「品川神社」

「築地市場は今」
浜離宮からの帰り旧築地市場跡地前を通過した。驚くなかれ、もう殆ど解体が終わりつつあった。(写真:H13)H13
(写真:H14)H14
豊洲市場に向かう道路は仮設のまま使用されていた。(写真:H15)H15
どんどん解体は進む。対岸の勝鬨、月島地区には高層マンションが林立している。(写真:H16)H16
(写真:H17)H17
跡地はどうなるのだろうか?東京都は色々と考えているのだろうが、築地場外市場はそれでも元気に観光客を集めていた。

「品川神社」
東京十社巡りの一つ、品川神社に行った。ここ品川宿は東海道五十三次の日本橋から最初の宿場で、京に上る人たちを送りに来た江戸の人たちで大変に繁盛したという。江戸四宿、品川、内藤新宿、板橋、千住でも最大の宿場で沢山の飯盛女を抱えていたという。
旧東海道に面した「品川神社」の前に立つ。(写真:S1)S1
「大黒天」もある。(写真:S2)S2
狛犬だ。(写真:S3)S3
この神社の謂れを見ると、「文治三年(1187)源頼朝が海上交通の安全と祈願成就の守護神として、安房国須崎明神である天比理乃命を勧請し品川大明神と称した」とある。また太田道灌が風水害、疫病、歌謡の守護神として須佐能尊を勧請し6月の天王祭が始まったという。品川宿の鎮守である。
鳥居の後ろの長い階段を登る。(写真:S4)S4
境内だ。(写真:S5)S5
境内右手に「包丁塚」があった。(写真:S6)S6
(写真:S7)S7
曰く、品川宿は多くの人で繁盛し、そこで供される料理に使った包丁を供養したという。
「東海七福神巡り」の最初の神社がここだという。(写真:S8)S8
昔の農産物の名物は大坂から持ち込まれた「ネギ」が品川ネギとして親しまれたという。その他、大井ニンジン、戸越タケノコが有名だったそうだ。(写真:S9)S9
社だ。(写真:S10)S10
赤い鳥居。(写真:S11)S11
社の後ろに「板垣退助」の墓があった。(写真:S12)S12
「板垣死すとも自由は死なず」(写真:S13)S13
墓の由来(写真:S14)S14
政党を始めて作った明治の元勲の一人だ。土佐藩出身だ。
以上、暑さと涼しさが交互に訪れ、とても秋とは言えない暑さに驚く東京から勢古口がお送りしました。