴ」から「ロス」までのインターステートのフリーウェイだ。昔のTVドラマが懐かしい。さて、8日の土曜の夕食はイタリアン。地元の店で気楽な雰囲気の店だが、味は美味しかった。アメリカでの食事だが、意外と高かった。二人でワインが一本30ドル以上、料理に税金を含めてほぼ約100ドル前後、それにチップが15?18%だから、120ドル程度になった。ワインが高かったのが本当に意外だった。
この旅では、シアトルではT君と奥様のレイジーさんに、ロスではK君にお世話になりっぱなしだった。毎日車で送り迎えしてもらい、本当にありがとうございました。シアトルの空港のセキュリティーで土産に日本から持ってきた羊羹を開けられてしまい困りました。まあその他は問題なく、アメリカ西海岸の2都市をエンジョイしました。K君の自宅からLAXまで行くのにお願いしてLAのダウンタウンを廻ってもらった。チャイナタウン、リトル東京、ディズニーシアター、LAPD(警察署)等々を観た。ところが中心部は大幅な交通規制が行われていて、中々フリーウェイに乗れなくて困った。さて帰りのLAXから成田へは久し振りにファーストクラスに乗った。成田ーシアトルはビジネス、ロスー成田はファースト、これで合計10万マイルのマイレージを消化して只でした。流石にファーストの和食の食事は美味しかった。満足でした。さて今回はワインではなく、芋焼酎の「村尾」の水割りを飲んだ。11時間のフライトの最後に軽食が出るのだが、オプションの「一風堂のラーメン」を頼み、最後にまた村尾の水割りを頼んだら、CAから「お強いですね、もう殆どボトルは空になりました」と言われてしまった。それにしても空の旅も、ファーストとビジネス、更にエコノミーとの差が非常に大きいのを感じた。そうそう最近の布のナプキンは角にボタン穴のあるのが当たり前になってきた。シャツのボタンに穴を入れるとずれないので本当に便利だ。勿論エコノミーは紙だから不要だが、布のナプキンは穴がないと困ります。行き帰り共にボーイング777?300でトイレにはお尻を洗うシャワーがあり助かった。成田に着いてみたら気温32度とのこと。熱波が身体を襲う。参ったなあ、アメリカが羨ましいよ。
以上、帰国して暑さに泣いている勢古口がお送りしました。次回は、「アメリカ西海岸の旅、後記」をお送りします。

「サン・クレメンテ」

「サン・クレメンテ」
更に南下し「サン・クレメンテ」という街まで出掛ける。海に突き出た長いピアーが印象的だ。海に向かって右手はサーフィン・ゾーンのようでサーファーが沢山いた。左側は海水浴客用のようで人々が泳いでいた。ピアーの上では魚釣りの人が熱心に魚を釣っていた。サバのような青魚を釣り上げていた。小さな魚はリリースしていた。家族連れが多い。皆夏休みを楽しんでいるようだった。昼は少し早目にピアーの根元にあるレストランで白ワインを飲みながら、海老フライと貝のワイン煮込みを食べ、最後にクラムチャウダーを食べた。満足しました。帰りの道も結構混んでいたが、反対側、即ちロスから南下する方は渋滞が酷かった。結局、ロスのダウンタウンには殆ど全く行かなかったことになる。あっという間の一週間でした。

「ダナ・ポイント」

「ダナ・ポイント」
8月8日(土曜日)
やはりロスの朝は靄で一面に覆われ涼しい朝だった。これが日中になると晴れ渡り気温も上がるのだろう。因みに昨日よりも更に一度下がり17度だった。まずロスの南の「ダナ・ポイント」という海岸の街に行く。K君はここで数年間過ごし、お子様3人は皆ここの高校を卒業したという。のどかな街でヨットが2000隻停泊出来る施設があるという。街の高台の家は今では100万ドルするという。昔元大統領のニクソン氏も引退後別荘に住んでいたというリゾート地・避暑地だ。美しい海辺に並ぶヨット、涼しい風、何とも言えない一時でした。アメリカの豊かさの一面を観ることができた。ここはロスの南のオレンジ・カウンティーだが、ここまでロスからは「インターステート、ルート5号線」約150kmほど来た所だが、途中は片側8車線の巨大道路でアメリカ最大の幅だそうだ。中央部に優先車線が2車線走しっていた。この5号線はそれこそ北のシアトルから南のサンディエゴと西海岸を南北に通っている幹線道路だった。実にアメリカらしい光景だった。

「8月12日」
毎年、この日になるとこれを書く。30年前の午後6時半、避暑に訪れていた伊豆下田で上空を通過するJALのジャンボジェットが見えた。これがその36分後に墜落するとは、何と運命の不思議なことか。なぜあの時、上を見上げたのか?誰かが私に何かを呼びかけていたのか?あの事故で大阪の取引先の方3名がお亡くなりになった。ご冥福を改めてお祈り申し上げます。

「ローズ・ボウル・スタジアム」

「ローズ・ボウル・スタジアム」
流石に午後2時を廻ると気温は30度を越えていた。がんがんと太陽が照っている。まず「USCパシフィック・アジア・ミュージウム」に行く。日本や中国、韓国、或はアジア各地の色々なものが所蔵され展示されていた。見ると殆どが寄贈品だ。中々貴重な品々でした。そこからパサディナの「ローズ・ボウル・スタジアム」に行く。ここパサディナは、ロスでも以前から超高級住宅地だったが(勿論今もそうだが)、今はビバリーヒルズのほうがより有名になってしまったとのこと。さて、今日の目的はローズボウルスタジアム見学だったが、残念ながら入場は不可。入り口で写真を撮っただけでした。ローズボウルスタジアムの周囲は広大な駐車場とゴルフコースで出来ていた。平日とは言えゴルファーが沢山コースを廻っていた。夜は近くの「ペルー料理」の店に行く。「烏賊、蛸、小海老のマリネ」、「魚のフライ」、「豚の骨付き肉」を食べたが、一品づつの量が多過ぎて2人では食べきれなかった。メキシコ人が沢山住んでいる地域らしいが、物凄く店は混んでいて、スペイン語しか聞こえて来なかった。皆本当に太っている。さて帰り道、フリーウェイで「ブラッシュ ファイア」の表示があり、火災が起きているようだった。K君宅に戻り、数キロ先、山側のフリーウェイの方を観ると道路上で消防車や警察の車が消化作業をしているのか、道路が封鎖され、車は一台も動けない状態だった。約1時間半ほど同じで動きが全くなかった。

映画「進撃の巨人」(TC日本橋にて)私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年122作目)
日本ではこういう映画を造るのは無理なのだろうか?筋も面白くなかった。

映画「ナルト・ザ・ムービー ボルト」(TC日本橋にて)私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年123作目)
アニメでした。忍者のお話しでした。子供が沢山観ていました。

映画「日本のいちばん長い日」(丸の内ピカデリーにて)私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年124作目)
ちょっと期待外れでした。本当は期待していただけに、肩透かしかな?ご存知ポツダム宣言の受諾を巡り、本土決戦を主張する陸軍若手将校らの反逆、その中での8月14日の御前会議で受諾が「天皇陛下の御聖断」により決る。そして15日正午の陛下のお言葉の録音とそのレコードを巡る争い。長い長い一日だった。

映画「ラブ&マーシー」(角川シネマ有楽町にて)私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年125作目)
60年代から70年代に掛けて一世を風靡したあの有名な「ビーチ・ボーイズ」の作詞作曲ボーカルを担当し実質的にグループをリードしていたウィルソン氏の半生を描く。美しい歌声だけ聴いていても楽しい映画でした。

映画「ジェラシック・ワールド」(TC日劇にて)私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年126作目)

日経新聞8月7日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「さよなら、人類」が4つ星、「彼は秘密の女ともだち」が4つ星、「ミッション・インパッセブル ローグネイション」が4つ星、「ミニオンズ」が3つ星、「それでも僕は帰る」が4つ星、「天皇と軍隊」が3つ星、「フリーダ・カーロの遺品」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」「セッション」「ビリギャル」「あん」「人生スイッチ」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」「龍三と七人の子分たち」「駆け込み女と駆け出し男」「靴職人と魔法のミシン」「海街ダイアリー」「マッドマックス、怒りのデスロード」「愛を積むひと」「アリスのままで」「雪の轍」「悪党に粛清を」「チャイルド44」「アベンジャーズ」「バケモノの子」「ラブ&マーシー」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)、5月は福岡(博多)、熊本(熊本)、佐賀(武雄温泉)、6月は不老不死温泉(青森)、弘前城(青森)、釜石(岩手)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)、5月は2度目のバルカン半島(アルメニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツゴビナ、スロベキア)、7月はブルガリア(63カ国目)ルーマニア(64カ国目)でした。

「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「10 俺たちのキックオフ」(堂場 瞬一 著)実業之日本社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年174冊目)

「忍び者」(鈴木 英治 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年175冊目)

「御用金着服」(幡 大介 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年176冊目)
「大富豪同心」シリーズ第17弾

「ハング」(誉田 哲也 著)中公文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年177冊目)

「蒼波の章」(北方 謙三 著)集英社刊 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年178冊目)「岳飛伝」シリーズ第13弾

「夢の夢こそ」(今井 絵美子 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年179冊

「アメリカ西海岸の旅、ロスアンジェルス編」

「J  REPORT 2015 8月第3週」
「リタイアメント・ノート 7年2ヶ月目」、
「VOL。912 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦62、アメリカ西海岸の旅、ロスアンジェルス編」
「ダイナソー」
8月6日(木曜日)
シアトルからロスアンゼルスに移動、これまた中学の同級生のK君のお迎えを受ける。早速彼の自宅へ向かう。途中スーパーで野菜を買い求めバーベキューの準備をする。ロスでも西海岸は日本車が本当に多いのに驚かされる。トヨタとホンダが圧倒している。スバルも元気だ。韓国勢もかなり多い。シアトルでは4WDのSUVが多かった。因みにT君の車はホンダ系の高級車アキュラのSUV(+4WD)だった。勿論雪が降るためだが。ロスは普通のセダンが多いようだ。聞くと年間に平均しても10日間位しか雨が降らないらしい。本当に乾燥した街だ。フリーウェイの最も中央車線のレーン(カープール・レーン)をすいすいと走る。二人乗り以上だとただで1人乗りだと料金が掛かるらしい。これはシアトルでも同じだった。アメリカで一番売れている車種は「ピックアップ・トラック」だという。広大なアメリカは田舎ばかりだから、荷物も人も乗せられるピックアップがいいらしい。さて、「ハッピーアワー」というのがあり、大体3時頃から5時頃までをそう呼び、この間の客は多少安く食べ物飲み物のサービスを受けられるという。所謂お得な時間帯の客寄せのようだ。4時近くになったので我々もK君の自宅でハッピーアワーと洒落た。彼の家はロスの北、パサディナの近くの小高い山の上にあった。景色が素晴らしい。バーベキューでステーキを焼き食べた。これまた美味しかった。
8月7日(金曜日)
朝から霧でもやっている。気温18度、ちょっとほっとする気温だ。東京に帰るのが恐ろしい。犬の散歩に付きあってから出発する。訪れたのはUSC(南カリフォルニア大学)近くの「LA自然史博物館」だ。入って直ぐにダイナソーの大きいのが2体あった。沢山の恐竜が飾られ、カリフォルニアの歴史も分かるようになっている。K君の話しによれば、カリフォルニアは長くスペイン領だったが、メキシコがスペインから独立してメキシコ領になり、その後20数年でアメリカに奪い取られて現在に至っているという。私の知識では確かテキサスかニューメキシコの「アラモ砦」でメキシコ軍により、砦に立て籠もっていたアメリカ人が皆殺しにされた。実はこれはアメリカ政府の罠で、これで一致団結して敵討ちとなり、アメリカはメキシコと戦うことが出来たという。これは太平洋戦争開始の真珠湾と全く同じ状況なのだ。「リメンバー パールハーバー」。アメリカは自国民を犠牲にしても、こういった罠を仕掛けるのか? さて昼近くになり気温は25度前後となったが湿度が低いので助かる。飲茶の店で簡単に昼食をして一度家に戻った。一つ発見した。ガソリンだがレギュラーよりディーゼルのほうがアメリカは高かった。大半がヨーロッパと違ってガソリン車なので多分需要が少ないディーゼルのほうがコスト高になっているのではなかろうか?

「HPの移行」
このHPは8月末で閉鎖になり、新しいHPになる予定です。詳しくは後日連絡しますが、その予定で移行手続きを進めていますので、宜しくお願い致します。

「シアトル・シーホークス・トレイニング・キャンプ」

8月5日(水曜日)
今日は「シアトル・シーホークス」の夏季練習見学だ。7時半前にホテルを出てキャンプ地に向かう。早過ぎたと思ったら、シアトルの南のレントンの街はファンで溢れ返っていた。8時に長い列に並ぶ。約45分で黄色いスクールバスに乗る。皆、駐車場に車を置いてバスでキャンプに向かうのだ。10時練習開始なのに、2時間前で一杯だ。スタンドと言っても、芝の植わったなだらかなスロープになっているだけ。そこに思い思い座る。120ヤードの芝生のグラウンドが2面、更に縦向きに1面の3面のグラウンドだ。ファンは皆選手のナンバーが入ったジャージを着ている。30分前にパンターが現われ自主的に練習を始めた。流石に素晴らしいキックだ。高く飛んで50ヤード強。全員が集まったのは5分前。全員ヘルメットにショルダーのみ、下は短パン姿だ。10分間隔でグループ毎の練習は目まぐるしく変わる。約100人ほどの選手でQBは赤いジャージを着た3名。勿論お目当てはスターターQBの背番号3番「ラッセル・ウイルソン」だ。彼のサイズは小さい。多分6フィートほどだろう。大型選手の中では小さく見えた。パスも正確だったが、ランも上手い選手だ。黒いジャージがオフェンス、白のジャージがディフェンス・チームだ。その他スタッフが20人ほどいただろうか。勿論ヘッドコーチもいて厳しくチェックしていたのと、ビデオカメラで3か所10mほどの高さから撮影していた。さてQBとレシーバーはパス練習、ディフェンスラインとラインバッカーはディフェンスのフォーメイション、ディフェンスバックはパスに対するカバーの確認をしつこくやっていた。それぞれポジション別の練習が終わるとスクリメージ練習だ。これはボールポジションを色々な状況に設定して実戦形式での練習だが、勿論タックルはなし。やはりスピードが違う。本当にラインもバックスも早い。身体の大きさに関係なく早い。これがプロだと思った。審判もこのミニゲームに参加していた。この約100名が徐々にカットされ、多分最終的には50名ほどが秋の公式戦に臨むのだろう。だから皆必死だった。好きな選手が活躍すると大きな声援が上がっていた。「ナイス」との声も次々と叫ばれていた。練習はまだまだ続いていたが、帰りのバスが混むと思い、1時間半ほどで引き揚げた。その後約2時間掛けて南の「マウント・レニエ」に向かう。周囲は森林ばかりだ。パラダイスという1600m地点で4300mのマウント・レニエを見上げる。成る程山は何本もの氷河に覆われていた。北米大陸最大の氷河らしい。シーホークスのトレイニング・キャンプも寒かったが、ここは更に寒い。晴れて美しい山頂も見えたが、兎に角寒い。半袖の私にはちょっと辛かった。これでシアトルの旅は殆ど終わる。夕方T君の家に呼ばれて奥様の手料理を頂く。ステーキを焼いて頂いた。超特大の椎茸も美味しかった。家の中は和風で飾られていたが、引っ越し直前なので荷物の山の中でかえってご迷惑を掛けてしまった。明日はロスに移動する。T君、奥様本当にお世話様になりました。

「スターバックス発祥の店」

シアトルと言えば、そうです「スターバックス」発祥の地です。その店に行って来ました。「パイク・マーケット・プレイス」という古くからある市場のところにあるのですが、店の前には大行列が出来ていた。凄い人気だ。写真だけ撮り、他の店でお茶をする。ここがスタバの第一号店だというが、本当に小さな店だ。人魚のマークがノーブラだったのが、本家本元の印だ。兎に角本当に混んでいてとてもではないが、入る気になりませんでした。日本からの高校生の修学旅行生も沢山いました。マーケットの中に魚を投げる店というのがあり、鮭を買ったお客に店の人が商品を投げ、見事キャッチできれば拍手喝采というのを目の当たりにした。鮭一匹50ドルでしたが、そのパフォーマンスには驚きました。飛距離約3mでした。みんな写真を撮っていた。勿論私も撮りました。その後、「シアトルセンター」にある「チフリ・ガーデン&グラス」というミュージアムに行った。ガラス工芸の不思議さとそのユニークさに驚かされた作品の数々でした。直径20cmほどの作品でも7000ドルから8000ドルしているのにまたまたびっくりでした。そして早めの夕食はシーフードレストランで私はサーモンを食べた。時間があったので別のボーイングのミュージアムに行き、外側から展示されている飛行機を観た。最初の747型機だとか、戦時中の戦闘機だとかが置かれていた。何でも初めての物が整然と置かれて展示されていた。帰りに通称「タコマ富士」現地名「マウント・レニエ」を観ることが出来た。4300mを越える頂上付近にはまだまだ雪が残っていた。これでも今年は雪不足で少ないという。生憎曇りで「オリンピック・マウンテン」は観えなかった。そうそう、T君の新居の建設現場を訪れた。あと一か月ほどで引っ越しするというが、3階建ての立派な家(エレヴェーター付き)で、勿論戸建てで神戸は芦屋の六六荘のような高級住宅街の一角に建てられていた。因みにシアトルは神戸市と姉妹都市関係にあるという。

「ボーイング・エベレット工場見学」

8月4日(火曜日)
朝、ホテルの周囲を散歩した。シアトルの街は斜めの道路が多くて歩いている内に地理感覚が失せてしまった。一応シアトルセンターのタワー(スペースニードル)がホテルから観えたから、それを目標にしてダウンタウンを歩き、さて戻ろうとしたが、中々ホテルに着かない。気温は14度で肌寒い。まあ何とかホテルにたどり着いた。今日はボーイングのエヴェレット工場見学ツアーだ。楽しみだ。11時のツアーだが、早めに着いたが、広大な敷地に出来上がって受け渡し直前の飛行機が沢山並んでいた。地元のフットボールチームの「シアトル・シーホークス」専用のジェット機がいた。尾翼の「12」の文字があるが、あれは選手11名の次はファンが12番目だという意味だという。所謂応援団が12番の背番号なのだそうだ。ビデオを観た後、バスに乗り工場へと向かう。まずボーイング747?8の製造工程だ。最終仕上げラインに大韓航空向けの747型機がいた。まだ747ジャンボジェットを造っているのにびっくり。その前に工場のまずは地下トンネルに入るのだが、これが延々と続くのに驚かされる。そこからエレベーターで3階に上がり、組み立て最終過程を観た。その大きさに仰天させられた。一番びっくりしたのは作業員の人たちの軽装なこと。キャップを被っていればまだしも何も被っていない人が大半だ。日本ならば厳重にヘルメットを被っているはず。驚きました。次が777型機の製造工場だ。ここでは毎分2インチ(約6cm強)で機体が動きながら組み立てを行っているという。月産10機の777型機がこの工場で製造されているという。747は47年間で1500機製造されたという。最後は最新鋭の787型機だ。大半が炭素繊維で造られ、軽量化され燃費が良く騒音が少ないというメリットのある機「ドリームライナー」だ。日本のメーカーもその製造のかなりの部分を請け負っていることは承知の通りだ。